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こころの音186

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書(ごしょ)に、
こう、あります。


『一度(ひとたび)、
妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)と
唱(とな)うれば、
一切(いっさい)の仏(ほとけ)・
一切の菩薩(ぼさつ)・
一切の声聞(しょうもん)・
一切の梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・
閻魔(えんま)・法王(ほうおう)・
日月・衆星(しゅうせい)・
天神(てんじん)・地神(ちじん)・
乃至(ないし)地獄(じごく)・
餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・
修羅(しゅら)・人天(にんてん)・
一切衆生(いっさいしゅじょう)の
心中(しんちゅう)の仏性(ぶっしょう)を
唯(ただ)一音(いちおん)に
喚(よ)び顕(あらわ)し
奉(たてまつ)る功徳(くどく)・
無量無辺(むりょうむへん)なり。』


ちなみに、御書(ごしょ)とは、
日蓮大聖人が書かれた論文や手紙を、
すべて集めたものをいいます。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
言っています。

『妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)は、
ありとあらゆる人びとから、
そして、ありとあらゆる環境(かんきょう)から、
仏性(ぶっしょう)を呼び起こし、
一切を蘇生(そせい)せしめていく
音律(おんりつ)である。』


上にあげた日蓮大聖人のご文の中の、
菩薩(ぼさつ)・声聞(しょうもん)・
梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・
閻魔(えんま)・法王(ほうおう)・・・や、
地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・
修羅(しゅら)・人天(にんてん)などは、
生命と宇宙の働(はたら)きと力(ちから)、
さまざまな可能性や影響力(えいきょうりょく)、
また、生命に内在(ないざい)する
特性(とくせい)や性質、
人それぞれの境涯(きょうがい)や心の変化を、
言葉で表現したものですが、
それらを動かし、
無限の幸せをもたらしていける、
『仏性(ぶっしょう)』という
仏(ほとけ)の生命を、
一言(ひとこと)で呼び覚(さ)まし、
動かしていけるのが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
だということです。


仏(ほとけ)の生命を呼び起こす!
といっても、
よくわからないと思いますが、
自分の中にある、
あるいは生命や宇宙の中にある、
幸せをもたらす力(ちから)、
希望の力、
さまざまな悩みを解決し、
夢をかなえていける無限のエネルギーを、
引き出し、
呼び起こしていく!と、
いうことです。

その、あらゆる幸せの力を
呼び覚(さ)ましていける力が、
たった一言の
『南無妙法蓮華経』
にはある!!

ということです。


『仏(ほとけ)の生命』の力とは、
そのように、
無限の幸せと希望をもたらす
生命の力だということです。

その、宇宙や世界、
人間や生命の中から、
無限の幸せと希望をもたらす、
『キーワード』となる音律(おんりつ)が、
『南無妙法蓮華経』だということです。


たとえば、公園に、
山田さんが100人、
いたとします。

そうすると、その公園で、

「山田さーーん!」

と呼ぶと、
100人の山田さんが、

「はーい!」

と答える。

それと同じように、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
南無妙法蓮華経とは、
「仏の生命の名前」「仏性(ぶっしょう)の名前」
なので、
呼ばれて、
全宇宙の仏性(ぶっしょう)が、

「はーい」

と返事をする。

また、自分の中の仏性も、
呼ばれて、返事をする。

あらゆる環境(かんきょう)、
あらゆる世界、
また自分の中にある仏性も、
呼ばれて、

「はーい!」

と返事をして、
引き出されていく。

そうすると、南無妙法蓮華経とは、
仏性(ぶっしょう)とは、
幸せをもたらす無限の力なので、
自分の中から、
幸せになるための力が引き出され、
また、環境や世界からも、
幸せをもたらす力が
引き出されていく。

その結果、
さまざまなことが好転(こうてん)し、
幸せをもたらし、
また、自分自身の中から
引き出された仏性によって、
自分も幸せに変わっていく。


それが、『南無妙法蓮華経』だということです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

だから、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経をとなえる時、
全宇宙の、
あるいは世界や環境から、
幸せをもたらす無限の力である
『仏性(ぶっしょう)』が
呼ばれて、
引き出される。

また、自分で
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
その自分自身の中から、
仏性、すなわち、
幸せをもたらす無限の力が、
呼ばれて引き出されていく。

自分の中からも、
環境や世界からも、
幸せをもたらす無限の力が、
呼ばれて、
引き出されていくわけです。

自分の中から引き出された
幸せの力と、
環境や世界から引き出された
幸せの力が、
かみ合い、重(かさ)なり合い、
かけ算のように、
より一層(いっそう)の
プラスの結果となって、
もたらされる。

その幸せをもたらす、
無限の相乗効果(そうじょうこうか)が、
創価学会の人たちが、
日々、となえるている、
『南無妙法蓮華経』
だということです。


だから、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
幸せにならないはずがないんです・・!!

また、だから、
創価学会は世界192カ国に広がり、
人々を現実に幸せにしている!!

だから、どんな困難(こんなん)があったとしても、
南無妙法蓮華経を
真剣にとなえていくことによって、
困難を乗り越(こ)え、
幸せになっていける。

どんな悩みがあったとしても、
真剣に南無妙法蓮華経をとなえることによって、
自身の生命から幸せの力を引き出し、
変革(へんかく)し、
悩みを解決していける。

また、日々、
南無妙法蓮華経をとなえて、
仏法(ぶっぽう)の実践(じっせん)活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
自身の境涯(きょうがい)を変え、
人間革命していくことができる。

やがてそれは、
夢や希望をかなえ、
幸せと勝利につながっていく!


あらゆるものを動かし、
あらゆるものを変革(へんかく)していく。

あらゆる幸せを引きつけ、
勝利させていく。
また、自分自身が、
本源的(ほんげんてき)に、
幸せに変わっていく!!


それができる、
決定的で、
唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)であり、
力であり、
エネルギーが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音185

創価学会(そうかがっかい)の人たちの、
決定的な強みは、

『祈ることが、できる!』

ということです。

たとえば、
家族にしろ身近な大切な人たちが、
病気や事故にあったとする。

そういう時に、一般的には、
いろいろと手はずをとり、
手を尽(つ)くすことはできるけれども、
その事故や病気にあった人に、
直接的に影響(えいきょう)させることは、
できない。

正直、見守るしかない・・。

容態(ようだい)や回復に
影響させることができず、
見守るしか方法はない・・・。


けれど、
創価学会の人たちは、
違(ちが)う。


現実に病気や事故にあった人の
容態(ようだい)と回復に、
直接的に影響させることができる。


それが、
創価学会の人たちの
祈りなんです・・!


病気や事故にあった人とは、
直接的には関係しないにしても、
その人を知り、回復(かいふく)を願う
創価学会の人たちの祈りによって、
病気や事故の容態をより良く回復させて、
治(なお)っていったことは、
山ほどあると思う。

しかも、それが、
大変な病気や事故だった場合、
なおさら、創価学会の
みんなの祈りが強くなり、
現実に影響力を持ち、
病気や事故にあった人を
回復させていった例は、
それこそ、数えきれないと思う。

もちろん、徹底的な治療(ちりょう)を
ほどこしてもらうのは、
当然(とうぜん)として、
それらの治療などの環境も含(ふく)め、
あらゆるものをより良く
プラスにもっていく力(ちから)が、
創価学会の『祈り』には、
現実にあるんです。


創価学会の人たちの『祈り』が
不可能を可能にした例も、
数えきれないと思う。


それが、本物の祈りなんです。


だからといって、
祈りに効果(こうか)があるのならば、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
神社信仰などで、
真剣に祈ればいいじゃないかと思って、
祈ってみたところで、
祈りに効果がもたらされることは、
ありません。

それらの祈りは、
間違(まちが)った祈りであり、
葬式仏教や観光宗教、
神社信仰自体が、
間違ったデタラメな宗教なので、
どんなに真剣に祈ったとしても、
なんの効果もありません。

たとえ、命がけで祈ったとしても、
なんの効果もなく、
返(かえ)って、間違った宗教なので、
その間違った結果として、
さまざまな形で
不幸が出現してしまいます。

間違ったデタラメの宗教に祈るということは、
間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生を、ささげることになります。

間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生をささげていけば、
当然、自分の生命と人生は、
間違ったデタラメのものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったならば、
その当たり前の結果として、
さまざまな不幸が、
もらたされてしまう!ということです。


それが、世間一般的な祈りです。


だから、そんなものは、やるべきではない・・!



けれど、さきほども言いましたが、
本物の祈りは違う!

創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる祈りは、
現実に、人生に、
世界に、未来に、
決定的な大きな影響力を
与(あた)えていくんです!

現実を動かすことのできる力(ちから)!

・・それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえて祈るという、
『祈り』なんです。

現実に夢や希望をかなえ、
現実に未来を切り開いていく力!

現実に生命を蘇生(そせい)させ、
生命力を湧(わ)き上がらせ、
立ち上がらせていく力!

現実に悩みを打ち破り、
困難(こんなん)を乗り越え、
人生に、幸せという結果を
もたらす力が、
『南無妙法蓮華経』なんです。


これほど、スゴイことはないんです。
こけほどの武器(ぶき)も、なんいんです。


あらゆるものを幸せに変革(へんかく)していける!
あらゆるものを蘇生(そせい)させていける!


その祈りは、
自分を幸せにするのは当然として、
自分が祈る、その相手も、
その人が家族であろうと、他人であろうと、
真剣に、真心こめて祈ることによって、
その相手の生命を、
現実に蘇生させ、
より良く、幸せにしていけるんです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

人生、いろいろありますが、
結論(けつろん)から言うと、
創価学会の人たちの、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
という祈りほど、
スゴイものは、ないんです。

それは、
棚(たな)からぼたもちのようなことではなく、
さままな勇気や知恵、
最高の努力や行動をもたらし、
あらゆるものを幸せへと動かし、
蘇生(そせい)させ、
最高の結果を生むことになります。

だから、結局(けっきょく)、
南無妙法蓮華経を、となえて祈りきった人が、
勝利していける。
幸せになっていける!

それが、どんな状況(じょうきょう)であれ、
どんな環境(かんきょう)であれ、
どんな苦難や悩みであれ、
それがかりに自分でなくても、
影響を及(およ)ぼし、
蘇生(そせい)させ、
幸せにしていける!


それが、人生と未来を
勝ち取っていける、
決定的で、最強の力と言える、
創価学会の人たちの、
『南無妙法蓮華経をとなえる』、
『祈り』なんです・・。



だから、
人生の、
幸福と勝利を考えるとき、
実は・・、
真実(しんじつ)の祈りを持った人ほど、
強い人は、いない・・。

真実の祈りを持った人ほど、
幸せな人も、いない・・。

真実の祈りを持った人ほど、
人生を謳歌(おうか)し、
幸せを味わっていける人もまた、
いない・・。


なぜなら、真実の祈りは、
人生を切り開く、
幸せを勝ち取る、
そして、最高の歓喜(かんき)を味わっていける、
最大にして、
最強の、
『武器』だからです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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