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こころの音89

以前、テレビを見ていたら、
最近は、
積極的(せっきょくてき)に涙を流す男性が、
増(ふ)えているという話題を、
やっていました。


どういうことかというと、
涙(なみだ)を流すことによって、
日々のストレスを発散(はっさん)させたり、
涙を流すことによって、
心を、高揚(こうよう)させて、
仕事や生活の活力(かつりょく)にしていこう!
と、いうのである。

良い意味での、
「涙を流(なが)す」という行為(こうい)は、
科学的にも、肉体面でも、精神面でも、
良い効果(こうか)を、
もたらすようだ。

それで、一緒(いっしょ)に涙を流そうという
サークルがあって、
(世の中には、いろいろなサークルが、
あるものです・・・。)
涙の出てくる感動的な映画などを、
一緒に見て、
みんなで、涙を流すそうです。


それが、ある種(しゅ)のストレス発散と、
生活の活力になるということで、
けっこう、
盛(も)り上がっているようでした。


それで、思い出したけれど、
前に、
親が創価学会員(そうかがっかいいん)だけれど、
その息子で、
創価学会には、まったく興味(きょうみ)はなく、
創価学会の信仰も、
やっていなかったという人が、いました。

その、
創価学会に興味がなかった息子が、
あるとき、
なにか、悩みがあったのか、
創価学会に入り、
ご本尊(ごほんぞん)を、いただいたそうです。

ご本尊とは、
創価学会が、信じ、
祈(いの)る対象(たいしょう)としている、
文字で描かれた曼荼羅(まんだら)の本尊(ほんぞん)で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命(せいめい)そのものを、あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、
あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。


それで、その息子(むすこ)が、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえたら、
別に、悲しいわけでも、
感動しているわけでもないのに、
涙が、ぼろぼろ、流れてきて、
しょうがなかったそうです。


その話しを、息子が、
母親に話したら、

母親に、

「あんた、そうとう、
業(ごう)が、深いのね!」

と、言われたそうです。(笑・・)


こういう話しは、
ときどき、聞くけれど、
なぜ?、感動しているわけでも、
悲しいわけでもないのに、
ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえると、
涙が、出てきたりするのだろうか?


南無妙法蓮華経というのは、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)で、
宇宙の法則(ほうそく)であり、
生命の法則を、あらわしたものです。


宇宙を動かしている力(ちから)、
生命を幸せに変化させていく力が、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)だと、
いうこともできます。


また、その、
宇宙の法則、生命を幸せに変革していく力である、
南無妙法蓮華経を、
具体的(ぐたいてき)な、
目に見える形にあらわしたものが、
『ご本尊』だと、
いうこともできます。


また、南無妙法蓮華経は、
仏(ほとけ)の生命そのものを、
あらわしたものでもあります。

だから、
その南無妙法蓮華経を書き表(あらわ)した、
「ご本尊」は、
仏(ほとけ)の生命(せいめい)そのものだと、
とらえることもでき、
その仏の生命は、

「実(じつ)は、自分自身の中にもある!」

ということを、あらわしたものが、
ご本尊でもあります。


仏法の真髄であり、
宇宙の法則であり、生命の法則である、
『南無妙法蓮華経』・・・。


その南無妙法蓮華経は、
仏の生命そのものでもあります。



実は、その南無妙法蓮華経という
究極(きゅうきょく)の法則であり力、

「仏(ほとけ)の生命とは何か?」

ということを、
伝えるためにあると、
とらえることのできるのが、
釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の、
『法華経(ほけきょう)』なんです。


その法華経の如来壽量品(にょらいじゅりょうほん)の、
第16の最後に、

『毎自作是念(まいじさぜねん)
以何令衆生(いがりょうしゅじょう)
得入無上道(とくにゅうむじょうどう)
速成就佛身(そくじょうじゅうぶっしん)』

と、あります。


法華経(ほけきょう)は、
釈尊の仏法の真髄(しんずい)ですが、
その中でも、
もっとも大事なのが、
『壽量品(じゅりょうほん)第十六』です。

その最後の部分が、今、紹介(しょうかい)した、
『毎自・・・・~・・・佛身』
で終わるご文です。


どういう意味かと、いうと、

『仏(ほとけ)は、いつも、思い願っている!
どうしたら、すべての衆生(民衆)を、 
真実の幸せへと、みちびき、
できるだけ速く、
仏のような最高の幸せ、
人生における最高の勝利を、
つかませることが、できるだろうか!』

と、だいたい、
こんな意味だと思います。


これが、仏(ほとけ)の思いであり、
願(ねが)いなんです!!


前に、戻(もど)りますが、
ご本尊は、
仏の生命そのものだと、言う。

そして、その仏の生命は、
自分自身の中にも、ある!!!

仏法(ぶっぽう)の真髄が、
すべての人間に、
真実の幸せと、最高の勝利を、
つかませたい!という、
幸福への『思い』『願い』そのものであるとしたら、
実は、その願いを、
現実のものとする秘法(ひほう)が、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

だと、言えます。


だから、南無妙法蓮華経は、
すべての人を幸せにしたい!という、
その仏(ほとけ)の思い、願い、そのものを、
現実に生きている人間の生命に伝える、
「強力な電流エネルギー」
と言えるかもしれない!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・


なぜ?
悲しくも、なんともないのに、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経をとなえた時、
涙を、流したりするのか?


ご本尊は、仏の生命そのものだと、言う。


その仏の生命は、
この人を、本当に幸せにしたい!
なにがなんでも、勝利者にしたい!
という、
「願いそのもの」だ言う。


その、仏(ほとけ)の思い、
仏の願いそのものだという「ご本尊」に、
南無妙法蓮華経を、となえる時、

南無妙法蓮華経は、
『この人を、本当に幸せにしたい!』
『なにがなんでも、勝利者にしたい!』
という、
仏(ほとけ)の思いを伝(つた)える
電流のような働きをして、
同じく、
絶対に、幸せになりたい!
必ず、勝利者になるんだ!という、
自分自身の中にある仏(ほとけ)の生命と、
ビリビリと、感電して、
無意識(むいしき)の内に、
涙を、流すのではないのだろうか?


また、それが、
強くて、あったかくて、やさしくて、
絶対に負けない、
もっとも幸せな、
最強の『仏(ほとけ)の生命』が、
自分の中にも、確実に、
存在(そんざい)していることの
証明(しょうめい)になるのかも、しれない。


だから、
ご本尊は、物語(ものがた)っている!


『すべての人間の中には、
仏(ほとけ)の生命が、ある!

だから、幸せになれない人なんて、
絶対(ぜったい)に、ひとりも、いない!!』


と・・・!


その、ご本尊のメッセージ、
仏(ほとけ)のメッセージが、
ぼくたちの生命に伝(つた)わったとき、
ぼくたちは、
涙を、流すのかもしれない・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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