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こころの音82

●映画「コンスタンティン」を見て・その2●

先日、
映画「コンスタンティン」を
見た話しをしたんだけれど、
この映画の後半で、
コンスタンティンは、
女性を、救(すく)うために、
命を落とす。

その時、
魔王(まおう)が、あらわれ、
コンスタンティンは、
地獄(じこく)へ、連れて行かれそうになる。

しかし、
コンスタンティンは、
女性を救おうとして命を落としたという、
自己犠牲(じこぎせい)の精神を
働かせたということで、
魔王が、どんなにコンスタンティンを
地獄に連れて行こうとしても、
連(つ)れて行けず、
天国へと、のぼっていく。

それを見た魔王は、怒(いか)り、

「そんなことは、絶対に、させない!」

と、
コンスタンティンの肺ガンを治(なお)し、
コンスタンティンを、
生き返(かえ)らしてしまう。


なんと、魔王が、
コンスタンティンの命を、
救った形になったわけです。

映画らしい、おもしろい展開(てんかい)だと思った。


それで思い出したけれど、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書に、
梵音声御書(ぼんのんじょうごしょ)という
御書があります。

※御書(ごしょ)とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文や手紙を、すべて集めたものです。
そのひとつひとつの論文や手紙に、
内容に合った名前が付(つ)いています。

その梵音声御書(ぼんのんじょうごしょ)の中には、

「どんな国の人々も、
その国の王に、従(したが)わなければ、
生きていけない。

これが、人間の定(さだ)めだ!」

という話しが出てくる。


それは、確かに当然(とうぜん)だと思う。


なぜなら、
その国の規則(きそく)に背(そむ)いたら、
生活できなくなるし、
結局(けっきょく)、
生きていけないからだ。


けれど、
いまいち、腑(ふ)に落ちない!


なぜかというと、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)は、
あらゆる民衆のための、
庶民(しょみん)のための、
全世界のひとりひとりの人間を救うための、
生命の法則(ほうそく)のはずだからです。

それなのに、
その国の王(おう)に従(したが)わなければ、
生きていけないなんて、
確かにそうかもしれないけど、
それでは、
ひどい言い方をすれば、
民衆は、王の奴隷(どれい)みたいな
存在(そんざい)に感じてしまうからです。


けれど、この梵音声御書を、
読み進めていくと、
そうではないことが、わかってくる。


確かに、その国にいる以上、
その国の王、あるいはその国の法律(ほうりつ)、
規則(きそく)にそむくことはできない。

そのことわりを利用して、
日蓮大聖人は、

『仏法も、それと同じなんだよ!』

ということを、
わからせようとしている!!


単純に言うと、
仏法(ぶっぽう)とは、生命の法則であり、
宇宙の法則なんです。

どんな生命(せいめい)も、
生命の法則、宇宙の法則には、
さからうことは、できない。

これは、わかると思う。

まず、すぐ上にあげた話しの内容を
認(みと)めるとします。

するとこんどは、
この「生命の法則」「宇宙の法則」を、
絶対に逆(さか)らうことのできない力(ちから)であり、
最高、最上(さいじょう)の法則という意味で、
『生命の王』と、とらえてみる。

すると、
「宇宙の法則」である、
『生命の王』に、
逆(さか)らうことのできる生命は、
ないことになります。


どんな生命も、
あるいは、どんな魔民(まみん)も、
悪魔や、悪鬼(あっき)や鬼神(きじん)であっても、
生命の法則の上での『王』に、
従(したが)わないわけには、いかない!


なぜなら、
どんな悪魔や、悪鬼、魔人であろうと、
その生命の法則の上での『王』に
したがわなかったら、
自分が、朽(く)ち果(は)て、
滅(ほろ)んでしまうからです。


問題は、宇宙の法則の上での『王』
生命の法則の上での『王』とは、
何か?
ということだと思う。


その生命の法則の上での『王』、
どんな悪鬼や、魔物(まもの)、鬼神でさえも、
したがわざるえない、
生命の法則の『王』が、
実は、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです!

だから、どんな悪い、
悪魔や、魔物、鬼神でさえも、
どうしても!
従(したが)わなければならないのが、
『南無妙法蓮華経』なんです。

この『南無妙法蓮華経』に従わなかったら、
悪鬼や、魔物であろうとも、
自分が、朽(く)ち果て、
死んでしまうからです。


では、ぼくたちが、
生命の上での『王』になるには、
どうしたら、いいのか?


それは、『南無妙法蓮華経』が、
生命の法則の『王』なのだから、
ぼくたちは、

『南無妙法蓮華経を、となえれば、いい!!』

ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえた時から、
ぼくたちは『生命の王』になる!

だから、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえると、
どんな悪魔や、鬼神であっても、
その人を、
助け、守(まも)るしか、なくなる!

なぜなら、悪魔や鬼神であっても、
生命の王に従わなかったら、
自分が、滅(ほろ)ぼされてしまうからだ。


現実的な話しをすると、
ぼくたちが、
真剣に、南無妙法蓮華経を、
となえていくと、
自分の周(まわ)りの、
敵(てき)であったり、悪人であっても、
その人に、
危害(きがい)を加えることが、
できなくなってくる。

逆(ぎゃく)に、
なぜだか、
敵や、悪人であっても、
南無妙法蓮華経をとなえている、その人を、
助(たす)ける存在に、なってしまう。

まるで、コンスタンティンを、
魔王が助けたように、
なぜだか、
南無妙法蓮華経を、となえれば、となえるほど、
悪人や、敵であっても、
自分の周(まわ)りの人たちが、
自分を、助ける働きを、してくれる!


南無妙法蓮華経を、となえると、
生命の位(くらい)では、
その人は、王となる!


だから、不思議(ふしぎ)にも、
周りのひとたちは、どうしても、
その人に、従い、
助けざるえなくなってくる!


これが、南無妙法蓮華経をとなえる人の、
『生命の位』だと思う。


また、不思議だけれど、
ほんとうに、
そうなってくる!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

よく、創価学会では、
南無妙法蓮華経を、となえることを、
「ライオンが、ほえる」ことに譬(たと)える。

ライオンは、
百獣(ひゃくじゅう)の王(おう)と言われるように、
王者のイメージがあり、
「野生動物の王」のイメージと、
「生命の王」、「宇宙の王」、
「人生の王」、「幸せの王」、
「勝利の王」というイメージを、
重(かさ)ね合わせているわけです。

伝(つた)えたいイメージとしては、
どんな獣(けもの)も、
ひとたび、ライオンがほえたなら、
恐(おそ)れおののく。

あるいは、
どんな獣(けだもの)も、
ライオンが、ほえたならば、
百獣(ひゃくじゅう)の王であるライオンに、
したがわざるえなくなる。

ということだと思います。

その威力(いりょく)は、
あらゆるものを一変(いっぺん)させ、
あらゆるものを、
従(したが)えさせることができる。


それが、

「南無妙法蓮華経を、となえる」

ということであり、
「ライオンがほえる」ことに譬(たと)えられる、
『南無妙法蓮華経』です。

すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえた時から、
何かに、従(したが)わされている、
従順(じゅうじゅん)な存在から、
自分が、すべてを変えていく、
王に変わり、
主体(しゅたい)と、なっていく!


ここに、南無妙法蓮華経の、
すごい変革(へんかく)のエネルギーが、
あると思う。


環境(かんきょう)に左右されている自分から、
環境を変える自分に!

運命に、振(ふ)り回されている自分から、
運命を、切り開く自分に!

悩みに、振り回されている自分から、
悩みを、打ち破(やぶ)る自分に!

こうなったら、いいのに、という、
はなかい願望(がんぼう)から、
絶対に、こうしてみせる!という、
強い意志(いし)に!


自分が、
自分の人生における『王』になれるのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰(しんこう)であり、
それが、南無妙法蓮華経を、
となえるということだと、思う。


そして、
王者のごとく、悩みを解決でき、
王者のごとく、困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
王者のごとく、夢や希望をかなえて、
人生の勝利者となり、
幸せを、つかむことが、できる!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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