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こころの音69

最近、
うちのマンションの隣(となり)の土地に、
マンションが建設された。

当然(とうぜん)
うちの古いマンションに比べれば、
立派(りっぱ)で、高価そうだ。

どんな人たちが住むんだろうか?
と、想像(そうぞう)してみたりもする。


それで思い出したけれど、
以前、
耐震強度偽装問題(たいしんきょうどぎそうもんだい)
というのが起こった。

コストを抑(おさ)えるために、
耐震強度を偽装して、
震度(しんど)5強でも、
倒壊(とうかい)するようなマンションが
建てらていたということで、
大きな社会問題になりました。

最近は、意識(いしき)が高いから、
そんなことはないと思うけれど、
このご時世(じせい)だから、
何があるともかぎらない・・・。


そんなことを考えたりもした。


うちのマンションは、
それよりもっと古(ふる)いから、
大丈夫だろうか?とか、
いやいや、次に地震がきたら、
ひとたまりもない・・・などと、
アホなことを、考えたりもする。


ともかく、隣の新しいマンションにも、
夢と希望を、ふくらませて、
引っ越(こ)してくるんだから、
安全な建物であってほしいと思う。


やはり、家にしろ、マンションにしろ、
購入(こうにゅう)することにでもなったら、
人生の大変な決断(けつだん)だから、
それこそ、いろいろと大変だろうと思う。
いろいろと、気も使うだろうと思う。

ある意味、ひとつの夢が、かなった!
ということで、
幸せを、満喫(まんきつ)したい気分にも、
なるだろうと思う。

そのマンションや家に、
欠陥(けっかん)があったり、
安全や耐震(たいしん)に問題があったりしたら、
それだけでショックで、
その失望(しつぼう)は、
はかりしれないだろう。

自分にあてはめて考えてみると、
自分の部屋に、なにかしら、
ほんのちょっとだけでも、
欠点や欠損(けっそん)があるだけで、
ものすごく、気になってしまう。


それは、当然のことなのだろう・・・。


そう考えると、
もし、自分のマンションに、
大きな欠陥(けっかん)があるとしたら、
耐震や安全に問題があるとしたら、
だれでも、すぐさま、
そんなマンションは、返上(へんじょう)して、
他の、安全なマンションに、
住もうと、するだろうと思う。


けれど、それが、
自分の生命(せいめい)だったら、
どうだろうか・・・?


自分の生命を構築(こうちく)する、
根幹(こんかん)にあるもの。
それが、欠陥品だったら、
ただちに、
交換(こうかん)しようと、するだろうか・・・?


回(まわ)りくどい言い方をしましたが、
自分の生命を構築する、
あるいは、人生を構築する、
その人生の根幹(こんかん)にあるものが、
実は、
『宗教』だと、言うことができます。

『宗教』は、
ほんとうのところは、
その人の人生の幸不幸を決定する、
根幹の部分を、しめている。

この『宗教』という、
根幹の部分に欠陥があると、
その人の人生は、
とんでもないことになり、
大きな不幸に、おちいったりする。


これが、宗教というものです。


けれど、人々は、
そのことに、気づかない!!!


マンションとか、
物質的な、あるいは表面的なことには、
気づき、
大いに、その問題の重要性(じゅうようせい)を考え、
行動をするのに、
もっと、大切な、
自分の生命の根幹をしめる宗教の問題には、
まったく、感心を示(しめ)さず、
気づくこともない!

ところが、
自分が、生まれながら持っている、
あるいは、
先祖から継続(けいぞく)して持っている宗教が、
間違(まちが)った、
欠陥だらけの宗教だった場合、
マンションどころか、
自分の人生そのものが、
倒壊(とうかい)してしまう。


その人の持つ、
さまざまな不幸の原因(げんいん)は、
実は、自分の生命の根幹をしめる、
宗教の欠陥、あるいは、
間違った宗教によって、起こる!!
と、言っていい。


その自分の生命の根幹にあるはずの宗教に、
欠陥があれば、
自分の生命のリズムは、くずれ、
倒壊(とうかい)していく。

そして、ありとあらゆる、
人が恐(おそ)れる、
さまざまな不幸の形となって、
その人の人生を、崩(くず)し去っていく。


それが、間違った宗教です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

人は、自分の住むマンションに
欠陥や問題があることが、わかれば、
すぐさま、
その欠陥マンションを捨て、
新しい安全なマンションに、
住もうとするでしょう。

それと同じように、
自分の生命の根幹にある宗教が、
欠陥品であり、間違っているとしたならば、
すぐにでも、
その間違った宗教を捨て、
正しい宗教に、つくべきです!!


その正しい宗教、
絶対に安全で、
決して、欠陥のない、
すべての人を、幸せにすることができる宗教が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法(ぶっぽう)です。


宗教の哲学(てつがく)的な概念(がいねん)は、
とても厳密(げんみつ)で、きびしく、
残念ながら、
本当に、その人の生命を支(ささ)え、
幸せにできる宗教は、
この、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)しかない!と、
言い切ることができます。

失礼ですが、他の宗教は、
どこかに、必ず、欠陥があり、
欠陥があるということは、
その人の生命に、
あるいは、そん人の人生に、
欠陥、すなわち何かが欠けるという、
不幸という結果が、
大なり小なり、
出てきてしまうということです。

だから、自分の生命を支える骨格(こっかく)を、
完全に安全なものにし、
さまざまな人生における
障害(しょうがい)を防(ふせ)ぎ、
本当の意味での、
幸せで、希望に満ちたものにしたいのならば、
すぐにでも、
創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法に、とびつき、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
始めるべきです。



人は、大きな災難(さいなん)なり、
なにかの大変なできごとが、
自分に降(ふ)りかかってみないと、
その重要生に気づかない・・・。

それと同じように、
人間の生命においても、
その人が持っている宗教の正邪(せいじゃ)によって、
自分の幸不幸が、決まってしまうことに、
人々は、まったく、気づこうとしない!


いや、一生、気づかないかもしれない・・!!


けれども、気づかなくても、
いやおうなしに、
自分の生命を構築している、
間違った宗教による弊害(へいがい)、不幸は、
自分の人生における、
なんらかの時に、なんらかの形で、
降(ふ)りかかってきて、
その人を、絶望(ぜつぼう)させたり、
不幸のどん底に、陥(おとしい)れたりする。


それが、
人間の生命と人生における、
欠陥構造物(けっかんこうぞうぶつ)といえる、
間違った宗教です。


すべての不幸の根源(こんげん)には、
間違った宗教がある。


そのことに、早く、早く、
気づいてほしい・・・・!


そして、
幸せを構築するうえで、
生命を幸せにする、
完全な構造物といえる宗教が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法です。


その証拠(しょうこ)として、
創価学会は、世界192ヵ国に広がり、
世界中の人々の悩みを解決し、
夢や希望をかなえて、
幸せと勝利を、もたらしている。


だから、

そのことに・・・、

早く、早く、気づいてほしい・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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