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こころの音174

唐突(とうとつ)だけれど、
日本の一般的な宗教においては、
純粋(じゅんすい)な人ほど、
不幸になると、
言うことができます。

一般的な日本の宗教とは、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、
観光宗教などですが、
どういうことかというと、
それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教は、
あきらかに間違(まちが)った宗教であり、
デタラメな宗教だということです。

それは、ちょっと考えれば、
わかりますし、
仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけば、
完全に間違った宗教であることがわかります。

間違った宗教というと、
ピンときませんが、
はっきり言えば、
人を不幸にしてしまう宗教だということです。

間違った宗教に祈るということは、
自分の生命と人生を、
その間違った宗教に、ゆだね、
ささげていくことになります。

間違ったデタラメな宗教に、
自分の生命と人生をささげていけば、
自分の生命と人生は、
当然(とうぜん)、
間違ったデタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったなら、
その間違った、でたらめの結果として、
それは、
さまざまな形で、
自分の人生と生命に、
不幸をもたらしてしまう!
ということです。


それが、
日本の葬式仏教や神社信仰、
観光宗教だということです。


だから、それらの宗教は、
数字であらわすとしたら、
すべて、マイナスの宗教であり、
-1とか-10、-100、
-1000、-10000などという、
必ず、『マイナス』がつく
存在(そんざい)だということです。

マイナスの度合(どあ)いを、
最も低く見積(みつ)もって、
それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教を、
かりに、数字で
「-1」としたとします。

そして、それらの宗教に祈ることを、
かけ算で表現(ひょうげん)してみます。

そうすると、
「-1」に「1」をかけただけなら、
それでも
「-1」で済(す)みます。

けれど、「-1」に「10」をかけたら、
マイナス10倍の
「-10」になってしまいます。

そして、「-1」に
「100」や「1000」をかけていったら、
逆(ぎゃく)に大きなマイナスである、
「-100」や「-1000」に
なってしまいます。


それが、
世間一般的な葬式仏教や神社信仰、
観光宗教だと、いうことです。

かける倍数(ばいすう)を増やすというのは、
強く純粋に、
真剣に祈っていくことを、
あらわしています。

だから、それらの宗教に
真剣に強く、純粋に祈れば祈るほど、
マイナスにかける倍数が増えていき、
祈れば祈るほど、
「マイナス」の数が増えていく!
ということです。

マイナスの数が増えていくということは、
不幸を被(こうむ)る量(りょう)が
増えていく!
と、いうことです。

だから、それらの
葬式仏教や神社信仰、
観光宗教に、
純粋に、
真剣に祈れば祈るほど、
不幸になっていく!
ということです。

だから、それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などでは、
純粋な人ほど、
不幸になってしまう!
という結論(けつろん)になってしまいます。


不条理(ふじょうり)というか、
よくドラマや映画などで、
なんで、あんないい子が・・・
とかいうことがありますが、
そういう結果にもなりかねない!
ということです。


だから、宗教なんだから、
純粋に真剣に祈ったら、
いいことがありそうだ・・
と考えるのは、
間違えです。

宗教には、正邪(せいじゃ)があり、
間違ったものに祈っていけば、
不幸になります。


それが真実であり、
法則(ほうそく)です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

けれど、素直(すなお)に純粋に祈ったほうが
不幸になるなんて、
こんな、かわいそうなことはありません。

そうではなく、
素直に純粋に祈っていけば、
幸せになっていける、
本当の宗教は、ないものだろうか?と、
考えたくなります。


実は、その、
素直に、純粋に、
真剣に祈れば祈るほど、
幸せになっていける宗教が、
創価学会(そうかがっかい)の
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

この創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法は、
世間の間違った宗教とは逆に、
真剣に祈り、実践(じっせん)すればするほど、
幸せになっていきます。

必ず、プラスの結果が出る!
ということです。
だから、創価学会は、
世界192カ国に広がっている。

もちろん、純粋なだけではだめですが、
真剣に祈り、
勇気をもって、実践していった時、
計(はか)り知れない力と可能性を
発揮(はっき)する。

それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


だから、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、
他の宗教と違い、
文字通り、
『プラス』の宗教なんです。

数字であらわせば、
プラスの1000にも、10000にも
百万にも、一億(いちおく)にもなるのが、
創価学会の信心です。

いわば、創価学会の信心には、
無限の可能性がある!
ということです。

そのプラスの信心に、
祈りという「かけ算」をしていったとしたら、
その数字は、
何百億にも、何兆(なんちょう)にも、
なっていく可能性があります。


それが、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法です。


だから、無駄(むだ)がない。
祈れば祈るほど、
幸せになっていける。



葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などのように、
純粋に祈れば祈るほど、
不幸になるようなことは、
あってはいけない。

純粋に、真剣に祈れば祈るほど、
幸せになっていける、
また、祈りや願いを現実にかなえていける、
真実の宗教が求められます。


そして、その、
本当に祈りからプラスの結果がでる、
どこまでも無限に、
幸せをもたらしていける、
また、悩みや問題を解決でき、
夢や希望をかなえていける力(ちから)のある、
真実の宗教が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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