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こころの音45

このまえ、
うちの会社に、
エホバかなんかの、
キリスト教の勧誘(かんゆう)の女性が来て、
ある上司(じょうし)のかたが
対応したんだれけど、
その上司は、宗教が嫌(きら)いならしく、

「人が、何を信仰しようと自由だが、
宗教を、人に勧(すす)めるのは、
間違(まちが)っている!

だいたい、宗教というものは、
昔は、必要なものだったかもしれないが、
現代では、必要のないものだ!

宗教は、無(な)いほうが、いいんだ!
だいたい、お賽銭(おさいせん)を投げて、
手を合わせて、幸せになるなんて、
ばかげているし、
宗教なんて、人間を、たぶらかす、
害毒(がいどく)にしかならない!」

と、言っていた。


確(たし)かに・・、
世間一般に考えられているものが、
宗教だったら、
うちの上司が言うことは、
正しいと思う。

確かに、日本人的な宗教の考え方では、
宗教は、ほんとうに、ばかげていると思う。

ともかく、みんなが、やっているから、
なんとなく、余興(よきょう)でやっている。

手を合わせているものが、
ほんとうは、何であるのか、
調(しら)べもしないで、
なんとなく、手を合わせている。

観光宗教、あるいは葬式(そうしき)宗教というのものは、
観光や金儲(もう)けに都合(つごう)がいいように、
かってに、適当に作り出された、

『でたらめの産物(さんぶつ)』

と言えるので、
拝(おが)んでいるものの内実(ないじつ)は、
はっきり言って、
『げてもの』だと思って間違いないです。


そんなものに、手を合わせている。


ところが、
手を合わせるということは、
人間の生命的には、
あなたに(拝[おが]んでいる対象[たいしょう]に)、
命を、ささげますよ!という意味と、
科学的な効果(こうか)とが、ある。

だから、祈っている対象が、
ゲテモノや化け物(ばけもの)だったら、
化け物や、ゲテモノに、
命を、ささげることになって、
自分の生命が、ゲテモノや化け物に、
影響(えいきょう)されるので、
自分の人生に、悪影響を、およぼしたり、
不幸を、もたらすことはあっても、
100%、幸せになることはありえない!


それが、観光宗教や葬式仏教、
神社信仰だと、言えます。


だから、うちの上司が言っていることも、
まんざら、間違ってはいない。


ただし、そう言えるのも、
世間一般の日本人レベルでのことです。


もっと、レベルを上げた考え方をすると、
うちの上司の言ったことは、
間違っている。

ちょうど、幼稚園児(ようちえんじ)には
正しいと言えることも、
大学生からみれば間違っているようなものです。

幼稚園と大学生の例(たと)えは、
おおげさのように聞こえるかもしれないけれど、
はっきり言わせていただくと、
日本人の宗教に対する考え方は、

「幼稚園なみ」

と、言わざるをえません。


宗教には、正邪(せいじゃ)があることを知らない。
そして、その宗教に対する
無知(むち)、無認識(むにんしき)が、
多くの不幸を、もたらしているのも、
事実(じじつ)です。


話しは、もどりますが、
確かに、うちの上司が言うように、
世間一般で考えているようなものが、
宗教だったら、
はっきり言えば、
そんなものは、やらないほうがいいし、
かえって、やったら、
害(がい)になります。

ただ、そのレベルで考えている人は、
それより、はるか上のレベルにある、
現実生活と哲学(てつがく)と、科学と信仰に、
一点の矛盾(むじゅん)も起こらない、
一点の無駄(むだ)もない、

『仏法(ぶっぽう)の哲学』

が、あることを知らない。

また、知ろうともしないし、
信じようともしない。


よく、創価学会(そうかがっかい)のことを、
調べもしないで、また、実践(じっせん)してもいないのに、
偉(えら)そうにバカにしたことを
話す人がいますが、
一見、偉そうに見えますが、
仏法の哲学を知っている人から見ると、
はっきり言って、
ほんとうに、間抜(まぬ)けに見えます。

浅(あさ)はかすぎて、かわいそうになるくらいです。


それほど、本当の仏法(ぶっぽう)の哲学は、
スゴイということです。


創価学会では、そのスゴイ!仏法の哲学を、
なんの教養(きょうよう)もないような、
おばあちゃんが、
しっかりと、自分の生命と心に、
身につけている!

それは、どんな人であっても同じで、
この南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法の信仰(しんこう)を、
しっかり、やっていくと、
自分の生命に、
絶対くずれない幸せの哲学を、
必ず、身に付(つ)けることができる!
ということです。

偉大な哲学、レベルが高い宗教ほど、
人を、選ばないというけれど、
創価学会のスゴイところは、
そういうところに、あると思います。


南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰は、
人を、選ばない!


どんな人でも、
幸せになる、
明確な哲学(てつがく)と確信を、
身に付けることが、できる!


それは、悩みや問題を解決し、
夢や希望をかなえて、
その人を、必ず幸せにしていく。


すごいことだと、思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
御書(ごしょ)の中で、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文や手紙を、すべて集めたものです)


『一念三千(いちねんさんぜん)を、
識(し)らざる者には、
仏(ほとけ)・大慈悲(だいじひ)を起こし、 
五字(妙法蓮華経)の内に、
この珠(たま[一念三千の法則])を、つつみ、
末代幼稚(まつだいようち)の頸(くび)に、
かけさしめ給(たま)う。』

と、言っている。


難(むずか)しい話しはともかく、
現代の宗教に関しては、
赤ん坊のように、
なんにも知らない人であっても、
この南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、

「幸せになる哲学」と、「幸せになる確信(かくしん)」と、
「幸せという現実の結果」を、
必ず、つかむことが、できる!

ということだと、思う。


ようするに、どんな人でも、
必ず、幸せになれる!ということです。


日蓮大聖人は、徹底的(てっていてき)な理論の人で、

「わたしの理論(りろん)が、
人に破(やぶ)られることがないかぎり、
どんな迫害(はくがい)にあったとしても、
けっして、従(したが)うことはない!」

と、言い切った人なので、
大聖人の言葉は、
徹底的な理論に裏付(うらづ)けられている。

そして、その理論を破るような人は、
いまだ、現れていないし、
その逆(ぎゃく)に、
日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
創価学会が世界に広がるとともに、
世界中の人たちを、幸せにして、
その理論の正しさを、
証明し続けている・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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