SSブログ

こころの音179

以前、
ブログのコメントで、
創価学会の南無妙法蓮華経と、
身延(みのぶ)の日蓮宗や
立正佼成会(りっしょうこうせいかい)の
南無妙法蓮華経と、
違(ちが)いがあるのですか?

と質問されたことがあります。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
というのは、どういうものかと言うと、
宇宙の法則(ほうそく)であり
生命の法則です。

だから、正しい対象(たいしょう)に
正しい方向性をもって、
南無妙法蓮華経をとなえていけば、
幸せをもたらしていけます。

それが宇宙の法則に
かなっているからです。

けれど、間違った対象に、
間違った方向性(ほうこうせい)で
祈っていけば、
それは当然、
間違(まちが)った結果、
すなわち不幸をもたらすことになります。

なぜなら、それが道理(どうり)であり、
宇宙の法則だからです。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえれば、
なんでもいいということではありません。


南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を
発見し広めたのは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)ですが、
日蓮大聖人は、
全世界のはるか未来までの
民衆を救(すく)い、
幸せにしていくために、
この南無妙法蓮華経を
世界に伝(つた)えたのですが、
創価学会が出現するまでは、
その生命哲学(てつがく)と思想、
無限の力を、
正しく理解し、把握(はあく)し、
正しく実践(じっせん)することができた団体は、
存在しなかったと言えます。

せいぜい、
「ありがたやーありがたやー」という、
おすかり信仰や、
観光に利用する観光宗教くらいにしか、
考えられなかったんです。

そんな考え方で、
南無妙法蓮華経をとなえたところで、
効力や功徳(くどく)が
あらわれるわけがなく、
かえって、
間違った使い方、
間違った方向性で祈っているので、
逆に害(がい)になり、
間違った結果である
不幸をもたらすことになります。

その部類(ぶるい)にはいるのが、
身延の日蓮宗や立正佼成会です。

日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の
仏法(ぶっぽう)の本当の意味を、
まったく理解できず、
適当(てきとう)に変えて、
観光宗教化、おすかり信仰化して、
南無妙法蓮華経を使っているに過(す)ぎませんから、
なんの効力(こうりょく)もなく、
幸せをもたらすこともありません。

かえって南無妙法蓮華経を使って、
真理(しんり)に近いところで、
間違ったことをしていますから、
その悪害は大きく、
さまざまな不幸をもたらします。

それが道理であり、
また宇宙の法則であるとも言えます。


だから、身延の日蓮宗や立正佼成会で
南無妙法蓮華経をとなえたところで、
効力はなく、
不幸になります。

それが本当のところです。


人は、このことをわかろうとしないのですが、
間違った対象(たいしょう)に、
間違った方向性で祈れば、
いくら南無妙法蓮華経をとなえても、
不幸になります。

それが道理であり真実です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

それに対し、
日蓮大聖人の
南無妙法蓮華経の仏法を、
唯一(ゆいいつ)、
正しく理解し、
実践することができたのが、
創価学会(そうかがっかい)です。

いわば、日蓮大聖人の
南無妙法蓮華経の仏法を、
現代によみがえらせたんです。

だから、創価学会の中で
南無妙法蓮華経をとなえていくと、
どんな悩みも解決していけ、
夢や希望をかなえて、
幸せを勝ち取っていけるんです。

また、だから創価学会は、
世界192ヶ国に広がっている。


・・それは、結果がでるからです。
結果がでるということは、
それが正しい証拠(しょうこ)となります。

いわば、創価学会の中に、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法の生命が、
脈打(みゃくう)っている!
と言えます。

だから、創価学会の中で、
南無妙法蓮華経をとなえていくと、
幸せになるんです。


現実問題として、
身延の日蓮宗や立正佼成会、
その他の団体で、
南無妙法蓮華経をとなえたところで、
幸せにはなりません。

逆(ぎゃく)に間違ったことをしていますから、
当然の結果として、
さまざまな形で、
不幸がもたらされます。


だから、他の宗教や団体と区別するために、
あえて、
『創価学会の南無妙法蓮華経』
と言っているわけです。


そう言わなかったら、
誤解(ごかい)を呼び、
南無妙法蓮華経だったら、
なんでもいいと間違えて、
人を不幸にしてしまう、
恐(おそ)れがあるからです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

こころの音178

以前、
聖教(せいきょう)新聞に、
ブラジル文学アカデミーの
『アタイデ総裁(そうさい)』の話しが、
のっていました。

アタイデ総裁といっても、
知らないと思いますが、
アタイデ総裁は、ブラジルで、
1930、40年代、独裁(どくさい)を
真っ向(まっこう)から批判(ひはん)し、
3度の投獄(とうごく)、
3年間の国外追放(ついほう)に
耐(た)えた人物です。

70年間以上、ペンを振(ふ)るい、
発表したコラムは5万本。
テレビに20年、
ラジオには30年にわたって
毎週出演し、
人権擁護(じんけんようご)の
『声の弾丸(だんがん)』を
放(はな)ち続けた人です。


その名前は
『強靭(きょうじん)なリベラリスト(自由主義者)』
として、
ブラジルにおいては
伝統的な響(ひび)きを
持っているそうです。


そのアタイデ総裁が、
1959年から30年以上にわたって
率(ひき)いてきたのが、
南米最高の知性の殿堂(でんどう)、
『ブラジル文学アカデミー』です。

在外会員は、
トルストイ、
エミール・ゾラ、
アンドレ・マルロー
らの名が連(つら)なる。

そして、アタイデ総裁が
34年間で初めて
推薦(すいせん)したのが、
創価学会(そうかがっかい)インタナショナル会長である、
池田大作先生です。


アタイデ総裁は、言っている。


「私には池田会長の偉大(いだい)さがわかる。」

「民衆のために戦い、
苦しみ抜(ぬ)いた者にしか、
彼と、彼を支(ささ)える
香峯子婦人(池田会長婦人)
の心は分からない。」


「迫害(はくがい)を受けた者だけが、
池田会長の価値(かち)を知るのだ。」


さらに、アタイデ総裁は言う。

「一人の指導者が道を開けば、
皆がその後を
従(したが)うものです。」

「未来はひとりでに、
やってくるものではありません。
人間自身が切り開くものです。


その人間の一人が、池田大作氏です。」



そのアタイデ総裁が、
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長と、
会見したのは、
1993年。

アタイデ総裁が94歳の時です。

その時の模様(もよう)が、
聖教新聞には、
記されていました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『言論(げんろん)の獅子(しし)』が、
そこにいた。

顔に刻(きざ)まれた深いしわ。
白く伸びた髪(かみ)。
何より、小さい体から
発散(はっさん)される威厳(いげん)は、
地走る者の王・ライオンを思わせた。

1993年の2月9日。
時間は午後9時。
ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、
貴賓室(きひんしつ)で
2時間も前から待っている。

リオデジャネイロのガレオン国際空港。
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、
27年ぶりに、
このブラジルの古都(こと)に
降(お)り立とうとしていた。

総裁(そうさい)は94歳。
頭脳(ずのう)は明晰(めいせき)だが、
さすがに足腰(あしこし)は、
衰(おとろ)え、
ふだんは歩くのに、
2人に両脇(りょうわき)を
抱(かか)えてもらうことも、
たびたびであった。

ソファに座(すわ)る総裁に、
体調を心配(しんぱい)した
周囲(しゅうい)は、
別室で休んではどうかと勧(すす)めた。

だが、総裁は言った。

「私は、94年間も
池田会長を待っていたのです。
1時間や2時間は何ともありません。」


SGI会長を乗せた
旅客機(りょかっき)が着いた。

総裁はソファから身を起(お)こし、
ドアのほうへ、
一人で足を運(はこ)んだ。

扉(とびら)が開いた。

池田SGI会長が
両手を大きく広げて歩(あゆ)み寄(よ)り、
総裁の両腕(うで)を
下から支(ささ)えた。

「『世界の宝(たから)の人』です。
私が総裁のことを、
世界に、
永遠(えいえん)に残します!」


総裁は応(こた)えた。


「会いたい人にやっと会えました。
池田会長は、
この世紀(せいき)を
決定づけた人です。

戦いましょう。
2人で力を合わせ、
人類の歴史を変えましょう!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ぼくが思うに、
映画やドラマ、
小説の世界ではなく、
現実の生身(なまみ)の人間が、
こういう会話を、
かわしていること自体(じたい)、
スゴイことだ!と
思いました・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

アタイデ総裁と
池田SGI会長の2人は、
対談集の発刊(はっかん)を目指して、
口述筆記(こうじゅつひっき)などを通して、
対話を続けることで
合意(ごうい)した。

だが、
総裁の体調(たいちょう)は
思わしくなかった。

総裁の秘書は、
率直(そっちょく)に

「口述筆記も、
タイプライターで原稿(げんこう)を打つことも
無理(むり)でしょう。

最近は笑(え)みを見せることも
ないのです。」

と話した。


93年6月、SGIのスタッフから、

「回復するまで、
いつまでかかってもお待ちします。」

との池田SGI会長の伝言が、
総裁に伝えられた。

じっと聞いていた総裁が、
ほほ笑(え)んだ。

「ありがとうございます。
私にはもう時間がありません。
すぐに始めましょう。

しゃべって、しゃべって、
しゃべり抜きます。

人類の未来のため、
21世紀のために
語り継(つ)ぎましょう!!」


口述はそれから、
毎週土曜日、
リオの総裁の自宅で行われた。

SGI会長の書簡(しょかん)での質問に、
総裁は毎回2時間、
思索(しさく)を重ねながら、
身じろぎもせず、
語り続けた。

SGI会長からは
毎回、
花束(はなたば)が届けられ、
総裁はいつもそれを、
応接間(おうせつま)の
純銀(じゅんぎん)の花瓶(かびん)に
飾(かざ)って、
眺めるのだった。


最後の「対談」は
8月21日。

テーマは
「人権の闘士・マンデラに学ぶ」
であった。

その6日後に、総裁は入院した。

「私には、
やらなければならない
大事な仕事がある。

早くここを出してください。
私は、池田会長との対談を
続けなければならないのだ。」


医師や看護士に
そう何度も訴(うった)えた。


総裁が逝去(せいきょ)したのは
93年9月13日。

SGI会長は悲報(ひほう)を聞き、
すぐさま弔電(ちょうでん)を送った。

10月には
文学アカデミーの強い要請(ようせい)により、
2人の出会いを描いた
油彩画(ゆさいが)
『アタイデ総裁』が、
同アカデミーに贈られている。

さらに息女(そくじょ)の、
ラウラさんと夫のシィッセロ・サンドローニさん、
子息(しそく)のロベルト・アタイデさんを、
池田SGI会長は翌年8月、
長野研修道場で
歓迎(かんげい)した。


「父が毎日、
使っていたペンです。
父の名前が刻(きざ)まれています。」


席上、ラウルさんから、
総裁の「武器」であった
金色のボールペンが、
池田SGI会長に渡された。

友情は、家族と、
アカデミーの後継者(こうけいしゃ)たちに
受け継(つ)がれたのである。


対談集「21世紀の人権を語る」は
95年に日本語版、
2000年にポルトガル語版が
発刊(はっかん)。

未来を見通(みとお)した総裁の
『遺言(ゆいごん』で、
語らいは結(むす)ばれた。


『池田会長の存在(そんざい)は、
人類の歴史に残り、
その運動は、
時代とともに、
広がりゆくことでしょう。

そして21世紀は、
新たなヒューマニズムが実現された時代として、
人類の歴史に、
深く刻(きざ)まれることになるでしょう。』


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

こころの音177

時々、芸能界で、
覚醒剤(かくせいざい)の話題を聞く。

芸能界も、なにかと大変だと
思ってしまう。

悪いとわかっているのに、
何がいいんだろうと思ってしまう。

テンションを上げるためなのか、
生活の中で、
覚醒剤に頼(たよ)らなければならない状態に
なってしまうんだから、
やはり、
覚醒剤は恐(こわ)いと思う。

覚醒剤を使用していけば、
自分の身体(からだ)もボロボロになるし、
不幸になっていくのは、
わかりきったことなのに、
それでもなお、
マイナスの力(ちから)によって、
心のやすらぎや、
よりどころを、
求めようとするのだろうか?

ようするに、
そうしないといられないような
日々のプレッシャーやイライラ、
心の痛みや辛(つら)さがあるのだろうか?

覚醒剤に頼らざるえないほど、
人生に希望と幸せを、
見いだせないのだろうか?


人生からの逃避(とうひ)、
快楽(かいらく)、


やはり、覚醒剤に、
よりどころと、やすらぎを
求めてしまうのだろうか?



今は知らないけれど、
以前は、ジャズの音楽家たちの間でも、
覚醒剤が、多々、
使用されていたようだ。

詳(くわ)しいわけではないけれど、
ジャズという音楽は、
アドリブの部分が多く、
インスピレーションや高揚感(こうようかん)が、
求められるようだ。

そのインスピレーションや高揚感を得るために、
覚醒剤を多用した人も、
多いようだ。


けれど、そのジャスの世界で、
現代では、
『創価学会(そうかがっかい)』に入っている人が、
多い・・!!

それは、創価学会が、
麻薬(まやく)や覚醒剤のようだということでは、
まったく、ない!!

逆(ぎゃく)です。

覚醒剤が、精神におよぼす、
『マイナスの力』だとすると、
その数百倍、数千倍、数万倍の、
『プラスの力』が、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
『歓喜(かんき)の中の大歓喜』
だという。

それは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の生命を歓喜させる!
ということです。

人間が持っている、
本源的(ほんげんてき)な生命の力、
その『プラスの力』を、
無限に呼び覚(さ)まし、
創造力(そうぞうりょく)を湧(わ)き上がらせ、
生命を高揚(こうよう)させていく・・!!

そして、その、
生命のプラスの力は、
自分だけでなく、
まわりの人々、
世界にも、伝わっていく。


それは、多くの音楽家が、
欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがないものであり、
まさに、望んでいるものだと、思います。

南無妙法蓮華経をとなえることによって、
自分の生命を歓喜させ、
無限の創造力を駆(か)り立てていく。
そして、人々を幸せにしていける。

そういう力が湧(わ)き上がってくるのが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ことだとも、言えます。


だから、ジャズの世界でも、
創価学会の人は多い。


世界的に有名なジャズ・ピアニストの
ハービー・ハンコック氏が、
創価学会に入会するきっかけになった話しは、
よく、知られていますので、
紹介したいと思います。

ハービー・ハンコック氏は、語っています。

『私に信心を教え、
SGI(創価学会インターナショナル)に
縁(えん)させてくれていたのは、
私のバンドでベースを弾(ひ)いていた、
バスター・ ウィリアムスさんでした。

ある公演で、
彼は驚(おどろ)くべき
ソロ演奏を披露(ひろう)し、
私たちを高揚(こうよう)させたのです。

演奏が終わると
大勢(おおぜい)の聴衆(ちょうしゅう)が
ステージに走り寄(よ)ってきました。

感動のあまり
泣(な)いている人もいました。

その衝撃(しょうげき)の公演が終わった後、
私は思わず
彼を楽屋(がくや)に連(つ)れていき、
尋(たず)ねたのです。


「君が、何か新しい哲学(てつがく)か
宗教を実践していると聞いている。

もし、それが、
こんな演奏を可能にするのなら、
それが何かを知りたいんだ。」

と。

バスターは、それについて
私に話す機会(きかい)が訪(おとず)れることを
祈っていたと言って、
『南無妙法蓮華経』の題目(だいもく)について
話し始めました。

彼は、それが『法(ほう)』であり、
宇宙の法則(ほうそく)であると
話してくれました。

私は彼の話しに
多くの希望が含(ふく)まれていることに
好感(こうかん)をもちました。

『南無妙法蓮華経』が何かは
分かりませんでしたが、
バスターは、
私が信じようが信じまいが、
南無妙法蓮華経には力(ちから)があり、
効果(こうか)があると
力説しました。

それで私は

「まだ信じてはいないが、
試(ため)すだけなら、
失(うしな)うものは何もない!」

と始めてみたのです。』

・・・
そして、現在にいたり、
何度もグラミー賞を受賞するなど、
大活躍(だいかつやく)しているわけです。


また、
同じく有名なジャズ・奏者である
ウェイン・ショーターさんも、
語っています。

ショーターさんは、
亡(な)き奥様のアナ・マリアさんから
創価学会の信心を教わったそうです。

ショーターさんは、語っています。

『彼女(ショーターの奥さん)は、
ハービー(ハービー・ハンコック)から、
この信心を紹介されました。

私は、彼女がどう行動するのかを
見ていました。

創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる信心を
実践して、しばらくすると、
彼女は別人のように変わりました。

私は非常に驚(おどろ)きました。
その時の気持ちは、
言葉では表(あらわ)せません。

そこで、私にも教えてほしいと
頼(たの)んだのです。』


ひとことで言うと、
これが創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の
『プラスの力』だと思います。

だれもが、口にはしないけれど、
望んでいるもの。
生命の幸せへの変革(へんかく)、
人間性の開花、
幸せへと向かう生命の喜び、
心に感じる高揚感(こうようかん)と感動・・。

それらの
人間が本質的(ほんしつてき)に求めている
幸せへの欲求(よっきゅう)、
幸せでありたいとする人間性の開花が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法には、
ある!ということです。


そして、もうひとつ、
言いたいことは、
この創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰が、
ただ単(たん)に、
生命を歓喜させ、高揚(こうよう)されると
いうことではなくて、
現実の人間を取り巻(ま)く、
さまざまな悩みや問題を解決でき、
人それぞれの夢や希望をかなえていく
大きな力(ちから)となっていく!
ということです。

そして、人生における、
どなん試練(しれん)や困難も
乗り越(こ)えていける、
大きな大きな力であり、
エネルギーでありパワーとなっていくと、
いうことです。

ゆえに、世界192ヶ国の、
創価学会の人たちが、
この南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、
現実に悩みを解決し、
夢や希望をかなえて、
大いなる喜びと感動をもって、
人生に挑戦している。

ウェイン・ショーターさんが、
妻が別人のように変わっていく姿に、
言葉では表せないほど驚いたように、
ハービー・ハンコックが、
強烈(きょうれつ)な衝撃(しょうげき)をおぼえたように、
人々をより良く変革し、
歓喜させ、
幸せにしていく。


それが、
人生も、人間性も、
未来も、生命も、
幸せに変革していける、
創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰だということです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

不幸になるとわかりきっている、
麻薬や覚醒剤・・・。

そんなマイナスの力に頼らなくても、
心を、やすらがせ、
心を高揚(こうよう)させ、
すがすがしく歓喜させ、
世の中のどんな荒波(あらなみ)にも
負けない生命力を、わき上がらせて、
生き生きと生きていく方法がある!

どんな苦難も、悩みも、
障壁(しょうへき)もストレスも、
乗り越え、
勝っていける方法がある!!


それが、南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぷっぽう)の信仰です。


生命を蘇生(そせい)させる力!
生命を歓喜させる力!
傷(きず)ついた精神や生命を復活させる力!
日々の生活を、清々(すがすが)しく、
前向きに挑戦していける力!!

覚醒剤(かくせいざい)が、マイナスの力ならば、
南無妙法蓮華経の仏法は、
究極のプラスの力です。

その無限のプラスの力によって 、
生命を元気にし、
歓喜させ、
幸せになっていくんです!!

当然、それは、違法(いほう)でもなんでもない。
『南無妙法蓮華経を、となえる』という
日々の行動によって、
自分の中から最高の生命力を、わき上がらせ、
生命と心を蘇生(そせい)させ、歓喜させ、
輝(かがや)かせる。


その、
究極の、
無限の、
『プラスの力』が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感