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こころの音156

このまえ、ビデオで、
「医龍(いりゅう)」というドラマを、
みました。

その中で、
ひとりの麻酔医(ますいい)が、でてくる。
その麻酔医は、かつて、
製薬会社の依頼を、受け、
麻酔導入の新薬の開発に、関わっていた。

新薬の認可(にんか)を、得るために、
その麻酔医は、多額の金品と、引き換(か)えに、
論文を、偽造(ぎぞう)した。
その結果、新薬は、認可されたが、
トラブルが続出し、ほとんどの病院が、
使用を、中止した。

しかし、その麻酔医がいた大学病院では、
さらに、何十例も、その新薬を、使用し、
多数の患者が、死亡。
そんな人体実験に関わった男として、
その麻酔医は、登場する。

しかし、その麻酔医は、
大変な技術と腕(うで)があるということで、
ドラマ「医龍」の主人公率いる、
心臓外科医にとって最高峰(さいこうほう)の技術を要(よう)する、
「バチスタ手術」をするためのチーム、
「チーム・メディカル・ドラゴン」に入り、
そのメンバーになっていく。


このドラマの中では、
その麻酔医について、
主人公に、こう言わせている。

「自分(麻酔医)の犯(おか)した罪が、
 一生かけても、許(ゆる)されないことは、
 本人が、いちばん、よく、知っている!」

「だから、あいつは、
 ひとから、責(せ)められ続けることを、望んでいる・・
 だから、あいつは、ほかの道を選ばなかった・・」

と・・。
 

一生かかっても、許されない罪(つみ)。
一生かかっても、消えない宿命(しゅくめい)・・。

こういうものを、仏法(ぶっぽう)では、
『宿業(しゅくごう)』と、いう。

宿業(しゅくごう)とは、
自分の人生における、
あるいは、自分という生命における、
なぜだか、組み込まれてしまった、
宿命的な苦しみ、悲しみ、
背負(せお)いたくないのに、背負ってしまった、
運命的な重たい荷物のような、
ものだろうか?

なぜ、宿業(しゅくごう)と言うかというと、
その宿命が、どうしても、
さけられないものであり、
どうしても、消えないものだから、
かもしれない。

しかし、この宿業、
あるいは、宿命という考え方は、
ある意味、宗教に、悪用されてきた。

どういうことかというと、
宿命というものは、
どうしても、消えないもので、
本人には、どうしようもない!
だから、いわゆる聖職者(せいしょくしゃ)に、
多額の金を、払(はら)って、
おがんでもらう!
そうしないと、宿命は、消えないし、
変えられないと、いうのだ・・!

だから、へんてこな、
宗教のスペシャリストと自認(じにん)する、
まやかしの教祖が、
たくさん、出現して、
宿命という考え方は、
人々を、不安にし、
多額の金品を払って、
宗教家に、おがんでもらう!という、
悪しき宗教ビジネスを、
はびこらす結果となってしまった。

この考え方が、
まやかしのペテン宗教や、
カルト宗教、
カルトでなくても、
日本に、はびこる、葬式(そうしき)仏教や、
観光宗教、神社信仰など、
何十万という、まやかしの邪宗教(じゃしゅうきょう)が、
うじゃうじゃしている原因でも、ある。


ところが、本当は、
こういう『宿命(しゅくめい)』という、
考えかたは、間違っている!!

真実の宿命に対する考え方は、
実は、750年以上も前に、
日蓮大聖人が、解(と)き明かしています。
そして、宿命を、変えられないもの、
消えないものから、
必ず、変えられるもの、
消すことのできるものにしたのが、
創価学会が、実践している、
真実の宿命転換(しゅくめいてんかん)の法則(ほうそく)、
『南無妙法蓮華経』なんです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

確かに、人間、生きていると、
宿命的とも、思えることに、
何度も、出くわすことになると思う。
それは、だれだって、わかる。

けれど、それを、
宿命だからと、あきられてしまっては、
何にもならない。
それでは、宿命ともいえる、
人生における辛(つら)さ、苦しさ、悲しみは、
一生、消えることはないし、
当然、一生、背負っていくことになる。

そんなことは、わかっているけれども、
現実に生きていると、
実際、どうにもならないから、
あきらめたり、現実逃避(とうひ)したり、
ようするに、おざなりに、
生きるしか、なくなってしまう。

明確な打開策(だかいさく)が、ないのだ!
ないから、どうしようもない。
だから、そのまま、耐(た)えて、生きるしかない。
それが、現実に生きている人間の、
現状(げんじょう)かも、しれない。

ようするに、
明確な打開策が、あれば、いいわけです!
どんな宿命も、打ち破(やぶ)ることのできる、
明確な方法!
確実な原理(げんり)と実際に実践(じっせん)できる方法が、
あれば、いいわけです。

その方法が、わかれば、
宿命だからといって、あきらめたり、
現実逃避したり、ただ、ひたすら、
耐え忍(しの)ぶような生き方を、
しなくて、すむわけです。

実は、その宿命を打ち破る、
明確な原理と方法を、
すべての人間のために、
打ち立てられたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
そして、その原理と方法が、
創価学会(そうかがっかい)が、実践している、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえる!
ことを根本とする、
仏法(ぶっぽう)の実践なんです。

もっと、単純に言うと、
創価学会の人たちが、となえている、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』には、
どんな宿命も、打ち破る力(ちから)が、ある!
と、いうことです。
それだけ、スゴクて、
無限の力を、秘(ひ)めているのが、
『南無妙法蓮華経』なんです。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえ始めた時から、
宿命は、宿命では、なくなるんです!
なぜなら、それは、
打ち破(やぶ)り、変えていくことが、
できるからです。

たとえば、
登山家は、
「そこに、山があるから登(のぼ)る」
と、いうのです。
アスリートは、
自分の超えるべき目標があるから、
日々、練習し、挑戦しています。

それと同じように、
ぼくたちが、南無妙法蓮華経を、
となえ始めた時から、
今まで、宿命だと思っていたものは、
自分の超えるべき目標に、
変わるんです。

なぜなら、
南無妙法蓮華経を、となえ始めた以上、
それは、必ず、超(こ)えられる!
からです・・・・!

超えられるから、宿命が、存在する。
いわば、宿命は、
超えるべき目標であり、
自分が、輝(かがや)き、挑戦し、
日々を、生き生きと生きるための、
エネルギーと、なるんです!

そして、その宿命を、超えたとき、
いままで以上の、
思いもかけない幸せが、もたらされる!


だから、ぼくたち、
創価学会員が、
南無妙法蓮華経を、となえ始めた以上、
宿命は、
幸せになるためのハードル。
必ず、超えられる、
幸せになるための道しるべのような、
役割(やくわり)を、果たしてくれます。

なぜなら、目標が、はっきりしないと、
なにごとも、成就(じょうじゅ)しないからです。
幸せも、同じです。

いわば、
宿命があるから、幸せになれる!
悩みがあるから、幸せになれる!


ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえたときから、
宿命は、幸せになるための「こやし」となり、
幸せになるためのガソリンとなり、
幸せになるための、エネルギーと、
変わっていく。

これが、真実の仏法(ぶっぽう)から見た、
宿命に対する、とらえ方であり、
考えかただと思います。

そして、実際に、
その通りになります。



悩みは、超えていける!
困難(こんなん)は乗り越えていける!
宿命は必ず打ち破ることができる!

そして、幸せを
どこまでもどこまでも、開花していける!


その法則であり、力であり、
エネルギーが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
それは、
世界192ヶ国の創価学会員が、
現実に体験し、実感しています・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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