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こころの音170

以前、
聖教(せいきょう)新聞の名字の言というコラムに、
こんな話しがのっていました。

それは、20代で関節リウマチを患(わずら)い、
寝たきりとなった女性の話しでした。

彼女は、心が荒(すさ)み、
周囲への不満が募(つの)っていった。

ある日、激励(げきれい)に訪(おとず)れた
創価学会の女子部の部長が、
枕元(まくらもと)で歌った。

ナポリ民謡(みんよう)
「オ・ソレ・ミオ(私の太陽よ)」。
それもイタリア語だった。

面食(めんく)らう彼女に、
部長が一言。


「どんなにつらいことがあっても、
生涯(しょうがい)、嵐が続くことはないのよ。」


涙があふれ、周囲に
感謝する心が生まれた。

その後、彼女は
自力で立てるようになり、
友のために祈り走る
広宣流布(こうせんるふ)の、
ヒロインに成長していった。


ちなみに広宣流布(こうせんるふ)とは、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の、
思想と哲学(てつがく)を基調(きちょう)として、
世界に平和と幸福を
もたらしていくことを言います。



創価学会(そうかがっかい)の強いところ、
素晴らしいところは、
こういうところにあるんだと思う。

ひとりの人間が、
ひとりの人間に、
一対一で対峙(たいじ)し、
徹(てっ)して励(はげ)ましていく。
そして、ひとりを蘇生(そせい)さて、
立ち上がらせていく。

それができる土壌(どじょう)と
哲学(てつがく)と生命のエネルギーが、
創価学会にはあるんだと思う。

無限の蘇生(そせい)のドラマを
生み出す場所が、
創価学会ではないかと思う。


とかく、孤立化(こりつか)しやすい
現代という世界。

華(はな)やかに見える人も
いるかもしれない。
幸せそうに見える人も
いるかもしれない。

けれど、精神の底にある
孤独(こどく)の闇(やみ)が、
どこかに潜(ひそ)んでいるのでは
ないだろうか・・・。

表面的には幸せそうに見えても、
心の底に闇(やみ)が隠(かく)れている。

その闇を押し隠して、
生きているような人も、
いるかもしれない。


その闇を、
打ち破(やぶ)る場所が、
創価学会だと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

欲(ほっ)しても欲しても、
満(み)たされない何か?がある。

どんなに楽しく、
幸せそうに振る舞(ふるま)っても、
心の底に満たされない何かがある。


人間が人間であることの証(あかし)・・・。
人間が人間であることの希望・・・。
人間が人間であることの尊厳(そんげん)・・・。


その、だれもが心の底で、
本当は欲している、
人間としての証(あかし)を、
つかむことのできる場所がある。

自分が人間であることの、
明確な希望と尊厳(そんげん)を、
心の底から感じ取ることのできる場所がある。


それが、創価学会だと思う。


自分が自分であることの希望。
自分が自分であることの尊厳(そんげん)。
自分が自分であることの証(あかし)。


それを、明確に、
心の底から歓喜(かんき)して、
感じ、味わい、
楽しんでいける場所が、
『創価学会』であり、
それを可能にする、
哲学であり力(ちから)であり、
エネルギーが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
心から思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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