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こころの音66

昔、テレビで、
「クイズ!ヘキサゴン」
という番組がありました。

当時は人気があって、
ぼくも、たまに見ていました。

博識(はくしき)な頭の良い人たちが出る
クイズ番組ではなく、
芸能人たちの間抜(まぬ)けな答えを
楽しむ番組でした。

まあ、人のことは、言えないけれど、
おもしろかったです。

人って、驚(おどろ)くほど、
間抜けな部分もあったりして、
かといって、
その人が、ダメかというと、
そうではなく、
すごく魅力(みりょく)があったりする。

不思議(ふしぎ)です。

そうかと思うと、
まえに、他のテレビで見たけれど、
ルービック・キューブという、
小難(こむずか)しい立体パズルを、
ほんの何秒という時間で完成させてしまう、
すごい頭脳(ずのう)の人たちも、いる。

不思議です。


同じ人間なのに・・・・・・!


その、クイズ・ヘキサゴンで見た話しですが、
芸能人二世対決というのがあって、
芸能人の二世の人たちが、集まって、
ヘキサゴン・クイズバトルを
やりあっていました。

それで、最後に、
戦った二世の芸能人たちが、集まった時、
石田純一が、

「みんな、いいDNAを、持っているよ!」

と、皆を、たたえていた。


それで、思い出したけど、
だいぶ前だと思うけれど、
かなり前の新聞に、


「人間は、祈(いの)りによって、DNAさえ、
変えることが、できる」


ということが、
科学によって、判明(はんめい)された!
という話しが、のっていた。

ぼくが思うに、
祈りのよって、DNAが変わると言っても、
それは、きっと、ごく末端(まったん)の、
ほんのわずかな部分に、すぎないのではないか?
と思う。

だって、そんな、
DNAが、全部変わっちゃったら、
世話(せわ)はないからだ。

ただし、ほんの、ごく微小(びしょう)の、
ほんのわずかであっても、
祈りによって、DNAが変わるということが、
科学で判明されたのは、
大きいかもしれない!と思った。

なぜかというと、
自分が、優秀だと思っている人も、
優秀でないと思っている人も、
いろいろ、いると思うけれど、
基本的(きほんてき)に、

人間って、なかなか、変われない!

と思うからです。

表面的(ひょうめんてき)には、
変わったように見えていても、
実際(じっさい)の中身の部分では、
何にも、変わっていないということが、
ほとんどだと、思うからです。

DNAというのは、
よく知らないけれど、
人間の根本(こんぽん)の部分だと思う。

その根本の部分が、変われるということは、
人間には、それだけのエネルギーが、
あるということだと思う。


たとえ、それが、ほんのわずかであったとしても、
やはり、それは、大きい!


スポーツにしても、
勝負を決するのは、ほんのわずかの差(さ)です。

陸上アスリートたちは、
レイコンマ何秒というタイムを競(きそ)っている。


そのほんのわずかの差で、
勝利者と、敗北者が、分れる。


サッカーにしても、野球にしても、
ボールが、あと、1センチ、中に入っていたら、
勝っていた!
1センチ、違(ちが)っただけで、
負けてしまったというのが、
常識(じょうしき)だ。

ほんの1センチ、
ほんのわずかの差で、
天国と、地獄(じごく)が、わかれてしまう。

スポーツの世界でなくても、
現実の人生においても、
それは、同じだと思う。


あと、もうすこし、
ほんのわずか!何かがあったら、
人生を勝利できた。
ほんのわずか、何かが足りなかったために、
人生を、敗北した。


それが、現実の人生における、
勝負だと思う。


だとしたら、祈りによって、
ほんのわずかでも、DNAが変わるとしたら、
それは、大きい!

きっと、DNAは、
人間の根本の部分だから、
その部分が、少しでも変わったら、
人生は、すべてにわたって、
大きく変わってくる!

そう、言わざるをえない。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

ただ、ひとつ、言っておきたいのは、
祈りに力(ちから)があるとしても、
祈りなら、なんでも良いということではありません。

間違(まちが)った祈りは、間違っているがゆえに、
逆(ぎゃく)に間違った影響(えいきょう)を
およぼしてしまう。

すなわち、間違ったものに祈った結果として、
人生に、さまざまな形で、
「不幸」が出現してしまうということです。

それが、日本にはびこっている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰です。

それは、ちょっと考えればわかりますし、
仏法哲学(ぶっぽうてつがく)を、ひもとけば、
完全に間違った宗教であることが
わかります。

ゆえに、
それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰に、
どんなに真剣(しんけん)に祈ったとしても、
かりに、命がけで祈ったとしても、
その人に幸せをもたらすことはなく、
逆に、間違った宗教であるがゆえに、
真剣に祈れば祈るほど、
その人に、
さまざまな形で、
不幸が、もたらされてしまうと、
いうことです・・。


それにしても、
祈りには、DNAを変えるほどの力があるという。


実(じつ)は、
その人々に幸せをもたらすことのできる、
本当に力(ちから)ある祈りが、
創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる祈りなんです!!


創価学会(そうかがっかい)の人たちが実践する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、

『宿命転換(しゅくめいてんかん)』、
あるいは『人間革命』

という法則がある。

南無妙法蓮華経を、となえることと、
創価学会の、
仏法を基調(きちょう)とした活動によって、
自分という人間を、
根本から、変革することができる!
と説く、
仏法(ぶっぽう)の法則(ほうそく)です。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)も、

『一人における偉大(いだい)なる人間革命は、
やがて、一国の宿命の転換をも、成し遂(と)げ、
さらに、全人類の宿命(しゅくめい)の転換をも、
可能にする!』

と、言っています。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
生命の変革(へんかく)の法則だと、
いう。

だいたい、優秀な人、幸せな人が、
幸せになるのは、当たり前だ。

だけど、創価学会の人たちは、
昔は、世の中から見放(みはな)されたような、
貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだった。

その人たちが、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
また、創価学会の仏法を基調とする活動によって、
ことごとく、病気を克服(こくふく)したり、
貧乏を克服したりして、
幸せの、勝利の姿を、見せている!


これは、DNAでも、
変わったのではないか?と、
思わずには、いられない!


人間には、それだけのエネルギーがある!
ということの証明だと思う。

また、その人間の最高のエネルギーを、
引き出す力(ちから)が、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、
あるんだと思う!


ひとつ、言えることは、
別にDNAが変わろうが、変わらまいが、
創価学会の中で、
南無妙法蓮華経を、となえぬき、
創価学会の活動を、やりきっていくと、
必ず、『幸せになる!』と、
いうことです・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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