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こころの音180

先日、
ブログのコメントで、
創価学会の南無妙法蓮華経と、
身延(みのぶ)の日蓮宗や
立正佼成会(りっしょうこうせいかい)の
南無妙法蓮華経との違(ちが)いについて
質問された話しをしましたが、
同じ方から、
創価学会と日蓮正宗との違いについて、
質問されたこともあります。

日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)というのは、
創価学会が昔、守り、
外護(げご)していた宗派で、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
純粋(じゅんすい)に受け継(つ)ぎ広めるために、
創価学会が、
大変に発展させてあげたところですが、
今は、創価学会とは
完全に別(わか)れ、
創価学会では、
日顕宗(にっけんしゅう)と呼んでいます。

はっきり言えば、
創価学会(そうかがっかい)が
日顕宗と呼んでいる日蓮正宗は、
創価学会が呼び名を変えたように、
とても、
日蓮正宗と言えるようなしろものでは、
ありません。

正宗とか言うと聞こえはいいですが、
魔性(ましょう)に食い破(やぶ)られ、
とらわれた、
毒蛇(どくへび)のような存在です。


悪そのものと言ってもいいでしょう。


昔、創価学会が、
どれだけ正宗を守り外護(げご)し、
発展させてあげたか。

その恩(おん)は、
計(はか)り知れないはずですが、
その恩を仇(あだ)で返すような、
畜生(ちくしょう)以下のやからです。


彼らは、創価学会員を、
金になる奴隷(どれい)のようにしか
考えられなかった。

そして、自分たちの
私腹(しふく)が肥(こ)えると、
もういいと、かってに、
創価学会を破門(はもん)してきた。

当時の日蓮正宗のトップだった
日顕(にっけん)という男は、
創価学会のインターナショナル会長である
池田先生への、
人々の尊敬と賞賛が、
憎(にく)くて憎くてしょうがなかった。

そしていつか、
あいつらの首を切ってやろうと
機(き)をうかがい、
池田先生と創価学会を
破門(はもん)してきた。

そうすれば、
創価学会の半分の人は、
日蓮正宗側につき、
それだけの信徒がいれば、
遊蕩三昧(ゆうとうざんまい)、
遊んでくらせると考えたからです。

けれど、
創価学会員は、ばかではないので、
日蓮正宗側につくものは、
ほとんどいなかった。

そして、正宗は、
没落(ぼつらく)の一途(いっと)をたどり、
逆に創価学会は、
毒蛇(どくへび)のような、
梅毒(ばいどく)のような、
正宗との縁(えん)が切れたおかげで、
世界宗教として
自由自在に活動できるようになり、
世界が賞賛(しょうさん)し期待し、
世界192カ国に広がる
創価学会へと飛翔(ひしょう)していった。


なるべくしてなったと言うか、
日蓮正宗と切れて、
本当に良かった。

もし正宗が引っ付いていたら、
創価学会は、これほど発展できなかったでしょう。


だいたいにおいて、
その当時の日蓮正宗のトップ、
日顕という男は、
売春問題で、
最高裁で三度も断罪(だんざい)された男で、
裁判所で日顕の言うことを信じる人は、
ひとりもいません。

ようするに、
裁判所おすみつきの
「大うそつき」です。

正宗は、
そういう男が権力(けんりょく)を
にぎっているようなところですから、
だいたい、
どんなものか、
察(さっ)しがつくと思います。


この日顕という男は、
創価学会を破門(はもん)すると、
創価学会の真心の供養(くよう)で
つくられた正本堂という、
文化遺産(ぶんかいさん)的にも、
建築物としても、
非常に価値(かち)のある、
何百年?以上もつであろう素晴らしい建物を、
わざわざ金をかけて、
いきなりすべて破壊(はかい)し、
取り壊(こわ)し、
そのあと、くだらない、
宗教くさい建物を立てている。

また、正宗の敷地(しきち)にある
美しい桜並木を、
切り倒(たお)してしまっている。


普通の人間のやることではありません。


だから、創価学会では、
日蓮正宗とは呼ばす、
日顕宗と呼んでいますが、
それが日蓮正宗というものです。
いくら口で立派(りっぱ)そうなことを
言っているとしても、
そんなものは、
糞(くそ)にもなりません。


日蓮正宗(日顕宗)というのは、
僧侶が上、
信徒は下、
僧侶の言う事は絶対。
信徒は金を出せ!

それが正宗の本音(ほんね)であり、
彼らの心には、
それ以外のものはありません。


また、その、
日蓮正宗についた人間ほど、
かわいそうな人もいません。

日蓮正宗は、
真実に最も近いところで、
悪逆(あくぎゃく)をしているわけですから、
その罪(つみ)と害毒(がいどく)は、
はかりしれず、
その正宗につくということは、
悪に命をささげるようなものなので、
当然(とうぜん)、
その人は、
底知れぬ不幸に
陥(おちい)っていきます。


宗教というのは、
正邪(せいじゃ)と結果を、
明確にともなうものです。

間違った宗教、
悪(あ)しき宗教につくということは、
その人がかりに、
どんなに善意でやっているにしても、
その対象が悪であり
害(がい)になるものなので、
自分の生命は、
どうしても悪害(あくがい)に染(そ)まり、
その結果、
必ず不幸になっていきます。


だから日蓮正宗につくと、
本当に不幸になります。
口でどんな理屈(りくつ)を言っても、
幸せや功徳(くどく)、
効力(こうりょく)がもたらされることはなく、
さまざまな形で、
あらゆる形で、
不幸がもたらされます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

それとは反対に、
創価学会は、
世界192カ国に広がり、
世界中の人々を幸せにしている。

それは現実に、
ひとりひとりのさまざまな悩みを解決し、
また、夢や希望をかなえる
大きな力となって、
さまざまな形で、
現実に、
幸せの結果を、
もたらしているということです。

結果がでるということは、
それがなによりも、
正しい証拠(しょうこ)となります。

また、創価学会が、
ひとりひとりを蘇生(そせい)させ、
幸せにしていった結果として、
世界にどれだけの平和をもたらしたかは、
計り知れず、
だから世界中の有識者は、
創価学会を絶賛(ぜっさん)し、
賞賛して、
大きな期待と希望をたくしています。


それは、
創価学会と日蓮正宗(日顕宗)との違いを、
歴然(れきぜん)と、
あらわしています。


勝負と結果は、
明確についているとも、
言えます。


だから、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえていれば、
なんでもいいということではなく、
それが悪に向かい、
結果として悪を助けるものならば、
いくら南無妙法蓮華経をとなえても、
不幸になり、
どんなに善意でやっても、
真剣にやればやるほど、
不幸がもたらされます。


それが真実であり、
それゆえに、
決して日蓮正宗(日顕宗)につくべきではなく、
たんなる形式でものごとを考えて、
日蓮正宗で
南無妙法蓮華経をとなえていったならば、
大きなしっぺ返(がえ)しと、
大きな不幸を、
被(こうむ)ることになります・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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