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こころの音78

日蓮大聖人が生きていた時代に、
「熱原の法難(あつはらのほうなん)」という、
創価学会(そうかがっかい)の人たちなら、
よく知っている、
有名な宗教弾圧(しゅうきょうだんあつ)が、
あった。


1275年ころ、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
弟子の日興上人の指揮のもと、
当時の、熱原(あつはら)というところで、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)が、
急速に、広まっていった。

他宗の坊主たちは、
危機感(ききかん)をいだき、
地元の武士らと結託(けったく)して、
日蓮大聖人の門下の弾圧を始めました。

その弾圧(だんあつ)は、
しだいに、エスカレートしていき、
多くの無実(むじつ)の農民らが、
大変な処罰を受け、
そのうち、
三人が処刑(しょけい)されました。


処刑された三人は、

「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえるのを、やめれば、
助けてやる!」

と、おどされました。


けれど、その三人は、
最後まで、南無妙法蓮華経をとなえるのを、
やめず、
処刑のその時まで、
南無妙法蓮華経を、となえきって、
死んでいきました。


これを、

「熱原の法難(あつはらのほうなん)」

と、言います。


この法難に遭(あ)った農民たちは、
みな、日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰を始めて、
ほんの2、3年の、
信仰(しんこう)の浅(あさ)い人たちでした。


そんな信仰の浅い人たちが、

なぜ?

命を捨ててまで、

南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰を、
つらぬき通したんでしょうか?


人間、正直(しょうじき)です。

あることを、つらぬく場合、
そのために、捨てるもの以上に、
大きな価値(かち)が、
その、つらぬくことに、なかったら、
それを、つらぬくことは、
絶対に、しません!


だとしたら・・、

この南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)には、
命を捨てても、なお、
それ以上、大きな価値が、ある!

ということに、なる。

でなかったら、処刑されても、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰を、
つらぬく理由は、
なにも、ないからです。


その理由とは、何なのだろう?


まず、考えられるのは、

人間は、幸せになるために、生きている!

ということです。

また、幸せを感じるために、
生きているとも、
言えます。


とくに、庶民は、鋭(するど)い!

庶民は、
見栄(みえ)や、飾(かざ)り、
体裁(ていさい)や慢心(まんしん)、
おごりや、権力には、
無関係だ。

だから、なおさら、

「幸せ」とは、何なのか?

ということに関しては、
ものすごく、スルドイ!

庶民だからこそ、
本当に大切なものが、何なのか?
はっきりと、見えている!

逆(ぎゃく)に、
権力者や富豪(ふごう)、有名人などは、
さまざまなプライドや、見栄、慢心があって、
真実の幸せが、見えてこない部分が、
あるのかもしれない・・。
 

おそらく、
処刑されたり、処罰(しょばつ)された、
ほんとうに貧(まず)しい、
名も無い農民たちは、
この南無妙法蓮華経の仏法の信仰を、やってみて、

「これこそ、真実の幸せだ!!」

「これこそ、本当の生きがいだ!!」

と、
丸裸(まるはだか)の生命(せいめい)で感じ、
生きている歓喜(かんき)とは、何なのか?
生きていく真実の価値とは、何なのか?
はっきりと、
わかったんだと思う!

自分の生命を幸せにする、
根本(こんぽん)の法則(ほうそく)が、
庶民のスルドイ直感で、
わかったんだと思う。

だから、
たとえ、処刑されても、
南無妙法蓮華経の信仰という、
自分の生命に植(う)えられた『幸せ』を、
どうしても!捨てることは、
できなかったんだと思う!


それは、理屈(りくつ)ではなく、
感じるものであり、
生命に感じる確信(かくしん)そのものだからです。


そう考えると、
この日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法が、

どれだけ、偉大(いだい)で、
どれだけ、スゴイかが、
よく!わかると思う。

また、日蓮大聖人の仏法を、
実践している創価学会が、
世界中に、(現在世界192ヶ国)
広まり続けているのも、
うなづけます。

また、嫉妬(しっと)に狂(くる)った、
エセ・マスコミなどが、
どんなに、創価学会を、
非難(ひなん)・中傷(ちゅうしょう)しても、
創価学会が、
どんどん、発展し続けているのも、
当然(とうぜん)と、
思われる。


なぜなら、そんな嫉妬に狂った、
非難・中傷よりも、
人間にとって、
『幸せ』のほうが、
はるかに、大切だからです。


人間は、幸せを感じるために、生きてる!
あさぐろい、醜(みにく)い心の人間の、
嫉妬やデマを聞くために、
生きているのでは、ない!!


生命に、きざまれた幸せを、
みすみす、捨てるような人は、
あんまり、いない。

だから、くだらぬ非難なんかに、
耳を、かすより、
自分の、本当の幸せを、つかむために、
創価学会の中で、
南無妙法蓮華経の仏法を
実践(じっせん)したほうが、
よっぽど、得(とく)だからです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・


真実の価値を知っている人は、
強い!


どんな苦難(くなん)にも、負けない!


こうすれば、絶対に幸せになる!
という、
体験(たいけん)を持っている人は、
絶対に負けない。

また、そう思わせるだけの価値が、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、
あるんだと思う。


だから、創価学会の人たちは、
負けない!

どんな時でも、太陽のような希望を持って、
幸せを、つかんでいける!!


負けないこと!
勝つこと!
幸せになること!


日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法は、
そのすべてに、
直結(ちょっけつ)している・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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