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こころの音74

ぼくの会社に、
やさしい、よく気のつく女性がいました。

自分が、旅行とかに行くと、
よく、みんなに、お土産(みやげ)とか、
買ってきてくれました。


いつだったか、
ある年の夏休みに、
八丈島に行ってきたということで、
また、お土産を、もらったんですが、
そのとき、もらったのは、
Tシャツで、
でかい字で、
「八丈流人」と、
プリントしてありました。

ちょっと、着るのに勇気がいるので、
いまだに、着たことがありません。

もう少し、普通に着れる
Tシャツを買ってきてくれれば、いいものを、
まあ、センスが良くないというか・・・
シャレがキツイというか・・・。
ともかく、いろいろと、
お土産を買ってきてくれたのは、
想い出にもなるし、
感謝しています・・。


あるとき、その彼女が、
また、どこかに行ったらしくて、
また、Tシャツのお土産を、いただきました。

こんどは、Tシャツに、


『ほっといて、ください!』


と、文字が印刷されていた。


せっかく、買ってきてくれたので、
一度、着てみましたが、
ぼくは、とても、
不機嫌(ふきげん)になりました・・・。

買ってきた本人は、
大変、喜んでおりましたが・・・・。


それ以来、着たことはないし、
今後も、着るとこはないでしょう・・・。


その時の体験から、
文字の書かれた服など、
着るものでない!
と実感(じっかん)しました。


なにか、自分に
『レッテル』が
貼(は)られてしまう気がするからです。


でも、考えてみれば、
ただ、布(ぬの)に、文字が、
書かれているだけのものです。

けれど、布に文字が、
書かれているだけなんだけれど、
そこには、思念(しねん)が生まれてしまう。

「私は、バカです」と書いた紙を、
服に貼(は)り付けて、歩いているだけで、
その人は、本当に、
バカのように、思われてくる。

かりに、その人が、
なんて書いてあるか、読めないにしても、
まわりの人たちは、
そのなことは、おかまいなしに、
バカだと、思ったりする。


ということは、
たかだか、
紙に、文字を書いただけでも、
その紙には、力(ちから)が発生する!
ということです。


紙に、文字を、書いただけで、
その紙には、
エネルギーが、発生(はっせい)する!
ということです。


小さな紙に、ちょっと精巧(せいこう)に、
一万円と、印刷しただけで、
その紙には、価値(かち)が生まれ、
貴重(きちょう)な存在になっていく。

本も、そうだ。
ただ、紙に、こまごまと、
文字が、印刷させているだけなのに、
ある人にとっては、
決して、捨(す)てることのできない、
貴重な宝物となり、
人生の指針(ししん)にもなる!

紙や布などに、何かが、
書かれた時から、
その紙には、エネルギーが生じ、
それは、人間の生命(せいめい)にも、
人間の人生にも、
大きな影響力(えいきょうりょく)を持ってくる!


不思議(ふしぎ)といえば、不思議だ。


これが、ある意味で、
宗教の原理(げんり)だと思う。


宗教というものは、
だいたい、ある対象(たいしょう)に対して、
手を合わせる。

「手を合わせる」というのは、
宗教的には、
その、手を合わせている対象に対して、

『私は、あなたに(祈る対象に)、
命を、ささげます!』

という、意味があり、
手を合わせると、
その意味通りの影響(えいきょう)を、
自分の生命に、
受けていくことになる。

あるものに、手をあわせると、
紙に書いた文字が、
人間の生命に、影響を与(あた)え、
人間の人生に、影響を、あたえるように、
宗教は、自分の生命と人生に、
影響を、与えていく。


これが、宗教の不思議なところであり、
また、こわい!ところでもある。


よく、正月とかに、初詣(はつもうで)で、
いろいろなところに行って、
手を合わせ、お祈りしたり、
また、観光で、いろいろな、お寺や神社に行き、
手を合わせ、お祈りをしたりするけれど、
その祈っている対象が、
どんなものか、真剣に考えたことが、
あるだろうか?

たとえば、自分が、文字の読み方を、
しらないとしても、
「わたしは、バカです」
という文字が書かれた服を着ていれば、
その人は、バカと、思われてしまい、
自分の人生に、
影響を及(およ)ぼしてくる。

それと、同じように、
たとえ、なんにも知らなくても、
初詣とか、観光で、
お祈りした対象が、
とんでもない化け物(ばけもの)や、
ゲテモノだったら、
自分の人生に、悪影響をもたらす。

仏法(ぶっぽう)的に言ったら、
お祈りした対象が、
間違(まちが)った教え、間違った宗教であった場合、
それは、自分の人生に悪影響を及(およ)ぼし、
不幸という結果として、
帰ってくる。


これが、宗教というものです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

仏法(ぶっぽう)、宗教を、
徹底的に解明(かいめい)した結果、
初詣や、観光でいく、お寺や寺院、神社の宗教、
あるいは、葬式仏教(そうしきぶっきょう)は、
すべて、間違った、
人を、不幸にする宗教であることが、
すでに、判明(はんめい)している。

だとしたら、そういうものに、
手を合わせ、お祈りしたら、
当然(とうぜん)、さまざまな形で、
自分の生命に、悪影響を及(およ)ぼし、
自分の人生に、いろいろな形で、
不幸という結果が、
出てきてしまう!


それが、宗教です。


それとは、正反対に、
祈る対象として、本当に正しいもの、
人を幸福にできる、
本当に正しい『ご本尊(ほんぞん)』に、
祈りを、ささげれば、
文字に書いた紙が、
人に、影響を与えるように、
自分の生命と、人生に、
幸福な影響を与えていく。

だから、祈る対象として、
ほんとうに正しいのなら、
人を、幸福にできる真実の『ご本尊』であるならば、
その、『ご本尊(ほんぞん)』には、
人を、幸せにする価値と、
エネルギーが、生じ、
良い意味で、
人間と、人生に、影響を及ぼすだけの、
価値とパワーが、生まれてくる。

たとえ、その『ご本尊』に、
なんと書いてあるか、わからなくても、
また、その意味が、わからなくても、
文字を知らない人が着ているTシャツと、
同じように、
影響力とパワーを持つ。

だから、そのご本尊に、祈ることによって、
その『幸福の影響力』は、
自分の生命に及(およ)び、
自分の人生に及び、
自分の生命と、自分の人生を、
現実に、
幸せに変えていってくれる。


これが、宗教の原理だと思う。


そして、その原理どうりに、
本当に、正しい真実の『ご本尊』を、
祈る対象として、祈り、
信仰の根本として、実践(じっせん)しているのが、
創価学会(そうかがっかい)です。

また、その原理が正しいからこそ、
あらゆる、
さまざまな悩みを解決でき、
夢や希望をかなえる大きな力となって、
人々を、
幸せにしてきているんだと思う。


だから、創価学会は、
世界192ヶ国に、広がっているんだと思う。


創価学会の二代会長である、
戸田城聖(とだじょうせい)先生が、

「ご本尊は、幸せ製造機(せいぞうき)だ!」

と、言っていた。


さきほどの原理から考えても、
それは、本当なんだと思う。

ただし、戸田先生は、
ご本尊は、幸せ製造機だけれど、
どれだけ、幸せになるかは、
こちらの信心(しんじん)しだいだとも、
言っている。

どんなに大きな鐘(かね)であっても、
爪楊枝(つまようじ)のような、
細く小さな棒(ぼう)で、たたいたら、
ちっちゃな音しか、出ない。

太く大きな棒で、たたけば、
大きな音がでる。

それは、
人間の道理(どうり)に、かなっている!

棚(たな)から、ボタモチなんてことは、
ないということだと思う。

ただし、逆に言えば、
創価学会が、信じ、実践している、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる信仰には、
絶対に、無駄(むだ)がない!

やったら、やっただけ、
真剣になったら、なっただけ、
必ず、幸せという結果が、
帰ってくる!
ということです。


仏法(ぶっぽう)で説く、生命の原理は、
とても、細かく、
厳密(げんみつ)であるとともに、
決して、無駄がなく、
必ず、だれにとっても、
やったら、やっただけ、
同じ結果が、返ってくる。


それが、仏法の法則(ほうそく)であり、
生命の法則なんだと思う・・・・・。


だから、『ご本尊』は、
幸せ製造機だと、言えるんだと思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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