こころの音8
先日から、
映画 「アレキサンダー」を見た、
感想を話しています。
歴史的に知られている、
アレキサンダーの偉業(いぎょう)とは別に、
このオリバー・ストーン監督の、
映画・アレキサンダーは、
やはり、
アレキサンダーの影(かげ)の部分を、
題材に、描いている感じがしました。
そのせいか、偉業を成し遂(と)げた、
すがすがしさよりも、
暗く、はかない何かを、
感ぜずには、いられませんでした・・・。
ハリウッド映画のような、
爽快(そうかい)な感じではなく、
なんか、考えさせられるというか、
複雑な心境(しんきょう)を、
想起(そうき)させる、
そんな映画でした・・・。
アレキサンダーは、
過去の英雄に、あこがれ、
また、人類統合(とうごう)の夢を求めて、
世界中に、遠征(えんせい)し、戦い、
勝利してきた。
けれど、彼の人類統合の夢は、
かなったのだろうか?
また、アレキサンダーが、
征服(せいふく)した土地の民衆たちは、
アレキサンダーのしたことを、
本当に、喜んだのだろうか?
もちろん、彼に征服された土地の民衆も、
アレキサンダーに感謝するようなことも、
たくさん、あっただろう。
また、アレキサンダーも、
民衆が喜ぶようなことを、
たくさん、してきたかもしれない。
けれど、民衆たちは、
本当に、幸せになったのだろうか?
否(いな)、きっと、ならなかっだろうと思う。
第一に、戦争という、
大量殺戮(さつりく)という行為によって、
どれだれの悲しみや、憎しみが、
生まれたことだろう?
古代のことだからと言っても、
人間としての感情は、今と、まったく、
変わらないはずだと思う。
アレキサンダーは、世界を変えた!
しかし、民衆は、変わったのだろうか?
民衆の幸せは、つかめたのだろうか?
また、アレキサンダーの部下たちの幸せは、
つかめたのだろうか?
否(いな)、つかめなかっただろう・・?
アレキサンダーの理想と夢は、素晴らしかった!
けれど、現実の人間は、最終的に、
アレキサンダーに、ついていけなかった!
なぜならば、そこに現実に生きる人間の幸せが、
なかったからではないかと、
思う・・・。
いったい、アレキサンダーのような、
崇高(すうこう)な理想と夢を
いだいた人間の幸せも、
また、ぼくのような、普通の庶民たちの、
平凡ではあるけれど、最大に尊(とうと)い、
ひとりひとりの幸せも、どちらも、両方、
実現できるような、
そんなことは、
できるのだろうか?
また、アレキサンダーのような人物の幸せも、
また、世界中の、かけがえのない、
すべての民衆の幸せも、
何の矛盾(むじゅん)もなく、実現できるような、
そんな哲学(てつがく)は、
存在するんだろうか?
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
ぼくは、存在(そんざい)する!!
と、言いたい・・!
『それが、仏法(ぶっぽう)だ!!!』
それが、創価学会(そうかがっかい)が、実践する、
仏法の真髄(しんずい)である、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の生命哲学だ!!
世界中のどんな国の
どんな人間の望みや、夢や幸せにも、
完全に、対応(たいおう)することができる、
絶対に人を、選ばない、
完璧(かんぺき)な生命哲学が、
存在する。
現実の中で、息(いき)づき、
すべての人が、感じることができる幸福を、
だれでも、つかんでいける哲学(てつがく)が、
存在する。
それが、創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経の仏法だと思う。
この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
その完璧な生命哲学を、
ただ、
『ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経を、となえる』
という、
もっとも単純(たんじゅん)な行為から
出発することによって、
すべての人間に、感じとらせ、
すべての人間に、理解させ、
すべての人間を、現実に幸せにしてきている!
それが、できるのが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』という、
仏法の信仰です。
もし、アレキサンダーが、
この、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)を知っていたならば、
戦争によるのではなく、
この南無妙法蓮華経の仏法によって、
世界を広げ、つなげていくことに、
なんのためらいもなく、
挑戦していたことでしょう・・!!
アレキサンダーほどの人物だったら、
この南無妙法蓮華経の仏法が、
どれだけ、
人々に幸せと平和と価値(かち)をもたらすか、
瞬時(しゅんじ)にわかったにちがいない。
現在、それと同じように、
創価学会は、世界192ヶ国に、
広がっている。
そして、これからも、もっと、もっと、
ひろがっていくでしょう・・・・・!
それは、まるで、
アレキサンダーの大遠征のように・・・・
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
映画 「アレキサンダー」を見た、
感想を話しています。
歴史的に知られている、
アレキサンダーの偉業(いぎょう)とは別に、
このオリバー・ストーン監督の、
映画・アレキサンダーは、
やはり、
アレキサンダーの影(かげ)の部分を、
題材に、描いている感じがしました。
そのせいか、偉業を成し遂(と)げた、
すがすがしさよりも、
暗く、はかない何かを、
感ぜずには、いられませんでした・・・。
ハリウッド映画のような、
爽快(そうかい)な感じではなく、
なんか、考えさせられるというか、
複雑な心境(しんきょう)を、
想起(そうき)させる、
そんな映画でした・・・。
アレキサンダーは、
過去の英雄に、あこがれ、
また、人類統合(とうごう)の夢を求めて、
世界中に、遠征(えんせい)し、戦い、
勝利してきた。
けれど、彼の人類統合の夢は、
かなったのだろうか?
また、アレキサンダーが、
征服(せいふく)した土地の民衆たちは、
アレキサンダーのしたことを、
本当に、喜んだのだろうか?
もちろん、彼に征服された土地の民衆も、
アレキサンダーに感謝するようなことも、
たくさん、あっただろう。
また、アレキサンダーも、
民衆が喜ぶようなことを、
たくさん、してきたかもしれない。
けれど、民衆たちは、
本当に、幸せになったのだろうか?
否(いな)、きっと、ならなかっだろうと思う。
第一に、戦争という、
大量殺戮(さつりく)という行為によって、
どれだれの悲しみや、憎しみが、
生まれたことだろう?
古代のことだからと言っても、
人間としての感情は、今と、まったく、
変わらないはずだと思う。
アレキサンダーは、世界を変えた!
しかし、民衆は、変わったのだろうか?
民衆の幸せは、つかめたのだろうか?
また、アレキサンダーの部下たちの幸せは、
つかめたのだろうか?
否(いな)、つかめなかっただろう・・?
アレキサンダーの理想と夢は、素晴らしかった!
けれど、現実の人間は、最終的に、
アレキサンダーに、ついていけなかった!
なぜならば、そこに現実に生きる人間の幸せが、
なかったからではないかと、
思う・・・。
いったい、アレキサンダーのような、
崇高(すうこう)な理想と夢を
いだいた人間の幸せも、
また、ぼくのような、普通の庶民たちの、
平凡ではあるけれど、最大に尊(とうと)い、
ひとりひとりの幸せも、どちらも、両方、
実現できるような、
そんなことは、
できるのだろうか?
また、アレキサンダーのような人物の幸せも、
また、世界中の、かけがえのない、
すべての民衆の幸せも、
何の矛盾(むじゅん)もなく、実現できるような、
そんな哲学(てつがく)は、
存在するんだろうか?
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
ぼくは、存在(そんざい)する!!
と、言いたい・・!
『それが、仏法(ぶっぽう)だ!!!』
それが、創価学会(そうかがっかい)が、実践する、
仏法の真髄(しんずい)である、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の生命哲学だ!!
世界中のどんな国の
どんな人間の望みや、夢や幸せにも、
完全に、対応(たいおう)することができる、
絶対に人を、選ばない、
完璧(かんぺき)な生命哲学が、
存在する。
現実の中で、息(いき)づき、
すべての人が、感じることができる幸福を、
だれでも、つかんでいける哲学(てつがく)が、
存在する。
それが、創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経の仏法だと思う。
この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
その完璧な生命哲学を、
ただ、
『ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経を、となえる』
という、
もっとも単純(たんじゅん)な行為から
出発することによって、
すべての人間に、感じとらせ、
すべての人間に、理解させ、
すべての人間を、現実に幸せにしてきている!
それが、できるのが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』という、
仏法の信仰です。
もし、アレキサンダーが、
この、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)を知っていたならば、
戦争によるのではなく、
この南無妙法蓮華経の仏法によって、
世界を広げ、つなげていくことに、
なんのためらいもなく、
挑戦していたことでしょう・・!!
アレキサンダーほどの人物だったら、
この南無妙法蓮華経の仏法が、
どれだけ、
人々に幸せと平和と価値(かち)をもたらすか、
瞬時(しゅんじ)にわかったにちがいない。
現在、それと同じように、
創価学会は、世界192ヶ国に、
広がっている。
そして、これからも、もっと、もっと、
ひろがっていくでしょう・・・・・!
それは、まるで、
アレキサンダーの大遠征のように・・・・
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
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