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こころの音60

このまえ、
アニメ・火の鳥「黎明編(れいめいへん)」を
見ました。

原作(げんさく)は、
手塚治虫の有名なマンガ「火の鳥」 で、
ぼくも昔、熱中(ねっちゅう)して読んだのを
思い出して、
なつかしくなりました。


ヤマタイ国の王女、ヒミコは、
権力(けんりょく)を手にしながらも、
自分の老(お)いと死に、
おびえていた。


永遠(えいえん)の命(いのち)を持つ、
「火の鳥」の生き血(ち)を飲めば、
永遠に若く、生きられるという・・。


ヒミコは、
火の鳥の「生き血」を求め、
その火の鳥の住むという
ヒの国を、襲撃(しゅうげき)し、
滅(ほろ)ぼしてしまう。

ヒの国の少年ナギは、
ヤマタイ国の将軍(しょうぐん)、猿田彦に助けられ、
生きのびる。

また、
ナギの姉ヒナクと、恋人グズリも、
山に、のがれ生き延(の)びる。

しかし、ヒナクとグズリは、
火山の爆発(ばくはつ)によって、
山の深い縦穴(たてあな)の中に、
閉(と)じこめられてしまう。

やがて、ヤマタイ国は、
自分たちが侵略(しんりゃく)してきたと同じように、
馬に乗る騎馬民族(きばみんぞく)に攻(せ)められ、
滅ぼされる。

ヒミコも、
火の鳥の生き血を飲むことなく、
死んでしまう。

猿田彦も、ナギも、死んでいく。


見終わって、強く感じたのは、
なんとも言えない、つらい感情でした。

難(むずか)しいことを言えば、
すごく、

「無常(むじょう)」

というものを、感じました。


希望が見えるシーンとしては、
猿田彦と婚姻(こんいん)関係にあった、
ウズメが、最後、

「猿田彦は、負けてはいない!
なぜなら、私のおなかには、
猿田彦の子供が
宿(やど)っているからだ!

猿田彦の生命は、受けつがれたんだわ!」

と、叫(さけ)ぶシーンと、

年月を経(へ)て、
グズリとヒナクの子・タケルが、
脱出(だっしゅつ)不可能と思われた縦穴を、
火の鳥の励(はげ)ましを受けて、
抜(ぬ)け出すシーンだろう。


にもかかわらず、このアニメには、
なんとも言えない悲しみが、
つきまとう。

それは、普段(ふだん)は、
あまり感じることがない、


「人間は、いづれ、年老い、死ぬ!」


という、
無常感(むじょうかん)からだろう。


無常とは、仏教の思想の一部だけれど、
深(ふか)いといえども、
まだ、浅(あさ)はかな思想だと、
言わざるをえない。

なぜならば、人生、はかない!
世の中は、たえず移(うつ)り変わり、無常だと、
意識したところで、
今、生きている人間を、
現実に、
幸せにすることは、できないからです!


無常感を、感じたところで、
現実を、勝ち抜(ぬ)く力には、ならない!!


けれど、本当の仏法(ぶっぽう)は、
無常ではない!


無常のように、あきらめたような、悲しみはない!


本当の仏法は、
まるで、
太陽のように、明るい!


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
言っていた。

『悲観(ひかん)は、いらないんだよ!
感傷(かんしょう)すら、いらないんだよ!
だだ、希望だけを、いだいて、
生きていけば、いいんだ!』

と・・。


それが、現実にできる、
哲学(てつがく)と生命観(せいめいかん)があり、
現実を強力に切り開いていくエネルギーが、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)であり、
その実践(じっせん)が、

「南無妙法蓮華経を、となえる」

と、いうことだと、思う。

頭が良いとか、悪いとか、
金や地位(ちい)が、あるとか、ないとか、
そんなことは関係なく、
死ぬ時にも、
まるで太陽のような希望と幸せを
抱(いだ)いて、死んでいける!


それが、創価学会(そうかがっかい)が実践している、
本当の仏法(ぶっぽう)です・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

人は、このアニメの
ヤマタイ国の王女、ヒミコのように、
永遠なるものを、
求めているのかもしれない。


本当の希望、
本当の幸せ。

その象徴(しょうちょう)が、
火の鳥であったんだと思う。


また、それほど、
大げさでないにしても、
自分の悩みを解決できる糸口(いとぐち)となるもの・・、

自分の夢や希望をつかむために、
何かのきっかけと手立(てだ)てを、
人は、求めている。


そして、最終的に、
本当に幸せになっていける方法を、
求めている。


けれど、その幸せになってける方法を、
つかめないまま、
まるで、アニメ火の鳥の王女・ヒミコや
登場人物たちのように、
そのまま、死んでいくことが多いことも、
現実だと思う。


そこに、人は、
無常を感じ、
不幸を感じていく。


ここに、人間が生きていくうえでの、
根底的な不幸が、存在(そんざい)している。


この『無常』につらなる、
根底的(こんていてき)な不幸を打ち破(やぶ)らないかぎり、
人が本当に望む幸せは、
もたらされない!

と言えると思います。


だから、アニメ火の鳥の王女・ヒミコは、
火の鳥を求めていった・・。


ヒミコが火の鳥を求めたように、
人は、
無常を打ち破るもの・・、
根底的な不幸を打ち破るものを、
求めている。

そしてその、心の底(そこ)で、
だれもが求めている、
根底的な不幸を打ち破る力(ちから)が、
実(じつ)は、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法の信仰(しんこう)なんです。


それは・・、
あたかも火の鳥のように、
無常につらなる、さまざまな不幸を、
打ち破っていく!


無常を打ち破り、永遠なるもの、
火の鳥のような幸せを、勝ち取らせてくれる。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)そのものが、
まぎれもない希望であり、
まぎれもない幸せだからです。

その結果として、
どうしても解決(かいけつ)しなかったような、
さまざまな悩みが解決できたり、
大きな壁(かべ)のように思えた夢や希望も、
かなえていけるようになっていく。


だから、かりに、
火の鳥を、探(さが)すとしたら、
それは、どこでもない、
自分のこころ(生命)の中にある、
『希望と幸せ』が、
火の鳥なんだと思う・・。


その火の鳥と言えるような希望と幸せを、
輝(かがや)かし、つかんでいく方法を、
人は、求めているんだと思う。

そしてその、
火の鳥と言えるような「希望と幸せ」を、
どこまでも燃(も)やし続ける生き方ができるのが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


だから、南無妙法蓮華経の仏法を、
真剣に実践している人は、
他のだれよりも、
希望と幸せを、感じることができる!


それは、どんな悩みや困難(こんなん)にも負(ま)けないで、
勝利と幸せを勝ち取っていける道に、
つらなっている・・。


まるで、それは、
火の鳥のように・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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