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こころの音196

人気のあるマンガ、
あるいはアニメに、
「進撃(しんげき)の巨人」
というのがあります。

その「進撃の巨人」の中で、
「女型(めがた)の巨人」というのが
出てきます。

女型の巨人は、
強力な敵(てき)で、
最終的に、この女型の巨人と
主人公であるエレンは、
戦うことになるのだけれど、
その女型の巨人の正体が、
軍の訓練兵として、
3年間、同じ釜の飯(かまのめし)を
食べた仲間である、
アニであることを知って、
エレンは戦うことができない。

エレンの巨人化の能力を
使うためには、
確固(かっこ)たる目的が必要で、
目的がはっきりしないと、
エレンは巨人化の能力を
使うことができない。

敵であるアニが、
訓練兵時代の仲間であったために、
それがブレーキとなって、
どうしても巨人化することができない。

最終的には、他の仲間の
叱咤激励(しったげきれい)によって、
エレンは巨人化して、
アニと戦うが、
エレンが躊躇(ちゅうちょ)し
巨人化できなかったのも、
ごもっともだとも思う。


何かの明確な目的がないと、
どんなにスゴイ力(ちから)も
使うことができない・・・。

明確な目的を持って、
本当にそうしようと思わないかぎり、
その力を使うことができない。


確かにそれは、うなずける。


目的もなく、本当にも、
そう、思っていなかったら、
その力が出てくるとは
思われないからです。

また、自分が、
目的のもと、
本当にそうしようと思うから、
その力を発揮していくことができる。


これは、アニメやマンガの
中だけの話しではなくて、
現実の中でも、
そうだと思う。


人は、何かの目的を持って、
ほんとうにそうしようと思わなかったら、
その力を発揮(はっき)することができない。

目的に目覚(めざ)め、
ほんとにそうしようと思うから、
そのように行動し、
それを成し遂(と)げていく。

はっきりとした目的意識をもって、
ほんとうにやろうと思う時、
そのための、
さまざまな知恵や能力を発揮し、
自分が実現したいことを
成(な)し遂げていく。


それが、人間というものだと思う。


けれど、
それが難(むずか)しいのも、
現実だと思う。

だから、幸せになりたいのに、
なかなかなれないことも、
多々(たた)あると思う。

また、
不幸に沈(しず)んでいってしまう人々も、
多くいる・・。

やはり、幸せになっていくためには、
明確な目的意識と、
それを開花させていくための
『方途(ほうと)』が、
必要になってくると思う。

その明確な目的意識と、
それを実現していくための
方法と行動が噛(か)み合っ時、
人は幸せになっていけるのではないか・・!
と思う。


実は、その、
幸せに対する明確な目的意識と、
それを実現していく究極(きゅうきょく)の方法が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰は、
自分の中に、
幸せに対する最高の目的意識を
もたせてくれる。

目的意識を持つというよりも、
南無妙法蓮華経をとなえていると、
自分の中から、
幸せになろうとする、
「最高の意識(いしき)」が、
自然に湧(わ)き上がってくる。

やがて自分の中から
湧き上がってきた
「幸せに対する最高の意識」は、
さまざまな知恵や勇気、
行動となって、
その人を動かし、
結果として、
その人を幸せにしていってしまう。


南無妙法蓮華経をとなえることは、
自分の中から、
幸せに対する最高の意識を
目覚(めざ)めさせ、
幸せに対する最高の目的、
また、幸せに対する最高の生命力、
最高の勇気や知恵をもたらし、
それは、自分の中から、
さまざまな力(ちから)、
能力や可能性を
発揮(はっき)することになっていき、
そうなった時、
おのずから、
その人は、
幸せになっていくことができる。


それが、
創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰』
だということです。

また、南無妙法蓮華経を
となえることの可能性と力(ちから)は、
無限大なので、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
自分だけでなく、まわりの人々、
環境や世界からも、
幸せをもたらす、
さまざまな可能性を引き出し、
それは、結局(けっきょく)、
自分のいる世界、
環境を幸せに変えていくことになる。


ゆえに、勝利していける。
幸せになっていける。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

進撃の巨人の中の
エレンのように、
人は人生において、
戦うか戦わないかの、
瀬戸際(せとぎわ)に立たされる時が、
ある・・・!!

その時に、勝つか負けるかは、
その人の中にある、
『目的意識』にかかっている。

その『目的意識』が、
真(しん)に正しく、
強靱(きょうじん)なものであるならば、
その人は、どんな瀬戸際(せとぎわ)に
立たされたも、
戦うことができる。

そして、勝つこてができるだろう。

その最も正しく、
最も強靱(きょうじん)な
目的意識を持つことができるのが、
この創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、言えます。

幸せと平和に対する、
これ以上素晴らしく、
これ以上強靱な目的意識は、
ありません!!

また、幸せと平和に対する、
これ以上の希望であり、
エネルギーもありません。

幸せと平和に対する、
無限(むげん)の力(ちから)となるもの!

それが、
創価学会の、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


だから、創価学会の人たちは、
幸せになっていけるんです・・!

また、創価学会の信仰と、
他の信仰との違(ちが)いは、
ここにあります!!!

どんな苦難(くなん)の中でも、
どんな絶対絶命(ぜったいぜつめい)
の時であろうとも、
平和と幸福に対する、
最高の目的意識をもって、
立ち上がることができる。

エレンが立ち上がったように・・!

そして、勝利していける!!!


・・・
重要なことは、
創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
という仏法の実践が、
自分の中から、
幸せに対する最高の目的意識を、
『現実に、湧(わ)き上がらせる!!』
ということです。

そして、それにともない、
幸せをもたらすための
最高の生命力、
最高の勇気、
最高の知恵が、
実際に湧(わ)き上がってくる!
ということです。


それは結局、
自分の中から、
さまざまな可能性を
発揮していくことにつながり、
やがて、悩みの解決や、
夢や希望の実現など、
さまざまなことを可能にし、
その人に
勝利と幸せをもたらしてくれる。


あたかもそれは、
「進撃の巨人」の中で、
エレンが、明確な目的を持った時、
巨人化という、とてつもない力を
発揮できたように、
大きな大きな可能性と力を、
発揮してくれる・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音195

以前、ネコの視点(してん)から、
人間の世の中のことを語った歌詞(かし)の、
歌を聴(き)いたことがあります。

定(さだ)かでありませんが、
その歌によると、

人間界は大変だ・・・。

出世とか、ノルマとか、
人付き合いや、ひいては権力争い。

人間界は大変だ・・・。

化粧(けしょう)とか、エステとか、
上司や彼氏、
結婚とか、離婚とか。

人間界は大変だ・・・。

出会いとか、別れとか、
からまって、解(と)けない人間模様(もよう)。



確かに・・・、ネコから見れば、
人間の世界は大変かもしれない。

というか、人間から見ても、
人間の世界は大変です。

さまざまな思惑(おもわく)が、
ぶつかり合い、
複雑(ふくざつ)極(きわ)まりない
状況をつくっている。

自分がピンチに陥(おちい)ることもある。
罠(わな)にはめられたように、
苦境(くきょう)におちいることもある。


創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が、言っています。

『時には、

「どうして自分ばかりが・・・・・」

とグチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

しかし、煩(わずら)わしい試練(しれん)と、
祈り戦うからこそ、
仏(ほとけ)の力が出せる。
泥(どろ)が深ければ深いほど、
やがて美事(みごと)な幸福勝利の
大輪(だいりん)を咲(さ)かせていけるのが、
『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
の妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)
である。』


『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
というのが難(むずか)しいですが、
蓮(はす)の花が、
泥沼(どろぬま)の水の上に、
美しい花を咲かせるように、
苦悩・渦巻(うずま)く、
どんな泥沼のような
環境(かんきょう)や人生からも、
美しい、勝利と幸せの花を
咲かせることができる!
との譬(たと)えだと思います。



人の人生は、さまざまだ。

けれど確かに、
美しく澄(す)んだ水の上に、
優雅(ゆうが)に
浮(う)かんでいられるような人など、
ほとんどいないと思う。

また、表面的には、
優雅に見えたとしても、
内面的には、
どろどろの苦悩(くのう)と
戦っているような場合も多いと思う。

どっちにしろ、
そんじょそこらのことでは、
にっちもさっちもいかないのが、
人生だと思う。


皆、現実と人生の、
さまざまな苦難や苦悩、
現実と理想(りそう)のギャップに悩み、
その中で戦っていると思う。

そして、その中で、
泥沼に咲く蓮の花(はすのはな)のように、
花を咲かせ、
光り輝(かがや)いていかなければならない。


それが多くの人の人生だと、
言えると思います。


池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなこともあるかもしれない。
グチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

けれど、それでは、花は咲かせていけない。

その泥沼の上に、
美しい花を咲かせなければならない。


実は、そのための、
絶対の力(ちから)、
無限の力、
どんな苦難も幸せに変えていける力が、
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


泥(どろ)が深ければ深いほど、
美しい花を咲かせていける。

それが、究極(きゅうきょく)の幸せの力、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんだと思う。


世の中が悪い。
環境(かんきょう)が悪い。
あの人が悪い・・。

確かにそうなのかもしれないけれど、
そう思っても、
どうにもなっていかない・・。

その世の中、
その厳(きび)しい環境の中でも、
幸せになっていかなければならない。

勝っていかなければならない。

まさに、泥沼(どろぬま)のような
環境や状況(じょうきょう)であっても、
それでも、
花を咲かせなければならない。

それは確かに、
至難の技(しなんのわざ)であり、
どうにも手がつけられない
難問でもあると思う。


いったい、どうしたらいいのか?


理屈(りくつ)で、ああだ、こうだ
言うことはできる。
けれど、
はたして、
それができるのか?

蜘蛛(くも)の網(あみ)のように
絡(から)まった
人間模様(にんげんもよう)や
さまざまな状況・・・。

それを、プラスの方向、
幸せの方向、
勝利の方向にもっていくことが、
どれだけ困難であり、
奇跡(きせき)といっていいくらい
難(むずか)しいことであることは
わかっている。

あらゆるものが、
微妙(びみょう)に絡(から)み合い、
複雑極(ふくざつきわ)まりない
状況を作っている。

その中で、
「あみだくじ」のように道をたどり、
幸せをつかんでいかなければならない・・・。


確かに、困難な道だといえる。


けれど、その困難な道を
実現できる方法がある・・・!

蜘蛛(くも)のからまった糸のような
複雑な人間関係と状況、
環境、人生・・。

その、蜘蛛の糸のように
複雑な編み目(あみめ)の中でも、
そこを完璧(かんぺき)にくぐり抜け、
誤(あやま)りなく、
勝利と幸せをつかんでいける秘宝(ひほう)・・!

その秘宝が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。


この創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法が、
どけだけスゴイか・・・!

あらゆるものを幸せに結(むす)びつけ、
あらゆるものを、
あらゆる人々を幸せに向かわせ、
たどり着かせる。
確かに、普通、考えたら、
不可思議(ふかしぎ)としか思えない
幸せの奇跡(きせき)を、
もたらしていけるのが、
この南無妙法蓮華経の仏法です。

にっちもさっちもいかないような人間関係、
またその環境や状況、
それを完璧に調和(ちょうわ)させ
幸せに導(みちび)いていってしまう力(ちから)が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法にはある・・!

それは不思議(ふしぎ)だけれど、
なんというか・・、
宇宙の力、生命の力、
宇宙の本源的な法則(ほうそく)に
導(みちび)かれているとしか
表現できないけれども、
そういう、
とてもできない芸当(げいとう)を
やってのけてしまう力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰には、
ある!ということです。


ゆえに、蓮(はす)が、
泥沼の中から
美しい花を咲かせるように、
人生を勝利していける。
幸せになっていける。


もろもろの悩みも
困難(こんなん)も、
さまざまな人間関係や状況も、
すべて乗り越え、
勝利していける。


そういう生き方が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

ネコではないけれど、
確かに、人間の世界は大変だ。

そして池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなことも
あるかもしれない。


では、どうしたらいいのか?


結論(けつろん)から言うと、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰は、
あらゆるものを、
あらゆる事象(じしょう)を、
あらゆる人々を、
幸せへと引(ひ)っぱり導(みちび)いてくれる。

それは、自分だけではなく、
家族や自分のかかわる
人々にまで影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、
その人たちに
最善(さいぜん)の幸せを、
もたらしてくれる。

時には、悲しいこと、
辛(つら)いこともあるかもしれない。
けれど、時とともに、
自分が、家族が、
最善の方向に進み、
最良(さいりょう)の幸せを
もたらしていたことが、
わかってくる。


それが、実感(じっかん)として言えます。



これほどの力(ちから)があるだろうか・・・?


現実に、これほどの
幸せをもたらす力は、
あるだろうか?


はっきり言って、他にはない・・!!


この、創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)でしか、
この現実の中で、
確実に、
幸せと歓喜(かんき)を
もたらす方法は、ない!!!

それは、
あらゆるものが積(つ)み重なり、
関係し合い、
ひとつひとつの事象(じしょう)からは
わからないかもしれないけれど、
それが重(かさ)なり合い、
素晴らしい錬金術(れんきんじゅつ)のように、
すべてが、微妙(びみょう)に、
しかも完璧(かんぺき)に結(むす)びつき、
結果として、
最高の幸せをもたらしている。

それは、
目には見えない奇跡と言えるかもしれない。

あたかも、蜘蛛の糸のような
複雑な編み目(あみめ)を、
誤(あやま)りなく、みごとに、
完璧(かんぺき)にくぐり抜けていくように、

よくもこんな素晴らしいものが!!
と思うような、
錬金術(れんきんじゅつ)のように、

その人に、
勝利と幸せをもたらしてくれる。

そういう目には見えない
幸せの芸術(げいじゅつ)を
もたらしていく力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!
ということです。

そして、その幸せの芸術が、
どれだけ多くの人を、
幸せにしてきたか!!
どれだけ多くの人の
悩みを解決(かいけつ)し、
夢や希望をかなえてきたか!!。

それこそ計り知れない。


その積み重ねが創価学会であり、
世界192カ国に広がる
創価学会の、
平和と幸福のスクラムなんだと、
思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音194



人は花に学ばなければ・・・。


花はいつも

一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。

投げやりに咲いている花はない。

いやいや生きている花はない。

途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。

笑うことを忘れた花はない。

過去にとらわれたり、

人のあらを探(さが)したりしている

花はない。



これは、
創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が書かれた
詩の中にある一節(いっせつ)ですが、
確かに、そうだと思う。

花は、だから、
きれいなのかもしれない。

なにものでもない、
自分自身を咲(さ)かせることに、
なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく
全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、
打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の
戸田城聖先生が、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、

『自分自身に生ききることだ!』

と言っていた。


あの人がこう、
この人がどうではない。

自分が自分自身に
生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、
これがなかなかできないのも、
現実だと思う。

そして、ああだ、こうだと
文句(もんく)を言う。
愚痴(ぐち)を言う。
そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。


何かかが間違(まちが)っているんだと思う。
幸せというものの本質(ほんしつ)が
見えなくなっているのかもしれない。

何かが狂(くる)っている。
人間の生命に
なにかの間違った
思想や考えがこびりつき、
花のように、
健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、
これを、
『宿業(しゅくごう)』
という。

『宿業(しゅくごう)』とは、
自分の生命に、
深く宿(やど)ってしまっている、
その人を苦しめている
根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、
避(さ)けたくても避けることのできない
苦しみや悲しみ、
自分はどうして、
こういう自分に生まれてしまったのか?
というような、
辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、
なんで自分がと思うような
過酷(かこく)な病気や事故など、
その人がもって生まれた、
どうしようもないような運命などを
いいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、
人を苦しめ、狂わせ、
花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、
妨(さまた)げている。

そして、
その人を不幸にしている。


不幸の根源(こんげん)には、
『宿業』がある!
と言えるかもしれない。


そして、その『宿業(しゅくごう)』が
どこから起こってくるかと言えば、
それは、
間違った思想(しそう)、
間違った宗教から起こってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、
その原因(げんいん)に
たどり着くことはないけれど、
人間の不幸は、
間違った宗教によって、起こる!!
と言えます。

自分は、宗教なんかには、
かかわっていないと、
言うかもしれない。

けれど、
自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、
なにかしらの宗教をやっているし、
世の中は、
間違ったデタラメの宗教だらけなので、
日々、その、
間違った宗教に触(ふ)れている
と、言えます。


正月といえば、
初詣(はつもうで)だといって、
さまざまな神社やお寺に行くし、
観光(かんこう)でも
さまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に
祈りをささげる。

また、葬式(そうしき)となれば、
ほとんど、それらの
葬式仏教などに
祈りをささげる。

そして、それらの
葬式仏教にしても、
神社信仰にしても、
観光宗教にしても、
デタラメな間違った、
人を不幸にしてしまう宗教です。

それらに、良いことだと思って、
祈りをささげる。


それらの、葬式仏教や神社信仰、
観光宗教に祈りをささげるということは、
デタラメなもの、間違ったものに、
祈りをささげることになり、
自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが
投影(とうえい)され、
間違ったもの、デタラメなものが、
自分の生命に
植(う)え付けられることになっていく。

間違った宗教、デタラメな宗教が、
自分の生命に植え付けられたならば、
当然(とうぜん)、
自分の生命には、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿(やど)っていく・・。

自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿ったならば、
それが、悪(あ)しき、
不幸なる宿業(しゅくごう)となり、
その宿業が、
時とともに噴出(ふんしゅつ)して、
その人を苦しめることになる。


また、
過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、
間違った、人を不幸にする宗教に
かかわってしまったために、
さまざまな不幸なる
宿命(しゅくめい)を持って、
生まれてきたとも
言えます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・


人間は、
花のように、生きるべきだと、
思います。

けれど、それをできなくしているのが、
『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、
決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえることは、
自分の中から、
花のように生きる力を
復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする
生命力が復活し、
その人を、
真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、
草木についた、
つゆや水滴(すいてき)は、
あっという間に消えてしまうように、
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
花のように真っ直ぐに生きることを
妨(さまた)げる宿業が、
打ち破られ、
幸せに向かって、
希望にむかって、
生きていけるようになっていく。


南無妙法蓮華経には、
宿業を打ち破る
大きな大きな力(ちから)がある!
ということです。


南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、
仏法(ぶっぽう)の実践活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
自身の宿命が転換(てんかん)され、
悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
夢や希望をかなえて、
幸せを勝ち取っていくことが、
できるようになっていく。


それは、美しい花のように・・・。



『南無妙法蓮華経は
蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』

というけれど、
南無妙法蓮華経をとなえると、
自分の生命が
蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経を
となえることによって、
自分の中から
生命力が湧(わ)き上がり、
勇気が出てきて、
元気と希望がでできて、
その人の生命は、
文字通り、
蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、
自分の人生と未来を、
花のように
真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、
その人を動かす。


やがて、
種(たね)から花が咲くように、
その人の人生に、
勝利と幸せの花が
咲いていく。



人は、花のように、生きるべきだ・・!



そして、それを可能にする、
希望と勇気と
どんな困難(こんなん)も打ち破る
無限(むげん)の力が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音193

創価学会員は
世界中にいますから、
どこでも、皆、
喜々(きき)として
がんばっています。

以前、聖教(せいきょう)新聞で、
ハリウッドで
がんばっている、
創価学会員の紹介をしていました。
(ハリウッドでがんばっているとは、
映画俳優ということではなく、
ハリウッドの地域に住んでいる
ということです。)


ウエスト・ハリウッド支部で
副支部長を務める、
グレゴリー・リンゴさんが語っています。

「支部の多くのメンバーが、
エンターテイメント産業で働いてます。
7割(わり)以上は
そうじゃないでしょうか。

生活リズムがバラバラで、
皆、苦労しています。
でも、みんな、
忙(いそが)しい中で、
学会活動(創価学会の活動)にも
頑張っていますよ。」

リンゴさんは、
レコーディングアーティストであり、
ジャズピアニスト。

彼が入会したのは
結婚する前。
妻の紹介だった。

「ある日、一緒に出かけようと
彼女の家に迎(むか)えに行ったら、

『夜の勤行(ごんぎょう)をしていない』

って言うんです。

※ちなみに、勤行とは、
釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の
法華経(ほけきょう)の一部分を
音読(おんどく)します。
だいたい、3分から5分くらいかかりますが、
そのあと、好きなだけ、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
繰り返(くりかえ)し繰り返し、
となえます。
それを、まとめて、
『勤行(ごんぎょう)』といいます。

それで、リンゴさんは、
ソファに座(すわ)って
待つことにしたそうです。

彼女の南無妙法蓮華経をとなえる
声を聞いていたら、
なぜだかすごく感動して、

『僕も一緒(いっしょ)に、となえていい?』

と尋(たず)ねたそうです。

「今、思えば、
彼女は勇気を奮(ふる)い起こして、
私に信心(創価学会の信心)のことを
教えようとしてくれたんですね。
人生で一番忘れられない
『デート』の日に
なりました。」

と、リンゴさん・・。

リンゴさんは、その後、
大病(たいびょう)を患(わずら)い、
仕事を失(うしな)った時期もありましたが、
創価学会の信心のおかげで、
「どうして、こんなことに」
と受(う)け身に考えていた自分から、
『今こそ宿命(しゅくめい)を変える時だ!』
と思える自分に
変わることができたそうです。

「それが一番の功徳(くどく)です。」

と語っています。

※ちなみに、功徳(くどく)とは、
悩みが解決したり
希望がかなったりする
現実に現れる幸運のことを、
いいます。

そして、リンゴさんは、
創価学会の同志(どうし)の支(ささ)えの中、
病気を乗り越(こ)え、
新たな仕事も
勝ち取ることができた。


また、ウエスト・ハリウッド本部で、
創価学会(そうかがっかい)の
男子部本部長を務(つと)める
ベン・ジャコブさんは、
言っています。

「芸術家の世界では、
『こうすればうまくいく』といった
方程式(ほうていしき)はありません。

だからこそ、
信心(創価学会の信心)という
人生の指針(ししん)、
福運(ふくうん)の土台が
必要だと思うんです。

皆、最初の入会動機(どうき)は、
仕事での実証(じっしょう/実際に現れる証拠[しょうこ])
ですが、
創価学会の活動を通して、
人のために尽(つ)くす喜びを感じ、
仕事に対する
使命感そのものが変わるんです。」

ジャコブさんは、
ダンスのレッスンに通(かよ)いながら、
ダンスショーなどに出演し、
夜はバーテンダーとして
働いていた。

6年前に
創価学会に入会してから、
学校のダンス講師(こうし)など、
仕事が大幅(おおはば)に
増えたそうです。

彼は、語っています。

「この信心(創価学会の信心)を
勧(すす)めることが
大切な友人に対する、
最高のプレゼント!だと
思っています。

信心を勧める仏法(ぶっぽう)対話は、
『今生人界(こんじょうにんかい)の思い出』
です。

最も偉大(いだい)な、
歓喜(かんき)の中の大歓喜です。
仏法対話をしている時は、
『アイ・アム・アライブ(私は生きている!)』
っていう感じなんですよ!」


4年前に入会した、
ジョニン・バリスさんは、
言っています。

「ニューヨークのブロードウェーで
出演していましたが、
映画に挑戦するために
ハリウッドに来ました。

仕事が見つからずにいた時、
友人から
創価学会の信心の話を
聞いたのです。

入会後、仕事も増え、
経済的に安定するようになりました。

最近では「ラブ・アゲイン」という
映画にも出演しましたよ。

今は、プロデュースの仕事もしています。
私の大叔父(おおおじ)が
マリリン・モンローを撮影(さつえい)していた
写真家なので、
彼についてのドキュメンタリーを
制作しています。

女優の仲間に、
仏法対話(ぶっぽうたいわ)をすると、
すごく共感(きょうかん)してくれるんです。

一番大きな功徳(くどく)だと感じるのは、
女性として生きるための、
『生命の根(ね)っこ』を
得(え)られたことです。

自分の内面に、
何ものにも壊(こわ)されない
価値(かち)がある、
幸福になる力があると
学べたことです。

特に、ハリウッドの女性は
周囲(しゅうい)の評価(ひょうか)に
左右される世界にいるので、
どうしても、
精神的に不安定になりやすい。

表面的なことに
幸福を求めてしまうのです。


私は、創価学会の信心を通して、
『人のため』
『社会のため』という
芸術家としての
真の使命を
知ることができたと思っています。」


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

確かに、人は、
表面的なことを気にする。

表面的なことや、
世間の評判(ひょうばん)、
それらも確かに大切だけれど、
それに振(ふ)り回されてしまうと、
自分が見えなくなっていく。
本当の幸せが見えなくなっていく。

世間の評判や評価、
それは人間にとって
モチベーションにはなる。


けれど、本当の幸せは違(ちが)う!


幸せは、どこにあるのでもなく、
自分の中にある!

そして、自分の中にある幸せを
確立(かくりつ)していった時、
はじめて本当の幸せが見えてくる。

その自分の中にある
幸せを確立し、
本当の意味での
幸せをつかんでいけるのが、
「創価学会」であり、
創価学会の、
「南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰」だと、
いえます。

また、自分の中の
確固(かっこ)たる幸せが
確立していったとき、
おのずから、
表面的な幸運や幸せ、ラッキーが、
磁石(じしゃく)のように、
ついてくる!とも言えます。


ジョニン・バリスさんが言うように、
自分の内面に、
何ものにも壊(こわ)されない
価値(かち)がある!

その『生命の根っこ』にある
幸せをつかみ、
どこまでも開花していけるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音192

聖教(せいきょう)新聞には、
さまざまな困難(こんなん)を乗り越え、
勝利していった体験や、
病気を克服(こくふく)し、
蘇生(そせい)していった
体験の話しがのっていますが、
以前、
多発性骨髄腫(たはつせいこつずいしゅ)を
克服した創価学会の
婦人の体験が、
のっていました。


多発性骨髄腫というのは、
血液が作れなくなる、
骨が溶(と)けてもろくなる、
内蔵(ないぞう)に転移(てんい)する、
などの症状があり、
長い間、効果的な治療が見当たらず、
死に直結(ちょっけつ)するような病気だった。

数年前、
診療(しんりょう)ガイドラインが発表され、
「死のふち」から生還(せいかん)させる
パーセンテージが上昇(じょうしょう)し始めた。

その大変な病気を、克服し、
勝利を手にすることができた
要因(よういん)の一つは、
その創価学会の婦人の、

『強気の姿勢(しせい)』

だったそうです。


その婦人が言っているんですが、

「主治医の先生から
多発性骨髄腫(たはつせいこつずいしゅ)の
説明を聞いている、
その最中から、
もう沸々(ふつふつ)と、
いえ、がんがんと闘志(とうし)が、
こう、このあたりに・・・」

「胸のこのあたりに、
負けじ魂(たましい)が
メラメラと燃え上がって、
心の中で叫(さけ)んでいたんです。」

「病魔(びょうま)め、
私をだれだと思っているんだ、
創価学会(そうかがっかい)の婦人部だぞ!
今に見ていなさい。
お前を私の体から、
たたきだしてみせる!(笑い)」


この気迫(きはく)!
微動(びどう)だにしない確信が、
その後の治療(ちりょう)の成功と
大勢(たいせい)を
決していくことになったそうです。



治療はつらい。
モルヒネの投与(とうよ)、
3種類の抗(こう)がん剤の点滴(てんてき)、
80錠(じょう)の経口(けいこう)タイプの
抗がん剤の服用(ふくよう)、
造血幹細胞の自家移植・・・

通常は痛(いた)みにもだえる
患者が多いなか、
その婦人の場合は
違(ちが)ったそうです。

通常、1ヶ月は続く激痛(げきつう)も、
わずか9日間で
ピタリと消えたそうです。
移植(いしょく)の時間も、
医療スタッフが驚(おどろ)くほど
短くて済(す)んだ。


担当した主治医の方が言っています。

「彼女は強い信念を持って
治療を受けておられました。
治療開始から終了まで、
そして現在も強い信念を持って
戦いつづけておられます。

病気という
最も困難な状況に対峙(たいじ)したとき、
人それぞれ考えはあるでしょうが、
戦い、そして乗り越えた、
彼女を拝見(はいけん)する機会が
与えられたことは、
医師として大変な喜びです。」


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

普通、大病を宣告(せんこく)されたら、
落ち込むのが当然だと思う。

けれどその創価学会の婦人の場合、

「病魔(びょうま)め、
私をだれだと思っているんだ、
創価学会の婦人部だぞ!
今に見ていなさい。
お前を私の体から、
たたきだしてみせる!」

と立ち向かっていった。

大げさに聞こえるかもしれませんが、
創価学会が実践している
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法は、
それほど偉大(いだい)でスゴイということです。

また、それだけの力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)にはあり、
その仏法を実践した人たちに、
大きな幸せの体験と、確信(かくしん)を、
もたらしていきます。

また、それだけ素晴らしい、
南無妙法蓮華経の仏法を
実践(じっせん)しているということは、
最高に尊(とうと)い
法(ほう)を持ち、
実践しているということなので、
それだけ、素晴らしく、
尊(とうと)い存在だと、
言うこともできます。


ともかく、
このパワー、
信念、
強い強い生命力が、
病気にかぎらず、
人生に襲(おそ)いかかってくる
宿命(しゅくめい)の嵐(あらし)を
乗り越えていく力(ちから)に
なるんだと思う。


そのどんな困難な宿命の嵐も、
乗り越えていける、
無限のパワー、
信念、
無限の生命力の源泉(げんせん)が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰であることは
言うまでもない・・!


また、
今日話した体験のように、
現実に、
困難や悩みを、
乗り越えていけ、
夢や希望をかなえていける
力(ちから)があるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音191

昔、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が
結婚してからしばらくの間、
よく奥さんと
話していたそうです。

「団地(だんち)に住みたいな。
コンパクトで便利(べんり)じゃないか。」

「すべて、機能的(きのうてき)に
つくられていますね。」

「少し狭(せま)いかもしれないが、
部屋の数は、そんなになくても、
ご本尊様(ほんぞんさま)さえ、
きちんとご安置(あんち)して、
荘厳(そうごん)できればいいんだから。」

「そうですね。
ご本尊様には、
一切(いっさい)が、
含(ふく)まれていますからね。」


※ちなみに「ご本尊」とは、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが
祈る対象としている本尊(ほんぞん)で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
それと同時に、自分の生命そのものを
あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける
仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることをあらわしたものが、
「ご本尊(ほんぞん)」です。



奥さんは、言っていた。

『ご本尊様には
一切(いっさい)が
含(ふく)まれていますからね。』


どういうことだろうか・・・?


ご本尊には、一切が含(ふく)まれている。

その一切(いっさい)とは、なんだろうか・・・?


それはおそらく、
人間が幸せになっていくための、
あらゆるもの、
あらゆる宝(たから)、
あらゆる希望と力(ちから)が、
含まれていると、いうことだと思う。

それは、譬(たと)えるなら、
打ち出の小槌(こづち)のようなものだと思う。

打ち出(うちで)の小槌を振(ふ)ると、
宝が、どんどん出てくる。
無限に出てくる。

どんなに辛(つら)い時でも、
どんなに苦しい時でも、
どんなに悲しい時でも、
打ち出の小槌(こづち)を振れば、
幸せの宝が、どんどん出てくる。

当然です。

それが、打ち出の小槌だからです。

それと同じように、
生命における、打ち出の小槌が、
『ご本尊』なんだと思う。

だから、その、
打ち出の小槌(こづち)を、
振ればいい・・!

そして、その、
『打ち出の小槌を振る』ということが、
ご本尊に、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!』
ということに、
あたるんだと思う。



打ち出の小槌を振れば、
無限に宝がででくる。

だから、
「生命の打ち出の小槌」である、『ご本尊』に、
南無妙法蓮華経をとなえて祈る時、
幸せも、希望も、
勇気も、知恵も、
自分の中から、
生命の宝が、
無限に湧(わ)き上がってくる。

幸せを呼ぶ運も、
悩みを解決する力(ちから)も、
生命を蘇生(そせい)させるエネルギーも、
人々を愛していくエネルギーも、
平和と人間性も、
より良い人間になっていくためのパワーも、
夢をつかむ力も、
未来を生み出す力も、
より良い世界を生み出していく
すべてのエネルギーが、
自分の中から、
湧き上がってくる。


なぜなら、
ご本尊には、
すべてが!
含まれているから!

ご本尊は、
生命における、
『打ち出の小槌』だから・・!


実は、そういう、
自分の中にある、
生命のあらゆる、無限の宝が、
『ご本尊(ほんぞん)』
なんだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

ゆえに、
なにも恐(おそ)れることはない・・。
なにも落ち込むこともない・・。
なにも悲観(ひかん)する必要はない・・。


なぜなら、ご本尊に
南無妙法蓮華経を、となえていったなら、
自分の中から、
幸せや希望、
勇気や知恵が、
無限に引き出され、
湧(わ)き上がり、
そして、
悩みや問題を解決することができ、
夢や希望も、
かなえていくことができる。


『ご本尊には、一切が含(ふく)まれている。』


ご本尊には、すべてが
含まれているがゆえに、
べつに難(むずか)しいことは考えなくても、
自分が思ったとおり、
自分が祈りたいことを、
素直(すなお)に祈っていくことによって、
最高の解決策(かいけつさく)が見いだされ、
自分にとって、
最高の方向に
進んでいくことができる。


それが、『ご本尊』だと思う。


だから、創価学会のご本尊は、
世界中のどんな境遇(きょうぐう)の、
どんな状況(じょうきょう)の人であっても、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
必ず幸せにしていくことが、できる!!

すべての一人一人に対応(たいおう)し、
あらゆる人の悩みに
完全にマッチして、
一人一人を蘇生(そせい)させ、
幸せにしきっていくことができる。


ゆえに、池田先生夫人が言うように、

『ご本尊には、一切が含(ふく)まれている。』


それが、
あらゆる人の悩みの解決が可能な、
あらゆる人の夢や希望を、
かなえていける力(ちから)のある、
創価学会の
『ご本尊』であり、
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんだと思う・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音190

以前、
ブログのコメントで、

「創価学会(そうかがっかい)に入らなくても、
南無妙法蓮華経をとなえていれば、
大丈夫(だいじょうぶ)ですか・・?」

という質問をされたことがあります。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
スゴイので、
となえないより、
となえたほうが、
全然、良いけれど、
かといって、
それで大丈夫かといったら、
そういうことでもありません。

南無妙法蓮華経の本当のスゴサは、
人生を、自分を、
世界や生命を、
幸せに変革していく「力(ちから)」に
あると思います。

宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)していく力。
世界を変えていく力(ちから)が、
『南無妙法蓮華経』だと
思います。

けれど、
ほんとうに悩みや問題を解決し、
夢や希望をかなえていくには、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)に
直結(ちょっけつ)した実践活動が、
必要になっていきます。

いくら、南無妙法蓮華経をとなえても、
現実に南無妙法蓮華経の仏法に
直結した実践(じっせん)の行動がないと、
自分の宿命は、
変革され転換されていきません。

ようするに、
南無妙法蓮華経はスゴイけれど、
南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、
自分の悩みや問題は、
解決していかないということです。

南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、
仏法の実践活動を、
現実にしていった時、
その二つが合(あ)い重(かさ)なり、
幸せが、かけ算されるように、
さまざまな悩みや問題が解決し、
自分の宿命が転換され、
境涯(きょうがい)が変わり、
夢や希望も、
かなえていけるようになっていくんです。


南無妙法蓮華経をとなえることと、
仏法の実践活動の
両輪(りょうりん)があってこそ、
夢や希望がかない、
幸せになっていけるんです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経は、
蘇生(そせい)の力だし、
南無妙法蓮華経をとなえることは、
スゴイことなので、
病気などの時は、
真剣に南無妙法蓮華経をとなえていくだけでも、
病気が良くなり、
治(なお)ったりすることも
多々(たた)ありますが、
やはり、
南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、
不十分だと言えると思います。

どうしても、
南無妙法蓮華経の仏法に直結した、
真実の実践活動が
必要となっていきます。


その仏法(ぶっぽう)に直結した、
実践活動ができる場所が、
『創価学会』なんです。


創価学会は、
南無妙法蓮華経の仏法を、
純粋(じゅんすい)に、
一点の狂(くる)いもなく、
真に正しく実践している、
唯一(ゆいいつ)の団体だと
言えます。

だから、
本当に幸せになりたいのならば、
悩みを解決したいのならば、
また、夢や希望を
かなえていきたいのならば、
どうしても、
創価学会という存在が
必要になっていきます。

南無妙法蓮華経を、となえていくだけでも、
時として、その人を
窮地(きゅうち)から救い、
助けてくれるけれども、
やはり、それだけでは、
本当に幸せになっていくことはできません。

自分の宿命を転換していくためには、
どうしても、
創価学会の中で
南無妙法蓮華経をとなえ、
創価学会の中で、
仏法の実践活動をしていく
必要があります。

その時、
宿命が転換され、
悩みや問題が解決でき、
やがて夢や希望も
かなえていけるようになっていくんです。


だから、創価学会とは、
『幸せを創造(そうぞう)する場所』であり、
創価学会の中で、
南無妙法蓮華経をとなえていった時、
はじめて、
南無妙法蓮華経のスゴサ、
偉大(いだい)さ、
その無限大の力を
発揮(はっき)していくことが、
可能になっていく!

と結論(けつろん)することが
できると思います・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音189

「裸の王様」の物語は、
皆さん、
知っていると思います。

裸(はだか)の王様は、
アンデルセンの童話です。


ある、おしゃれ好きな王様に、
詐欺師(さぎし)の仕立(した)て屋が
「バカには見えない布地」で
服を作ります。

自分が馬鹿者(ばかもの)だと思われたくない
家来(けらい)や王様たちは、
あるはずもない服を
称賛(しょうさん)します。

王様は、その服を着て
パレードに出かけますが、
やはり、バカだとは思われたくないので、
誰一人(だれひとり)『見えない』とは
言えません。

そんな中、
子どもが

『王様は裸だ!』

と真実を言います。

これで我(われ)に返った観衆も
一転(いってん)して、

『そうだ、王様は裸だ。』

と言い出します。

そして、ついに一人残らず、
王様は裸だと、さけぶようになります。

王さまは大弱(おおよわ)り。
王さまだってみんなの言うことが
正しいと思ったからです。
でも、
「いまさら行進パレードを
やめるわけにはいかない。」
と思ったので、
そのまま、今まで以上に
もったいぶって、
パレードを続けたという話しです。



これは、人間がよく陥(おちい)りやすい、
感情の風刺(ふうし)だと思いますが、
探(さが)せは、似(に)たようなことが
世の中には、あると思います。


たとえば、
日本にはびこっている、
さまざまな宗教・・。

それは、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や
観光宗教、神社信仰などですが、
それらは、だれも
本当に力や効力(こうりょく)、
ご利益(ごりやく)があるとは思っていないけれど、
かといって、
だれも言わない。

表面上は、いかにも、
ご利益や効力があるように、
もてはやす。

あそこは、何々にご利益(りやく)がある。
あそこはなんとかにご利益がある
とかいっても、
現実には、
確証的(かくしょうてき)なものは、
なにひとつない・・!


だれも「王様は裸だ!」
と言わないように、
ただ、なんとなく、
あがめたて、もてそやす。
そして、
「きっといい事があるに違(ちが)いない」
とか言って、 祈ったところで、
そんなことは、まず、起らない・・。

宗教の虚構(きょこう)が
通常(つうじょう)となり、
それこそ、王様が
裸で町をねり歩くような行為(こうい)が、
まかり通ってしまう。


それが、世間一般的な宗教だと思う。


ところが、子供が、
『王様は裸だ!』
と言ったように、
唯一(ゆいいつ)、真実を言ったのが、
創価学会(そうかがっかい)の人たちです。


「それらの宗教は、間違(まちが)っている。
そんな宗教に祈ったところで、
幸せになどならない。

返(かえ)って、でたらめな宗教に
祈るということは、
自分の生命と人生に害(がい)をもたらし、
不幸になる原因(げんいん)になってしまう!」


そう、はっきりと明言(めいげん)したのが、
創価学会の人たちだと言えます。

事実、その通りです。

それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などは、
明(あき)らかに間違っているがゆえに、
その間違った宗教に祈るということは、
自分の生命と人生を、
その間違ったデタラメの宗教に、
ささげることになる。

間違ったデタラメの宗教に
自分の生命と人生をささげていけば、
当然(とうぜん)、自分の生命と人生は、
間違ったデタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメなものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな不幸が、もたらされてしまう。

だから、真剣に祈れば祈るほど、
逆(ぎゃく)に、不幸になる原因がつくられていき、
その人の人生に、
大きな害をもたらしてしまう。


それが、真実だと言えます。



不幸の根源(こんげん)には、
間違った宗教がある!ということです。



・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

そして、それとは逆に、
間違いのない、
人々に幸せをもたらしていける、
真実の宗教が、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

それが正しい証拠(しょうこ)として、
創価学会は、どんどん発展し、
世界192カ国に広がっている。
そして、その創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)を実践した、
世界中の人たちを
現実に幸せにしている。

それは、
ひとりひとりの悩みを
解決した結果であり、
ひとりひとりの夢や希望を
実現(じつげん)していけた結果であり、
ひとりひとりが現実に
『幸せになった!』
という結果として、
創価学会は世界中に広まっている。


あたかも、それは・・、
童話(どうわ)・裸の王様で、
子供が
『王様は裸だ!』
と叫(さけ)んだあと、
みんなが、
『そうだ、王様は裸だ!』
と言い、
最後は、すべての人が
『王様は裸だ!』
と言ったように、
ひとりの勇気の声が、
まわりに広がり、
世界に広がり、
その真実の証明(しょうめい)として、
これからも、創価学会は、
広がり続けていくことでしょう・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音188

創価学会(そうかがっかい)は、
世界192カ国に広がっているので、
世界中に創価学会の人たちがいる。

世界の創価学会の人たちの話しも
聖教(せいきょう)新聞にのっているけれど、
海外の人の話しは、わかりやすいので、
紹介したいと思います。


以前、
スペインの創価学会員の話しが
のっていました。

その中で、
スペインの創価学会員である、
エステファニアさんは、言っています。

「信心(創価学会の信心)は、
私の人生を完全に変えました。

入会する前、
私の人生は、
ジェットコースターのように
不安定でした。
私の否定的(ひていてき)な考え方が、
人生を楽しめず、
幸せを感じさせないようにしていたんです。

信心のおかげで、
今は、
「幸福とは何か」が、
分(わ)かります。

苦難(くなん)は乗り越(こ)えるためにあり、
価値(かち)は生み出すためにあること。
自分が変わる時に、
周囲(しゅうい)も変わること。
そして、仏法(ぶっぽう)の実践(じっせん)を通して、
周りの人々をも
励(はげ)ましていくことを
学びました。」


また、創価学会の
女子部の部長を務(つと)める
アルムデナ・ソラナさんは、
言っています。

「スペインの若者は、
宗教は自分を強くするもの、
前進させるものでなくてはならない!
と思っています。
だからこそ、創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を
弘(ひろ)める私たちの使命は
大きいと感じています。

女子部にとって仏法の魅力(みりょく)とは、
自分と向(む)き合い、
自分の人生の意味を知り、
自分を変革(へんかく)できることです。

幸福になるために、
何か自分の外にあるものに
依存(いぞん)するのではありません。

重要なのは内(うち)なる力(ちから)を
どう引き出すかであり、
勝利は自分にかかっている。

そこが仏法の魅力なのだと思います。」

ソラナさんは現在、
公務員として働いてるそうですが、
彼女が、
信心で変わっていく友人の姿に
触(ふ)れて入会したのは
2004年だそうです。

彼女は美容サロンで働いていましたが、
2007年に転職(てんしょく)を決意。
唱題(南無妙法蓮華経をとなえること)と
勉強に励(はげ)む中で
難関(なんかん)を突破(とっぱ)して
勝ち取ったそうです。

ソラナさんは言います。

「私のきょうだいも失業中です。
多くの人の不満(ふまん)は、
いつも政治家に集中しています。
スペインでは雇用(こよう)がなく、
青年が成長するための
可能性がないと言っています。

でも青年部(創価学会青年部)は、
この状況(じょうきょう)を、
信心の実証(じっしょう)を示(しめ)す
チャンスだと、
捉(とら)えていくべきだと思うんです。

私たちは「祈り」と「希望」、
そしてすべてを
変えていけるとの「確信」を
一切の根本(こんぽん)にして
前進します。」


また、創価学会の男子地区リーダーの
ビクトル・パストルさんは、
失業中だった昨年秋に、
就職を勝ち取ろうと決意。
10月29日に予定されていた
池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の
スペイン訪問50周年記念の総会までに
結果を出そうと決めた。

しかし、失業率の高さは
尋常(じんじょう)ではない。
客観的(きゃっかんてき)には、
再就職など「不可能」な状況だった。

その中で、
SGIの友の激励(げきれい)を胸に、
創価学会の活動に
全力を注(そそ)ぎながら、
就職活動に取り組んだ。

「総会前日の10月28日の朝、
就職を希望していた会社から
電話がかかってきました。
面接を受けて、
11月から採用(さいよう)が決まったんです!」

とパステルさん。


信心を始めてから今年で5年。

「かつては不平(ふへい)ばかり
言っていましたが、
私の人生は180度、変わりました。」

と喜(よろこ)びを語る。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

スペインは、歴史的には
仏教と関(かか)わりの薄(うす)い国です。
そうした中で、
仏法(ぶっぽう)を弘(ひろ)めるのは
大変だったのではないでしょうかとの質問に、
婦人部本部長のチェロ・パスクアルさんは
答えています。

「確かにスペインの人々は、
一般的に、
仏法は自分たちと
縁遠(えんどお)い宗教だと見ています。

でも、人間の尊厳(そんげん)に根(ね)ざした
平和の精神に引かれて、
仏法に興味(きょうみ)を持つ人が
増えています。
また、一人一人の生命に
仏界(ぶっかい/仏[ほとけ]の生命)という
偉大(いだい)な可能性があるとの教えに、
人々は、
大きな自由を感じるのです。」


最後の
「自由を感じる」
というのは、
象徴的(しょうちょうてき)だと思う。

過去の宗教というのは、
規律(きりつ)が多くあったり、
儀式(ぎしき)ばかりの宗教だったり、
人間のための宗教というより、
儀式のための宗教、
宗教のために人間が縮小(しゅくしょう)し、
人間的に、
狭(せば)められていく感(かん)が強い。

そうではなく、
逆に人間を自由にしていく!
それは、ただ単に
自由ということではなく、
本当の意味での自由です。

幸せをつかむ自由、
夢をかなえる自由、
人生を切り開く自由、
悩みや苦難(くなん)を乗り越(こ)える自由、
成長していける自由、
さまざまな壁(かべ)を打ち破(やぶ)る自由、
人間的に境涯(きょうがい)を高め、
広げる自由、
どんなことがあっても負けない自由・・。

その本当の意味での
『自由』をつかむ力(ちから)が、
創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法には
あるんです。

だから、創価学会は
世界に認められ、
世界中の人が、
喜々(きき)として実践している。


スペインの方が、
「私の人生は180度、変わった!」
と言うように、
人生をより良く変革(へんかく)し、
夢や希望をかなえ、
本当の意味での自由と幸せを
勝ち取っていけるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音187

ある夫婦(ふうふ)がいました。

その夫婦は、
奥(おく)さんが創価学会に入会していて、
その奥さんに勧(すす)められて、
ご主人も、
創価学会に入会したそうです。



それから、数十年が経(た)ち、
そのご主人は、
奥さんに言ったそうです。


「創価学会(そうかがっかい)という、

 こんなに素晴(すば)らしい世界があることを、

 ぼくに教えてくれて、

 ありがとう・・!」


その夫婦は、
その数十年の間、
経済的な悩みも、
病気の悩みも、
自分の子供の悩みも、
また孫(まご)の悩みも、
あらゆる困難(こんなん)、
試練(しれん)を、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰と、
仏法の実践(じっせん)活動である
創価学会の活動によって、
ことごとく解決(かいけつ)し、
乗り越(こ)えてきたそうです・・!


その結論(けつろん)とも言える言葉が、
上にあげた言葉だと思う。


「創価学会という、

 こんなに素晴らしい世界があることを、

 ぼくに教えてくれて、

 ありがとう・・!」


重みのある、
真実のこもった言葉だと思う。



世間では、いろいろなことを言う。

知りもしないくせに、
適当(てきとう)なデマを、まき散(ち)らし、
創価学会が、まるで
悪そのもののようなデタラメを、
平気で言うやからもいる。

創価学会をバカにするような
風潮(ふうちょう)の流れも、
あったと思う・・。

そんなデマは、当然(とうぜん)、
創価学会の人たちの耳にも入り、
伝(つた)わるはずです。

にもかかわらず、創価学会は、
どんどん発展し、
世界192カ国にまで、広がっている。

それは、たとえ、
どんなデマが世間に広がろうと、
創価学会が、『素晴らしい!』からです。

創価学会に、
真実と正義(せいぎ)があるからです。

もっと言えば、創価学会が、
世界中の、どんな人の、
どんな困難な悩みでも解決し、
ひとりひとりの夢や希望をかなえる
大きな大きな力(ちから)となって、
その人たちを現実に、
幸せにしてきたからです。


真実の幸せ・・・!


その真実の幸せを、
もたらしていける場所が、
創価学会です。


だから、世界中の人たちが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法の信仰を、
やるんです!!。

そこには、ウソがないからです・・!!


理想(りそう)や希望を言うことは、
いくらでもできる。

けれど、現実の、
苦難渦巻(うずま)く悩み、
現実の苦しみを解決していくことは、
至難(しなん)の技(わざ)です。

一人一人に突(つ)き付(つ)けられた現実。

それは時として、
壮絶(そうぜつ)なものがある・・。

その壮絶なる現実の悩み、
苦しみを、
ことごとく解決していけるから、
創価学会の南無妙法蓮華経の
仏法(ぶっぽう)を、やるんです。

また、真剣にやればやるほど、
本当に悩みが解決し、
自分の宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)して、
大きな幸せをつかんでいけるんです。


この現実を変えていける力ほど、
価値(かち)のあることはない・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・


現実を変える・・・。


これは、全人類の夢であり、
全人類に共通する願いです。

この願いをかなえることができるから、
人々は、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰を、
やるんです。

そして、その創価学会の信仰を
やりきった結論として出た言葉が、


「創価学会という、

 こんなに素晴らしい世界があることを、

 ぼくに教えてくれて、

 ありがとう・・!」


だと思う。


また、創価学会には、
他では決してない、
人間と人間との絆(きずな)、
ほかでは、なかなか感じることのできない
人間愛に満(み)ちているもの事実です。


これほど、素晴らしい世界は、ないんです。


だから、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、
言った。


『創価学会は、幸せの安全地帯だよ・・!』


それは、事実(じじつ)であり、
それは世界が認(みと)めることであり、
世界の有識者が、
こぞって創価学会を賞賛(しょうさん)し、
大きな期待を抱(いだ)いています。


ゆえに、この創価学会のご主人は、言った。


「創価学会という、

 こんなに素晴らしい世界があることを、

 ぼくに教えてくれて、

 ありがとう・・!」


と・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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