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こころの音80

ぼくは、今でも、
プラズマテレビを愛用(あいよう)しています。

今は、液晶(えきしょう)テレビも、
性能(せいのう)が良くなっていると思うけれど、
液晶テレビは、どうも、
私の目に合わず、
目が疲(つか)れて、
見ているのが、しんどくなりました。

以前、ネットで調べたところ、
液晶テレビが合わず、
目が疲れる人も、
プラズマテレビなら、
目が疲れづらいという記事を読んで、
プラズマテレビを購入(こうにゅう)したのですが、
期待(きたい)した通り、
私には合っていて、
目が疲れず、
今でも満足(まんぞく)して使用しています。


プラズマテレビは、
今では販売(はんばい)していませんが、
反応速度(はんのうそくど)が速いため、
激しい動きをより滑(すべ)らかに
映(うつ)し出すことができるので、
ゲームをプレイしたり、
スポーツ観戦する場合には、
オススメだそうです。

ただ、
画素(がそ)が1つずつ光るため、
消費電力が大きく、
電気代がかかる傾向(けいこう)があるそうです。

けれど、
私にとっては、宝物なので、
大切に使って、
長持ちさせたいと思っています。


テレビで思い出しましたが、
以前、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰について、
このようなことを言っています。


「極端(きょくたん)な話しになるかもしれませんが、
釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の
仏法並(なら)びに天台(てんだい)の法門(ほうもん)を、
テレビに譬(たと)えて言うならば、
法華経(ほけきょう)以前の釈尊(しゃくそん)の仏法は、
テレビを構成(こうせい)する
一つ一つの部品といえます。

そして、
テレビの組み立て方を示(しめ)し、
全体像を明(あき)らかにしたのが、
『法華経(ほけきょう)』です。

さらにテレビがどんなものかを、
理論的(りろんてき)に体系づけたのが、
天台(てんだい)の法門(ほうもん)と
いえます。


それに対して、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、
テレビ自体を、
残(のこ)されたことになる。


それが『ご本尊(ほんぞん)』に当たります。


もったいない譬(たと)えですが、
私どもが、
ご本尊を持(たも)ったということは、
既(すで)に完成した
立派(りっぱ)なテレビを、
手に入れたことになります。


部品を組み立てたりしなくとも、
理論はわからなくとも、
すぐに見ることができる!


しかし、テレビを見るためには、
チャンネルを合わせなければならない。

それが、
ご本尊への信心(しんじん)であり、
仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)です。」



創価学会が実践(じっせん)している
仏法(ぶっぽう)の信仰は、

『ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえて祈(いの)る信仰』

です。

その、
「ご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえて祈る信仰」
を、

『テレビを見る』

ことに譬(たと)えているわけですが、

ここで『テレビを見る』と言っているのは、

「幸せになっていく」のを見る。

「悩みが解決(かいけつ)していく」のを見る。

「夢や希望をつかんでいく」のを見る
ということで、
希望が叶(かな)い、
実現(じつげん)していくことを、

『テレビを見る』ことに、
譬(たと)えているわけです。

いわば、
自分が幸せになっていくドラマ、
悩みを解決していくドラマ、
夢や希望をつかんでいくドラマを、
現実のなかで、リアルとして、
見ることができる!という
感覚(かんかく)でしょうか・・。

だから、ここで言う
『テレビを見る』という譬(たと)えは、
「悩みや問題を解決していく」
「幸せになっていく」
「夢や希望をかなえていく」
「人生を勝利していく」ことを、
意味しています。


そのためのテレビのような機械が、
創価学会の
『ご本尊(ほんぞん)』
だと言うことです。


池田先生が言っていますが、
法華経(ほけきょう)以前の釈尊の仏教は、
テレビを構成(こうせい)する、
一つ一つの部品です。

だから、いくら部品があっても、
テレビを見ることは、できません。

また、釈尊の法華経自体(ほけきょうじたい)も、
説明書のようなものなので、
いくら説明書があったとしても、
テレビがなかったら、
番組を見ることは、できません!

しかも、これは、
釈尊(しゃくそん)が言っているのですが、
それらの釈尊の仏教は、
釈尊死後、2千年以上たつと、
なんの効力(こうりょく)もなくなり、
かえって害(がい)になり、
人々を不幸にする原因になってしまいます・・。


現代という時代は、
その釈尊死後、
2千年以上たった時代であり、
釈尊の仏教に、なんの効力もなく、
かえって釈尊の仏教が、
人々を不幸にしてしまう時代です。

それは、たとえて言うなら、
すでに使い物にならなくなった部品と同じで、
なんの役(やく)にも立ちません。

それらは不良品(ふりょうひん)と同じであり、
逆(ぎゃく)に害(がい)になり、
不幸を作る原因になっていきます。


それが、現在、
日本中に、はびこっている
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光仏教です。


だから、それらの葬式仏教や観光仏教を、
いくら、やってみたところで、
なんの足(た)しにもならず、
返(かえ)って害になり、
現実に、
さまざまな不幸を、
引き起こす結果となってしまいます。

また、神社信仰にしても同じで、
間違(まちが)ったデタラメな宗教ですから、
害になり、
不幸を引き起こす原因(げんいん)にしかなりません。


それに対して、
創価学会が信じ、
祈ってる『ご本尊(ほんぞん)』は、
最新式のテレビのようなものです。

幸せになるための、
あらゆる機能(きのう)が整(ととの)っている。

どんな悩みにも対応(たいおう)でき、
どんな世界の、
どんな境遇(きょうぐう)の人の願いも、
かなえていく力(ちから)があり、
世界中のあらゆる人を
幸せにしていくことのできる、
ほかでは絶対に手に入らない
最高級のテレビです。


それが、創価学会が信じ、祈っている
『ご本尊(ほんぞん)』です。


けれど、いくらテレビがあっても、
スイッチを入れなければ、
テレビのどんな面白(おもしろ)い番組も、
見ることはできません。

また、電源(でんげん)が入っていなかったら、
スイッチを押(お)しても
テレビは、つかない・・。

それと同じように、
創価学会のご本尊が、
どんなに素晴(すば)らしくても、
その素晴らしさ、すごさ、
無限(むげん)の可能性(かのうせい)を引き出す
『スイッチ』を押さないかぎり、
ご本尊という幸せを引き出す機械から、

悩みを解決する力、
幸せになっていくアイデア、
夢や希望をつかむためのラッキーや運、
人生を勝利していくために
自身が成長し人間革命(にんげんかくめい)していく力、
・・など、

幸せになるための
さまざまな力(ちから)やエネルギー、
可能性を引き出すことは、できません・・・。


そのご本尊にスイッチを入れる行為(こうい)。
また、
ご本尊という機械に電源を入れる行為が、

「ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる」

ということであり、
また、
仏法(ぶっぽう)の実践活動である、
創価学会の活動です。

そして、
ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえぬき、
また、
創価学会の活動を真剣にやっていった時、
ご本尊という機械が動きだし、
悩みや問題の解決、
幸せになっていくための自身の成長、
人間革命、夢や希望の実現(じつげん)といった、
素晴らしいテレビの番組のような内容を、
自分の人生において、
現実の中で見ることが、
できるようになっていきます。


それが、ご本尊です・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

ご本尊を、
幸せが映(うつ)るテレビとするならば、
その幸せのテレビの内容を、
自分の人生において、
現実に、
見れるようにするための行為(こうい)が、
ご本尊に、

『南無妙法蓮華経を、となえる』

ということであり、
それと、同時進行のかたちで、
ご本尊という機械を、
幸せに向かって、
強力に動かしていく具体的な行動となるのが、
「創価学会の活動」ということになります。

そして、
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえることと、
創価学会の活動が、
合い重(かさ)なっていった時、
「ご本尊」という幸せを創(つく)る機械が、
大きく、強力に動き出し、
そのことによって、
自分自身の生命が、
幸せに変革(へんかく)され、
人間革命がなされ、
やがて、
さまざまな悩みを解決できたり、
夢や希望を、かなえていけたりして、
幸せになっていけるわけです。


創価学会二代会長の戸田城聖先生が、

「ご本尊は、幸せ製造機(せいぞうき)だ。」

と言いました。

べつに何にもわからなくても、
機械の仕組(しく)みや説明書がなくても、
テレビのスイッチを入れれば、
番組を見ることができるのと同じように、
創価学会のご本尊は、
「ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていく」
ことによって、
さまざまな悩みや問題を解決していけ、
夢や希望も、
かなえていけるようになっていく。


それが、
「幸せを見ることのできるテレビ」と言える、
あるいは、
「悩みや問題を解決していく」
「夢や希望をかなえていく」
「人生を勝利していく」、
それらの自分の人生における、
最高のドラマを見ることができるテレビのような
『ご本尊(ほんぞん)』であり、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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