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こころの音150

ぼくは昔、
広島カープ(プロ野球)のファンでした。

それで、テレビで広島カープの試合を見ていると、
よく、長谷川良平(はせがわりょうへい)という人が、
解説をやっていた。

以前、その長谷川良平氏が、
亡(な)くなったという記事が、
新聞に、のっていて、
切り取って、取っておきました。

長谷川良平氏は、プロ野球の広島カープの、
創設期(そうせつき)のエースとして活躍した人で、
肺炎(はいえん)のため、
76歳で、亡くなられたそうです。

長谷川氏は、
愛知・半田商工から、1950年、
市民球団として、発足したばかりの広島に入団。

身長1メートル67センチの小柄(こがら)な体ながら、
右横手の変則的(へんそくてき)なフォームから、
生み出されるシュートを武器に、
弱小時代の広島のエースとして、支(ささ)えた。

強気な投球が、持ち味で、
1年目から15勝を挙(あ)げるなど、
8年連続で、2ケタ勝利。
55年には、30勝で最多勝に輝き、
「小さな大投手」と呼ばれた。

63年の引退後は、
広島のコーチを経(へ)て、
65年のシーズン途中に監督就任。
67年まで指揮をとり、
その後は、中日のコーチも、務(つと)めた。

2001年、
野球殿堂(でんどう)入りを、
果(は)たした際には、

「弱小時代の広島は、
 私には、いい!環境(かんきょう)だった。
 それが、小さな私には、
 バネになった。」

と、話している。

弱小だから、だめなのでは、ない。
弱小だから、こんな環境では、
いい仕事が、できないのでは、ない。

弱小だからこそ!
闘魂(とうこん)を燃やして、
いい仕事が、できた!
弱小だからこそ、
自分の力を、最大限に発揮(はっき)して、
勝利することが、できた。


人は、時として、
さまざまな環境や、境遇(きょうぐう)などから、
こうだから、ダメなんだ。
こうだから、どうしようもない・・・
こうだから、自分は、もう・・・
とか、できない理由、
無理な理由を、並(なら)び立てることがある。

たしかに、それは、
だれだって、あるだろう。
けれど、それを並べていたら、
きりが、ないかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)は、世界中に広がっているから、
いろんな国の人たちが、いる。
海外の人たちは、
ずこく、合理的(ごうりてき)な考え、
個人主義的な考えが、好きな人が、
多いようです。
だから、当然、創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
納得(なっとく)させるためには、
日本とは、説明の仕方が、
違ってきたりするそうです。

さきぼとも、話したように、
海外の創価学会の人たちも、いろいろと、
悩みを、抱(かか)えている。
人間だから、当然です。

その時に、
さまざまな環境や、境遇(きょうぐう)などから、
こうだから、ダメなんだ。
こうだから、どうしようもない・・・
こうだから、自分は、もう、できない・・・
ではなくて、
だからこそ!がんばるんだ!
こうだからこそ!戦うんだ!
こういう自分だからこそ、全力で挑戦するんだ!
という話しを、するそうです。

「こうだから」ではなくて、
『こうだからこそ!』がんばる!!

「だから」から、
『だからこそ!』への変換(へんかん)!!

一見(いっけん)、
「だから」に『こそ』を足(た)しただけだから、
あんまり変わらないように思うかもしれません。

けれど、「だから」と『だからこそ』では、
天国と地獄(じごく)くらい違ってくる!

「だから」は愚痴(ぐち)の命です。
こうだから、だめなんだ。
こうだから、もう・・・。
「だから」にはいつでも逃げ道があり、
後ろ向きの命が出てしまう。

けれど、『だからこそ』だと180度違(ちが)う!!
だからこそ、がんばろう!
だからこそ、戦うんだ!
『だからこそ』だと、どんな状況でも、
その状況を出発点として、
前向きに挑戦していく
清々(すがすが)しい希望がある!

『だからこそ』だと、
絶対に愚痴(ぐち)はないし、
後ろ向きにはならない!


それが、『だからこそ』なんです!


だから、『だからこそ』という発想(はっそう)は、
スゴイことだし、素晴らしいことなんです!

けれど、ここまでだと、
どこかのセミナーと、たいして変わらない。
いくら、『だからこそ』だと言ってみたところで、
現実の苦難(くなん)うずまく世界に生きていると、
『だからこそ』の方が良いことは、
わかっていても、
現実には、それができないで、
『だから・・』になってしまうことの方が、
多いからです。

これでは、だだの理屈(りくつ)にすぎません。

けれど、これが、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと、
ガラッと変わってくる!
創価学会の南無妙法蓮華経を
となえる仏法の信仰は、
現実に確実に、
『だからこそ』を可能にする、
ものすごいパワーであり
力(ちから)であり、
エネルギーだからです!!

南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、
現実に人間の生命を変革してしまうんです!
現実に人間の生命を、
絶望から希望へ。
あきらめから挑戦へ。
悲しみから歓喜へ。
宿命(しゅくめい)に打ちひしがれている自分から、
宿命を打ち破(やぶ)る自分へ。
夢をかなえていける強い自分へ。
自分の生命の中にある、
あらゆる不幸を、
幸せへと変革してしまうんです!

だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
実際に、「だから」という、
あきらめと苦悩の生命から、
『だからこそ』という
希望と挑戦の幸せの生命に、
変革されていくんです!
だから、悩みや問題を、解決でき、
そして夢や希望も、
かなえていけるようになっていくんです!

日本的に言えば、
南無妙法蓮華経を、となえていくと
『負(ま)けじ魂(だましい)』が、
ふつふつと、湧(わ)き上がってくる!
だから、勝っていける。
そして、幸せになっていける。


ここに、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法の醍醐味(だいごみ)が、
あるんですが、
ようするに、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
「こうだから、ダメなんだ」という、
あきらめの心から、
『こうだからこそ!』がんばるんだ!という、
挑戦し、戦う心に、変革される!

それが、
南無妙法蓮華経を、となえることの、
スゴサです・・・・!!!


海外の創価学会の人たちは、
こういう話しで、ほとんど、
納得(なっとく)するそうです。
そして、現実に、
そのとおり、真剣に、
南無妙法蓮華経を、となえ続けて、
ことごとく、その人その人の、
悩みや問題を、解決し、
幸せを、つかんでいます。

海外の人は、
合理的だから、結果が出なかったら、
やりはしません!
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえて、
現実に、素晴らしい結果が、出るから、
創価学会は、世界192ヶ国に、
広がっているわけです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

こうだから、ダメなんだ・・というふうに、
悩みや問題を、自分ではなく、
自分の外にあるものの、せいにしてしまう。
また、悩みや問題を、
自分が原因だと認(みと)めたとしても、
それを、「だから、もう自分は・・・」というように、
無理な理由、できない理由、と決めつけ、
どうにもならないものとして、
あきらめてしまう・・・。

ところが、それでは、
一向(いっこう)に、悩みは、解決しないし、
問題も、解決しない。
一生、そのまま!ということです。

そうではなくて、
仏法(ぶっぽう)では、
一念三千(いちねんさんぜん)の法則を、
説いています。
一念三千とは、
一念(いちねん/こころ)の違いによって、
違う三千の世界が、できあがるということです。
ようするに、
自分の心を、変えることによって、
自分の環境、自分の人生、自分の世界を、
変えることが、できる!と、いうことです。

ただし、理屈では、わかっても、
人間、そう簡単に、心を変えるなんて、
できる話しでは、ありません!


だから、南無妙法蓮華経を、となえるんです!!


南無妙法蓮華経には、自分の心を、
劇的(げきてき)に、変革させる、
スゴイ力(ちから)が、ある!
ということてす。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
こうだから、ダメなんだ!という、
理由を、探す、「あきらめ」の心から、
『こうだからこそ!』
かんばるんだ!挑戦するんだ!
という、何ものにも負けない、
強い強い、自己を変革する心(こころ)に、
変わっていきます!


ここに、
南無妙法蓮華経を、となえる、
スゴサと、素晴らしさが、あります。
だから、創価学会の人たちは、
さまざまな困難や悩みを、克服(こくふく)して、
幸せになり、
人生を、勝利することが、できるんです。


広島カープの長谷川良平氏のように、

「弱小時代の広島は、
 私には、いい!環境だった。
 それが、小さな私には、
 バネになった。」

と、言えたら、
人生、勝ったも同然(どうぜん)かもしれない。
また、そうなるために、
ぼくたちは、南無妙法蓮華経を、となえる。


そして、必ず、勝利できる・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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