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こころの音54

まえに、自動車免許(めんきょ)を取りに、
教習所に行っていたとき、
適性検査(てきせいけんさ)みたいな、
心理(しんり)テストのような問題が出されて、
やったことがある。

その中で、


「いままでに、死にたいと思ったことがあるか?」


という問いに対して、
ぼくは、そんなこと言えるか!と思って、

『いいえ』

に、チェックを入れました。

そしたら、あとから、
先生に、

「人生に、一度や二度は、死にたいと思ったことは、
だれだって、ある!

だから、『いいえ』と答えた人は、
本心(ほんしん)を言わないで、
ウソを、ついている!」

と言われてしまった。


けれど、

「ごもっともだ!」

とも、
思った(笑・・・)


以前(いぜん)、テレビで、
若い小学校教諭(きょうゆ)が
自殺したという、
ニュースをやっていたのを
見たことがありました。

その若い教諭は、

「声が大きく、はつらつとした好青年で、
子供たちとも明るく接(せっ)していた。」

という。


そんな好青年(こうせいねん)が、
なぜ?
自殺したかは、
わからない。


専門家によれば、
突発性(とっぱつせい)うつ病の可能性が、
あるそうだ。

急(きゅう)に、モヤモヤとした、

「死にたい!」

という衝動(しょうどう)が、おそってくる。

そして、その衝動に、
あまりにも簡単(かんたん)に、
のってしまった!

ということだろうか。


さきほどの話しに戻(もど)りますが、
人間、生きていれば、
死にたいと思うようなことは、
一度や、二度は、あると思う。
(ぼくも、認めます・・・笑)

というか、人間は、
自分に苦難(くなん)が、おそってくると、
気軽(きがる)に、

「あ~~、死にたい」

と、愚痴(ぐち)を
もらすような生き物かもしれない。


そういう、マイナスの衝動(しょうどう)は、
生きている以上、何度となく、
おそってくるだろう。


ぼくなんか、ほんとうは・・・・
軽(かる)い、愚痴っぽい、
「あ~~、死にたい」という感情だったら、
100回以上は、
あったかも、しれない・・・・。


けれど、今は、
創価学会(そうかがっかい)に入っているので、
その時、まず、
考えることは、

『生きる!』

ということです。


どっちみち、生きなければならない!


マイナスの感情に、ひたっていて、
それで、問題が解決(かいけつ)し、幸せになれるのなら、
思う存分(ぞんぶん)、
マイナスの感情に、ひたっていればいい!


けれど、そんなことは、ありえない!


だとしたら、
マイナスの感情に、ひたっていることは、
単(たん)なる時間の無駄(むだ)になってしまう!


そこで、頭を切り替(か)える!

「落ち着くんだ!。くさってはいけない!
負けてはいけない!
自分を、取り戻(もど)すんだ!」

そして、心の中で、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえ始める。

そうすると、自分を見失(みうしな)った自分が、
我(われ)に返っていく。

そして、困難(こんなん)な状況を、
なんとか、乗り越(こ)えていくことが、
できてきました!

もちろん、その状況(じょうきょう)が、
困難であれば、あるほど、
南無妙法蓮華経を、となえる時間と、数は、
増(ふ)えていきます。

当然(とうぜん)の道理(どうり)です。

いっぺん、南無妙法蓮華経をとなえて、
すべてが、ぱっと開けるようなことは、
めったにない!

ただ、南無妙法蓮華経の力は、
はかり知れないので、
たった、いっぺん、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえただけで、
ぱっと開けたという例(れい)も、
あるようだ。


よく、創価学会の人に、

「何かあったら、南無妙法蓮華経を、
となえるんだよ!」

と言われ、
その時は、バカにして、
軽(かる)く流していても、
いざ、突発的事故や、病気、事件に
見舞(みま)われた時、
創価学会の人に言われたことを、思い出し、
思わず

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)!』

と、となえ、
それによって、
九死(きゅうし)に一生を得(え)たという体験を
持っている人は、
創価学会の人でなくても、
以外(いがい)と、いるようだ!



さきほどの、自殺した若い教諭が、
なぜ、急に死を選(えら)んでしまったのか?

死を招(まね)くようなマイナスの感情に、
急に、おそわれたとしたら、
自分の生命(せいめい)の中に、
マイナスの要素(ようそ)が、
何かの拍子(ひょうし)に、
インプットされてしまったのだろうか?

マイナスの要素が、インプットされたとすれば、
そのマイナスである不幸の要素を、
インプットした、
根本原因(こんぽんげんいん)が、
どこかに必ず、
あるはずた!

その不幸の根本原因を、
仏法(ぶっぽう)では、


『間違(まちが)った宗教』にある!


と、解明(かいめい)している。


生まれてきた以上、その人には、
必ず、先祖(せんぞ)がいる!

その先祖は、必ず、なんらかの、
宗教に、たずさわっている。

その宗教が、
間違った宗教である場合、
そのマイナスの要素は、
自分の生命にも、まあ、
ヘンな言い方をすれば、
引(ひ)き継(つ)がれ、きざまれていく!

世間一般に、
本当は、矛盾(むじゅん)だらけなのに、
広められている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
神社信仰などは、
マイナスの要因(よういん)を作り、
不幸の原因を作る、
マイナスの宗教と思って間違いない。

そして、なにかの拍子(ひょうし)に、
フッと、そのマイナスの要素が出てきて、
その人を、
不幸へと、
落とし入れる。


生命とは、不思議(ふしぎ)といえば、不思議ですが、
間違った宗教が、
人間におよぽす、
マイナスの影響力(えいきょうりょく)は、
大きい。

宗教なんか、関係ない!と、
笑っているような人でも、

「自分自身に、マイナス的要因、
マイナス的要素が、ある!」

と、思っている人は、
自分が、
間違った宗教の悪影響(あくえいきょう)を
受けていると思って、
間違いない!!
と思う。


実は、その人間の生命における、
マイナスの要因、マイナスの衝動、
決定的マイナスと言える病気や事故、事件など、
そのマイナスを、打ち破(やぶ)るために、
「真実の仏法(ぶっぽう)」である、
『南無妙法蓮華経』が、ある。


マイナスを、打ち破るために、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』


ぼくも、正直、
何かあったら、南無妙法蓮華経を、
となえる!ということを、
知っていなかったら、
おそらく、今、
生きていないだろう!と、
思うことが、本当(ほんとう)はある。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、

『南無妙法蓮華経は、獅子吼(ししく)のごとし。
いかなる病(やまい)、
さわりをなすべきや』

と、言っている。


南無妙法蓮華経は、
ライオンが、ほえるようなものだから、
南無妙法蓮華経を、となえたならば、
どんな病気であっても、
その人を、苦しめたり、
危害(きがい)を加(くわ)えることは、
できない!
というような意味です。


これは、病気に、かぎったことではない。


さきほども言ったマイナスの衝動、
マイナスの事件や事故!
そのマイナスを、木っ端微塵(こっぱみじん)に、
打ち破っていく力(ちから)が、
南無妙法蓮華経には、ある!
ということだと思う。


そう考えると、
創価学会員であるということ。
南無妙法蓮華経を、となえられる!ということ。
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ということを、
知ってる!ということが、
どれだけ、幸せか・・!!

長い人生を、思うと、
計(はか)り知れないものがある!と、
こころから、思える・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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