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こころの音137

日蓮大聖人の御書(ごしょ)に、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
 手紙や論文を、すべて集めたものです)

『一念(いちねん)に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽(つ)くせば、
 本来、無作(むさ)の三身(さんじん)、
 念念(ねんねん)に起こるなり』

とあります。

無作(むさ)とは、
「つくろわず、はたらかさず、ありのまま」
という意味で、
三身(さんじん)とは、
仏(ほとけ)の生命と肉体と知恵の三つが、
すべて、備(そな)わっているという意味です。

だから、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽(つ)くせば、
 本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
とは、
一念(いちねん)、自分の心に、
億劫(おくごう)という、
ものすごい量の努力と集中力と情熱を、
かたむければ、
ほんらい、つくろわず、はたらかさず、
ありのままの、仏(ほとけ)のような、
偉大(いだい)で、スゴイ知恵や、何かを成し遂(と)げる、
強力な意思と行動力が、
無限に、湧(わ)き上がってくる!
という意味だと、思う・・。


まえに、陸上の世界選手権の
男子400mハードルで、
日本人初の銅メダルを獲得(かっとく)した、
為末大(ためすえ だい)が、
テレビで、話していたのを、
聞いたことがありました。

為末大は、
どうしたら、ハードルが早くなるか、
ひたすら、考えつづけたそうです。
ともかく、世界でトップになりたくて、
さまざまな工夫(くふう)をして、
それで、とうとう、
銅メダルを、とった!

それで、為末大は、
昔は、バカだ!バカだ!と言われていたのに、
今は、頭が、いい!!と、
言われるようになったと言っていました。

これなんか、
ある意味、
日蓮大聖人の言う、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くせば、
 本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
に、似ているのではないか??
と、思いました。

バカだバカだと言われても、
ひたすら、ハードルが、早くなることを、
考えつづける。
これは、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くす』ことに、
相当(そうとう)し、
その結果として、
ハードルが早くなるための、
さまざまなアイデアや知恵が浮(う)かび、
世界で銅メダルを、とることができたのは、
『本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
に、当たると思います。

すなわち、本気で考え悩み、
本気で、何かを求めていけば、
本来、その人に備(そな)わっている、
無限の知恵が、自然のうちに、
わきあがり、発揮(はっき)できる!
ということでは、ないだろうか?


確かに、それはわかる。

けれど、ここまでだと、
この理論は、たんなる理屈(りくつ)でしかなく、
なにか特別なものを求める、
アスリートのような人でないと、
なかなか、実現できないと思う。


人は、そんなこと、聞きたいとは思わない。


どんな人でも、すべての人が、
その無限の知恵、無限の行動力、
無限の希望を、引き出すことが、
できなかったら、
それは、希望とはならないし、
絵に描いた餅(もち)と同じで、
なんの意味もない!

過去のさまざまな思想や宗教が、
すたれていったのは、
そのためだと思う。

それらは、『絵に描(か)いた餅』であり、
現実の希望にはならなかった。

生身(なまみ)の人間から、
現実に、無限の知恵と行動力、
無限の希望を引き出すことができるのか?
と問いただした時、
過去のさまざまな宗教や思想では、
理論(りろん)や理屈では、説いたとしても、
それを、現実の人間に置(お)き換(か)えた場合、
ほとんど無理(むり)であったり、
単なる机上(きじょう)の空論(くうろん)にしかならないことが、
ほとんどだと思う。

だから、それらの宗教は、
どんどん、人間から離(はな)れていき、
単(たん)なる、おすがり信仰になるしかなかった。

それが、
過去の宗教や思想の限界(げんかい)と、
言えるかも、しれない。


その、限界を打ち破(やぶ)り、
すべての人に、無限の知恵、
無限の行動力、無限の希望を、
引き出せるようにしたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
その真実の仏法(ぶっぽう)が、
創価学会が、実践している、
『南無妙法蓮華経の仏法』です!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

創価学会の人たちは、
ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経を、となえるとき、
自分のいちばん、願っていること、
自分の、いちばん、叶(かな)えたいこと、
悩み、夢、希望を、
ありのままに、全力で、
ご本尊に、ぶつけていきます。

それは、そのまま、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くす』
ことに、つながっていき、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
実際、仏(ほとけ)のような強力な命、
仏のような偉大な心、知恵、勇気が、
なぜだか、不思議だけれど、
ドクン、ドクンと、湧(わ)き上がってきて、
まさしく、
『本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
というような現象(げんしょう)が、
実際に起こってきます。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)には、
生命に内在(ないざい)する、
無限の知恵や勇気、希望、
無限のエネルギーを、引き出す力がある!
ということです。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
悩みが解決したり、夢や希望が、かなったりして、
現実に、幸せになっていけます。


なぜ、そうなるのか?というと、
すべての人間の中には、
仏(ほとけ)のように強力な知恵と勇気と行動力、
幸せを、つかむ、すべてのエネルギーが、
もともと、自分の中に、
そなわっているからです。

けれど、普通は、
その仏(ほとけ)のような強力なエネルギーは、
自分の中から、出てきません。

何にもしなくても、
その仏のようなエネルギーが出てくるのだったら、
人は、もっと幸せになるし、
悩んだり、苦しんだりしません。

その、普通は出てこない、
仏のようなスゴイ!エネルギーが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ことによって、
現実に、実際(じっさい)に、引き出され、
そして、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くす』という結果を生み、
その結果、
さまざまな願いや夢が、かなっていく。

そう言えると、思います。


あえて、
世間一般的に、当(あ)てはめたとしても、
これは、ごく一部のアスリートのような、
成功者でなければ、普通は、できないことです。

それを、どんな人でも、
あらゆる人間にできるようにしたのが、
南無妙法蓮華経の仏法だと言えます。

また、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえるという
行動によって起こる成功は、
世間一般的に考えられている成功とは、
はるかに違う、次元(じげん)の高い、
勝利と幸せと、充実感(じゅうじつかん)を、
その人に、味(あじ)あわせてくれます。

それは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
その人が本来、持っている才能とか使命が、
大きく開花していくと、いうことです。
富(とみ)や名声とか、
表面的、物質的な、次元(じげん)ではなくて、
人間として、最高の歓喜(かんき)と喜びをともなった、
本当の自分が目を覚(さ)まし、
世界に躍(おど)り出ていくような、
感激(かんげき)と満足感だと思います。

それが、
南無妙法蓮華経を、となえる!
ということだと思う。


こんなスゴイことは、
ほかでは、絶対にありません。
南無妙法蓮華経を、となえることでしか、
不可能でしょう。


それが、
世界192ヶ国の人たちが、
実践(じっせん)し、その素晴らしさを実感している、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
『一念に億劫(おくごう)の
 辛労(しんろう)を尽くせば、
 本来、無作(むさ)の三身、
 念念に起こるなり』
という、仏法の真髄(しんずい)に、つながる、
南無妙法蓮華経の信仰だと思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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コメント 1

abian

無作の三身を調べていてここを拝見しました。

ただひたすらに題目を唱えるべき、、何々するべき!…で本当に無作の三身が現れるのか?
創価学会以外にも題目を唱えてる宗教は多いわけで、、なので、
歓び求めることが大事な気がしてきています。
つくろわず、ありのままの尊極の生命状況に至りたいわけですが…絶対的自己肯定と自己の内面に向かいつつ舞い上がるようなワクワクする気持ちが、ミラクルを起こすのかと。
by abian (2020-10-14 02:45) 

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