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こころの音56B

この前、
映画「あずみ」を見ました。

小山ゆうの同名の漫画『あずみ』を
原作(げんさく)とした映画で、
若いころの上戸彩が、
主演で、がんばっています。

少女剣士(けんし)「あずみ」が、
敵(てき)を、バッタバッタと切りまくる、
時代活劇(じだいかつげき)です。

娯楽映画(ごらくえいが)なので、
お菓子をつまみ、お酒を飲みながら、
お気楽(きらく)に、
楽しめると思います。

上戸彩も、
一生懸命(いっしょうけんめい)、
カッコつけていました。

きっと、大変だっただろうと思う。

だた、最初のシーンで、
仲間(なかま)で10人、
山で、修行(しゅぎょう)している時に、
師匠(ししょう)の言いつけで
仲(なか)の良い2人ずつになって、
その2人で殺し合って、
残った5人が、役目(やくめ)を果(は)たすために、
山を出るシーンがあって、


「いくらなんでも、作りすぎだ!!」


と思った。


だって、戦うのに、
人数が多いほうが、いいに決まってる!

最後、みんな、死んで、
あずみと、もう一人の、
2人しか残らないんだけど、
まあ、よく考えると、
2時間の映画のなかで、
10人もいたら、
死ぬシーンが、たくさん、ありすぎて、
映画にならないとは思うので、
映画としては、
最初、仲間と殺しあって、
5人に、しぼって、
正解(せいかい)だとは思います。
(最初から5人でもいいのに・・・)


娯楽(ごらく)映画ではあるけれど、
この映画を見ていて、
耳に付(つ)いた言葉があって、
やけに、

「使命(しめい)」

という言葉が、でてきた!


「戦争を起(お)こそうとしている悪いやつらを、
やっつけるのが、
おれたちの使命だ!」

とか、

「使命を、はたすんだ!」

というような使い方です。


ふだんの生活では、
あまり使わない言葉なので、
すごく、耳に付く言葉だった。


「使命(しめい)」・・・
命(いのち)を使うということ!。


生きている以上、
だれでも、命を、使っている・・。

だだ、何のために、
命を使うかということを、
正直、自覚(じかく)しているような人は、
なかなか、いないと思う。

かんぐって言えば、
だいたい、自分のために、
あるいは、家族のために、
ともかく、精一杯(せいいっぱい)、
生きているという感じが多いのではないかと思う。

また、趣味(しゅみ)やレジャーなど、
自分を楽しませることも、
生きていく上では、かかせない。

ただし、それだけで、
『使命』と言えるような、
充実感(じゅうじつかん)があるかは、
疑問(ぎもん)だ!

また、そんな使命といえるような充実感など、
求めていないのかもしれない・・・。


それほど、使命という言葉は、
使いづらい。


けれど、創価学会(そうかがっかい)では、
この「使命」という言葉を、よく使う。

「あなたには、かけがいのない使命が、あるんだ!」

と、よく、言う。


その使命とは、なんだろうか?


また、池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、

「その人が、その人であるだけで、
かけがいのない、生きていく価値(かち)がある!」

と、言っている。


だとしたら、使命とは、なんなのか?


おそらく、使命とは、
自分に、生きていく価値があることに、
目覚(めざ)め、
自覚していくことかもしれない。


人は、『使命』という言葉を、
あまり、口にしない・・・。


けれど本当は、
自分の生きている価値を認(みと)め、
また、認められることほど、
幸せなことは、無い!と思う。


それは、そのまま、
最高の充実感を持った、
『生きがい』と、なるからだ。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・


なぜ?
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえるのか?


というと、

その人の中にある、
その人が、本来(ほんらい)持っている、
仏(ほとけ)のように素晴(すば)らしい命、
仏のように素晴らしい、
自分の価値を、
開花させるためだと、
言う。

仏(ほとけ)の命といっても、
わからないと思うけれど、
自分の中にある、
無限(むげん)の可能性(かのうせい)、
無限の価値、
無限のエネルギー、
無限の創造力(そうぞうりょく)のようなものだと思う。

その生命に内在(ないざい)する、
無限にして、とらえどころのない、
プラスの生命力(せいめいりょく)を、
「仏(ほとけ)の命」
「仏の生命」
と、
表現している。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
どんな人でも、
『プラスの生命』である、
自分の価値に、目覚(めざ)めていく。

自分が、やるべきことが、わかってくる!

ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえることによって、
本来、自分が持っている仏(ほとけ)の生命が、
自分の中から、わきあがり、

「自分にも、使命があるんだ!」

と、
わかってくる!

そうすると(南無妙法蓮華経を、となえていると)
いつ、何を、していても、
たとえ、平凡(へいぼん)な、
いつもと同じ事を、やっているにしても、
不思議(ふしぎ)だけれど、
その行為(こうい)は、
すべて!使命として、
価値のある行動に、
変わっていく!

もっと言うと、
その使命を、
自分の心と体で、感じ、
本当の自分のものとして、
現実に実感(じっかん)することが
できるようになっていく。


単純に言うと、
人生と生命が、
輝(かがや)きだす!ということです。


すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の生きること、すべてが、
プラスとして、
肯定(こうてい)できるようになっていく!!

南無妙法蓮華経を、となえることによって、
いままで、自分の中では、
マイナスだと思っていたことまで、
すべてが、逆(ぎゃく)に生かされ、
価値が出てくる!


その、すがすがしい感覚と驚(おどろ)きは、
言葉では、言い表(あらわ)すことは
できないかもしれませんが、
ともかく、マジに、スゴイし、
うれしい!と思う。


南無妙法蓮華経を、となえる時、
自分を否定(ひてい)できる人は、
ひとりも、いなくなる!

どんな人も、お世辞(せじ)ではなく、
生きることに、大きな大きな、
使命を、帯(お)びてくる!!

そして、使命の自覚は、
その人に大きな成長と、
飛躍(ひやく)を、もたらす!

そうなれば当然(とうぜん)、
その人は、
大きな大きな幸せを、つかむことになる!


それが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
生き方です。


おそらく、これ以上、
幸せな生き方は、ないと思う。


だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
何もなくても、なぜだか、
歓喜(かんき)してきて、
生きるのが、楽しくなってくるんだと、
思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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