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こころの音163

まえに
「野ブタを、プロデュース」
というドラマを、見たことがあります。

その中で、
女子高生のノブタ(信子)は、
ひょんなことから、
巫女(みこ)さんのアルバイトを、
することになる。

それで、その巫女さんのアルバイト中、
ノブタ(信子)は、
神主(かんぬし)さんが、
大切にしていた木の枝を、折(お)ってしまう。

神主は、言う。
「あ~あ!この木の枝を折ると、
 一番大切な人に、災い(わざわい)が、
 起こるんだよ!」

「それを防(ふせ)ぐためには、
 一番大切な人に、この神札(かみふだ)を、
 あげるといい!」

そう言って、
ノブタに神札を、渡(わた)す。

ノブタは、あわてて、駆(か)け出し、
ノブタを、人気者にプロデュースしようとしている、
二人の男子高校生、
修二と彰(あきら)に、
神札を、渡しにいく。

けれど、神札は、ひとつしかなく、
二人に会ったものの、
どちらに渡したらいいか、わからず、
悩む・・・。

結局、神札は、渡せず、
そのまま、神札を、海に放(ほう)り出してしまう。
それを見ていた修二と彰は、
あきれる。

そして、ノブタは、言う。
「みんなで、バチに当たろう!!」
(笑・・・)


さて、ノブタは、
神札を、だれにも渡さず、
海に放り出してしまったわけだけれど、
これは、正しいと思いますか?
間違(まちが)っていると思いますか?

答えは、正しい!
逆に、そんなものを、持っていたほうが、
災(わざわ)いのもとに、なります。

よく、そういうものが好きな人は、
神札やお札、お守りなど、
たくさん、持っているけれど、
そんなもの、集めれば、集めるほど、
それらは、災(わざわ)いや病気、
さまざまな不幸の元(もと)となります。

なぜ、そうなるか?
というと、
宗教には、正邪(せいじゃ)がある!
ということです。
世間一般の人は、
このことが、わからない!!
宗教は、なんでもいいものだみたいな、
だから、お守りも、神札も、
持ってて、いいものだ!と思っている。

ところが、違う!
宗教には、明確な理論(りろん)があり、
正しいものと、間違っているもの、
とくに、仏法(ぶっぽう)においては、
教義や理論における、正邪が、
明確に証明されていて、
正しいものに、祈った場合は、
幸せになるけれど、
間違ったものに祈った場合は、
逆の結果、すなわち、
不幸が、かならず、現れてくる。

それが、宗教です。

ようするに、
間違った宗教が作った、
お守りや神札、お札などは、
もともと、間違った、
言い換(か)えれば、
マイナスの宗教であるがゆえに、
お守りや、神札は、
人を守るどころか、
その逆で、
持っている人にマイナスの働きを、およぼし、
かえって、さまざまな不幸を、
その人に、もたらしてしまいます。


生命とは、不思議なもので、
間違った宗教が、
人間の生命におよぼす影響力(えいきょうりょく)は、
バカにできたものではなく、
必ず、その人の人生に、
マイナスの結果として、
現(あらわ)れてしまう。


それが、間違った宗教です。


日本の観光宗教、神社信仰、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)などの宗教が、
なんと足(た)しにもならない、
たんなる金儲(もう)けの宗教であることは、
仏法(ぶっぽう)の理論から言っても、
明白に証明されていて、
それらが、確実に、間違った宗教であることは、
間違いありません。

ところが、
世間一般の人は、
そんなことは、どうでもいいじゃないか!
神札とか、お守りとか、
名前が付いているんだから、
良いものに、決まっているじゃないか!
と、安易(あんい)に考えてしまう。


わからないと思いますが、
不幸の根源(こんげん)には、
この間違った宗教が、必ずあり、

『不幸の元凶(げんきょう)は、
間違った宗教にある!』

と、言い切ることが、できます。

それが、
日本人が好きな、
お守りとか、神札やお札だと、
言っているんです。

実際に、
なんらかの病気の人が、
それらの間違った宗教が作った、
お守りとか、神札などを、
すべて、捨てただけで、
それらの病気が、良くなったという例も、
多々、あるようです。


不思議(ふしぎ)といえば、不思議ですが、
それが、人間の生命であり、
生命と宗教とは、密接(みっせつ)な関係があり、
知らないところで、
さまざまな影響を、およぼしています。

だから、
ノブタが、神札を、
だれにも渡さず、海に捨てたのは、
正しい行動だと、言え、
ぼくたちも、その行動には、
見習(みなら)うべきなんです。


たとえば、
友だちや、親戚(しんせき)などから、
神社、仏閣(ぶっかく)など、
観光旅行のお土産(みやげ)だといって、
お守りや、神札を、もらうことが、
あると思います。

せっかく、もらったのに、
もうしわけないと思うかもしれませんが、
そんなものは、すぐに捨てる!べきです!!

自分の大切な人生です。
間違った宗教の、
そんな、お守りや神札などのために、
たとえ、ほんのわずかであっても、
自分に、さまざまな不幸、不運が、
もたらされただけでも、
その人は、耐(た)えられないはずです。

ところが、長い人生から考えると、
その悪(あ)しき影響は、
ほんのわずかどころの話しでは、
おそらく、なくなっていくでしょう。

なぜ?自分が、こんな目に!!
と思いたくなるようなことが、
起こるとも、がぎりません!!

そうなったら、
だれだって、いやです。


だから、
間違っている!とわかっているもの。
悪(あ)しきマイナスの宗教である!と、
わかっているものの、お守りや神札は、
絶対に、躊躇(ちゅうちょ)せず、
ノブタのように、捨てるべきです!!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

さきほど、
宗教には、正邪(せいじゃ)がある!と、
言いました。

そして、間違った宗教が、
その人の人生に、
さまざまなマイナスの影響を、
もたらすことを、話しました。

マイナスの宗教が、
それだけ、自分の生命と人生に、
影響を、およぼすんだから、
こんどは、
プラスの宗教、
正しき宗教は、逆に、
自分の生命、人生に、
大きなプラス、
幸せの影響を、もたらすことも、
容易(ようい)に、
想像が、つくと思います。

その宗教の正邪を、
徹底的に研究し、究明(きゅうめい)しきったのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
その結果、最も正しく、
ほんとうに、人を幸せにできる宗教、
人を幸せにする、
真実の大きな力(ちから)がある宗教が、
「究極(きゅうきょく)の法(ほう)」、
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』なんです。

そして、
その日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法を、
真っ直(まっす)ぐに、
一点の狂(くる)いもなく、
正確に実践しているのが、
創価学会です。


この正しき仏法である、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
信仰の力は、
間違った宗教のマイナスの影響力など、
比(くら)べようがないほど、大きく、
数百倍、数千倍、
数万倍の大きなプラスの力を持つといって、
間違いないでしょう。


その結果が、今の、
世界192ヶ国に広がる、
創価学会(そうかがっかい)の発展であり、
それは、悩みの解決や夢の実現、
創価学会員ひとりひとりの幸せとなって、
世界各地に、花開いています・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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