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こころの音136

だいぶ前の話しだけれど、
毎月、行われている、
創価学会の本部幹部会の録画放送を見に、
外部の友達を、
創価学会の会館に、連れて行ったことが、
ありました。

その当時、
創価学会を、落とし入れようとする、
デマと中傷(ちゅうしょう)が横行(おうこう)していたため、
その本部幹部会でも、
創価学会の幹部の人たちが、
創価学会を、落とし入れようとした悪人を、
あるいは、創価学会のデマ・中傷ばかり流す、
マスコミを、徹底的に、追求(ついきゅう)し、
糾弾(きゅうだん)していった。

その、創価学会の幹部が、
創価学会の中傷ばかり流す、
マスコミと悪人を糾弾(きゅうだん)する姿を見て、
外部の友達が、
「なにも、あそこまで、言わなくても・・」
「自分を正当化するために、
 人を、非難中傷(ひなんちゅうしょう)するのは、
 おかしいのではないか?」

と、言っていた。

その友達が、言うことは、
本当は、明らかに、おかどちがいの、
間違った見方(みかた)、
あるいは、誤解(ごかい)なのだけれど、
外部の人には、それが、
わからないことが、多いようだ。

だいたい、何の根拠(こんきょ)もなく、
非難中傷されたのは、
創価学会の方であり、
私利私欲のために、創価学会を利用し、
落とし入れようとした悪人に対しては、
徹底的(てっていてき)に、その悪を、
追求していくのが、
当然(とうぜん)なことです。

ところが、
ピントが、ズレている人には、
それが、わからない。
悪を悪だと、訴(うった)えることを、
人を、あんなに非難するなんて、
みっともない。
と、言う。

とんでもない!!!

だいたい、悪人だからって、つべこべ、言わず、
みっともないから、黙(だま)っていればいいんだ!
と、いうのだったら、
世の中は、悪人が、大喜びする、
悪人が、望むとおりの、悪人天国になってしまう。

実際、悪人というものは、そういうものです。
善人が、みっともないからと、だまっていたら、
悪人というものは、際限(さいげん)なく、
悪事の限(かぎ)りを、つくしていく。
名も無い庶民や善人から、
しぼるだけ、しぼりとって、
したい放題(ほうだい)の悪事を、つくしていく。

それが、悪人です。

だから、悪人が、望むこと・・
それは、
善人が、黙(だま)っていてくれることです。
みっともないから!といって、
善人が、いい人ぶって、黙っていたら、
悪人は、いい気になって、
今以上に、悪の限りを、つくします。
そうなると、善人、あるいは、一般の庶民は、
どんどん、苦しみ、
損(そん)をするということです。

これが、いままで、
特に、日本を形成(けいせい)してきた、
悪の仕組みであり、
善人が、損(そん)をする、
不幸の仕組みだと、思います。


要(よう)するに、
善人が、だまること、
善人が、黙認(もくにん)し、
おしとやかでいること。
これが、悪を作る、
最大の原因です。
だから、本当は、
悪を訴(うった)えず、だまることは、
悪を助け、
悪の見方になることです。

それは、実際、
自分を悪に導(みちび)き、
すなわち、不幸という結果を、
自分自身に、もたらすことに、
多々、なります。

創価学会は、いわば、
清浄(せいじょう)な、
平和と幸せの安全地帯だと、言えます。
だから、そこから、利益(りえき)を得ようと、くわだてる、
悪人も、たくさん、います。
創価学会が、清浄であればあるほど、
絶対に、悪に利用されたり、
悪に、食い破(やぶ)られてはいけない!

だから、創価学会は、
絶対に、悪に対する追撃(ついげき)を、
やめないんです。
「みっともない・・?」
創価学会は、そんな問題より、
はるかに高い次元(じげん)で、戦っています。
堂々と、悪を見下ろして、
しかも、徹底的に、悪を、追求します。
だから、悪人は、創価学会を、恐(おそ)れる!

だまっていたほうが、利口(りこう)に見えるなどというのは、
二流の考え方です。
沈黙(ちんもく)は、銀。雄弁(ゆうべん)は金!です。
世界でも、一流の人は、
決して、だまってはいません!
叫(さけ)んで叫んで、叫びぬく!
それが、一流の人間の生き方です。

なぜならば、
悪を悪だと、叫(さけ)びぬくこと!
悪がなくなるまで、その罪を、訴え続けること、
これ以外、世界から、
悪を、なくし、善人が、得(とく)をし、
善人が、幸せになれる世界を、つくる方法は、
まず、絶対に、ないからです。


ドイツ人が、
ナチスの人たちを、
徹底的に、地の果(は)てまでも、
追い続け、その罪を、追求しつづけたのは、
そのためです。

これは、人間としての、
正しい行為(こうい)です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

たんなる自己を守るための、
非難中傷と、悪を悪と、叫びぬくことは、
本当は、根底から、違(ちが)います。
たんなる非難中傷は、結局、
自分自身を、傷(きず)つけることになりますが、
悪を悪だと、叫びぬくことは、
自分自身を、善(ぜん)へと、導(みちび)き、
自分自身の中から、悪を追放し、
自分自身を、あるいは人生を、
幸せにしていきます。
また、実際、そうなります。

だから、創価学会は、
これからも、悪を悪だと叫びぬくことを、
やめないでしょう。
かりに、はたからみたら、
みっともないように見えたとしても、
それ以外、正義を栄(さか)えさせ、
善人が幸せになる世界を、
つくる方法は、ないからです。

また、実際
創価学会が、歴史上、
戦時下の中でさえ、
一歩も引かず、その戦争の悪を
糾弾(きゅうだん)しつづけた。
その結果、創価学会初代会長は、
牢獄(ろうごく)で、獄死し、
二代会長も、投獄されながらも、
決して、悪(あ)しき軍国主義に、
迎合(げいごう)することは、なかった。

この、悪を悪だと、
徹底的に叫びぬいた事実があるから、
創価学会は、世界中から、
大きな信頼(しんらい)を受け、最大の期待と尊敬を、
寄(よ)せられています。

それが、世界の良識ある人たちの見方です。
それが、正しき見識を持った人間の、
創価学会に対する評価(ひょうか)です。

その創価学会に対する、
最大の敬意と賛嘆(さんたん)が、
創価学会インターナショナル会長である、
池田大作先生への、
さまざまな大学からの、
名誉学位(名誉博士や名誉教授)や、
さまざまな都市からの、
名誉市民の称号(しょうごう)として、
あらわれているんです。


それは、人間として、
どれだけ、正しい行動をしてきたか、
創価学会が、どれだけ、
正義を、平和を、守る団体であるかを、
如実(にょじつ)に、
あらわしていると思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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