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こころの音71

先日、
「野ブタを、プロデュース」という
ドラマを見た話しを、しました。

そのドラマの最初のころ、
野ブタ(信子)を、
高校の人気者にプロデュースすることになる、
修二が、
唯一(ゆいいつ)、
自分の憩い(いこい)の場にしていた、
川辺の柳(やなぎ)の木が、ありました。


あるとき、いつものように、
その川辺の柳の木のスポットに行ったところ、

柳の木がない?

その柳の木は、抜(ぬ)かれて、
なくなってしまっていた。

そこで、たまたま、
修二は、
柳の木に首を吊(つ)って、
自殺(笑・・)しようとしていた、
野ブタ(信子)に、
会うことになります。

その後、
修二のクラスに、
信子が転校(てんこう)してきて、
大変なイジメに会う信子を見て、
修二は、信子(野ブタ)を、
人気者にプロデュースすることを、
決意することになります。


その中で、修二は、
信子に言います。

「おまえ自身が変わらないと、
また、いじめられるぞ!

根(ね)こそぎ、ひっこぬかれるぞ!
それでいいのか?」


その後、
修二と野ブタ(信子)は、
二人が、めぐり合った場所にあった柳の木が、
船に乗せられて、
別の場所に運ばれているのを見つける。

修二は、喜び、
信子を自転車に乗っけて、
一緒に、船で運ばれている柳の木を、
見つめ続ける。

修二は、言う。

「柳(やなぎ)もまさか自分が海の上を行くなんて、
思ってなかっただろうね!」

「生きていれば、なにが起こるかわからない。」

信子は、言う。

「あるんだ!生きていける場所、

あたし、大きな木になれるかな・・

誰にも、ひっこぬかれない、
大きな木になれるかな・・」


修二は、言う。

「なるしかねーだろ!」


苗木(なえぎ)は、枯(か)れない限り、
成長し続け、
そのために、根を深く広く張(は)って、
栄養を、取り入れ、
少しずつ、大きな大木へと、
成長していく。


それが、自然の道理(どうり)かもしれない。


仏法(ぶっぽう)では、
創価学会(そうかがっかい)では、
人間を、本当に幸せにすることのできる、
真実の仏法の法則(ほうそく)があることを、
一人の人間に、気づかせて、
その、仏法の信仰に、
目覚(めざ)めさせていくことを、

『仏種(ぶっしゅ)を植(う)える』

と、いいます。


「仏種」とは、仏(ほとけ)になる種(たね)。


仏(ほとけ)とは、
幸福の王者、勝利の王者という意味だから、
「仏種を植える」とは、
その人の生命に、
幸福になる種(たね)、
勝利者になる種を、植えることになります。


種が、芽生(めば)え、苗木となり、
栄養分を、たくさん取って
成長していけば、
当然、大木となっていきます。


それが、自然の道理です。


それと同じように、
一人の生命(せいめい)に植えられた、
仏種(幸せになる種、勝利者になる種)は、
時とともに、成長していけば、
必ず、
幸せという大木に、成長していきます。


それが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法です。


だから、創価学会に入会し、
ご本尊(ごほんぞん)に、

(ご本尊とは、南無妙法蓮華経を
となえる対象である、文字で描かれた
曼荼羅(まんだら)の本尊で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その、必ず幸せになっていける
偉大な仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、
あらわしたものが、ご本尊です。)

・・そのご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰を始めることは、
その人の生命に、
仏種が植えられたことになり、
南無妙法蓮華経を、となえ始めたということは、
その人の生命の仏(ほとけ)の種(幸せの種)が、
芽(め)を出し、苗木として、
成長を始めたことを、
意味します。


その苗木に栄養を与(あた)えることが、

『南無妙法蓮華経を、となえる』

ことであり、
また、創価学会の、
仏法を根底(こんてい)とした活動ということに
なります。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

この幸せの苗木は、
南無妙法蓮華経を、となえることと、
創価学会(そうかがっかい)の活動という、
自分の生命の「幸せの栄養(えいよう)」を
与え続ければ、
必ず、だれでも、
幸せと勝利という、
大きな、大きな大木に成長していきます。


これは、どんな人がやっても、
変わらず、
必ず、同じ、
幸せという結果が、出ます。

もっとも、木々にも種類があるように、
仏種(ぶっしゅ)も、その人の、その人らしい、
幸せの姿として、開花していきます。

けれど、
途中(とちゅう)で、
南無妙法蓮華経をとなえることを、
やめてしまったり、
創価学会から、離(はな)れてしまったりすると、
仏種という、幸せの苗木は、
枯(か)れてしまいます。


すなわち、幸せには、なれない!


ということです。


それは、植物に
水を、与えなかったら、
枯れてしまうのと同じです。

また、光が、
まったく、閉(と)ざされてしまったら、
枯れてしまうのと同じです。


生命の次元(じげん)から考えると、
南無妙法蓮華経を、となえないことは、
植物に、水を、与えないのと同じです。

また、創価学会から離れることは、
植物に、光を、まったく当(あ)てないのと、
同じです。


幸せのためには、
人間の生命も、
植物とおなじように、
水と光が、必要なんです。


だから、本当に幸せになりたかったら、
本当に勝利したかったら、
生命における、幸せになるための、
水と光を、求(もと)めるべきです。


その『水』の役割(やくわり)をするのが、
『南無妙法蓮華経』であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ということになります。

そして、『光』の役割をするのが、
『創価学会』という存在(そんざい)になります。


この言葉に、ウソは、ありません。
必ず、そうなります。


世界192ヶ国に、
創価学会が根付(ねづ)いているのは、
そのためです。


それが、創価学会の人たちが、植えている、
幸せの苗木!
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法だと思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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