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こころの音103

以前、
フランスで、
性急(せいきゅう)に死を選ぶ10代の若者が増(ふ)え、
社会問題化しているという記事を
読んだことがありました。


日本でも、いじめによる子供たちの自殺が、
問題になっているけれど、
それとは少し違(ちが)う内容で、
印象(いんしょう)に残っていました。


英紙ガーディアンによると、
パリの南東イブリー・シュール・セーヌで、
二人の14歳の少女が放課後、
男友達の部屋がある17階の窓から、
手首を紐(ひも)で結んで
飛び降(お)り自殺した。

二人は別々の学校に通っていたが、
この日は、学校が終わった後、
男友達の家族が住む
アパートを訪(おとず)れていた。

二人は、アパートに着くと、
寝室(しんしつ)の中に入り、
男友達と、もう1人の男性に、
呼ぶまで待つよう指示(しじ)した。

その際(さい)、少女たちから
「思いがけない事」を期待するようにと
告(つ)げられたという。

呼ばれた男性二人が寝室に入ると、
二人の少女は、寝室の窓(まど)に立っており、
すぐさま飛び降りた。


「止める暇(ひま)がなかった」

と、男友達の1人は言う。


1人の少女の遺体から
遺書(いしょ)と見られる紙切れが見つかった。

それには、ただ単(たん)に

「人生は、生きる価値(かち)がない」

との走り書きがあった。


不自由(ふじゆう)なく育った少女が
なぜ死を選んだのか。


他にも、フランスでは、
ドーバー海峡(かいきょう)に近い
港町カレイ近郊で
この事件と同様に、
14歳と15歳の少女が、
がけから飛び降りて、
自殺(じさつ)してしまったと、
書かれていました。


・・・・・・・・・


死ぬことに、
それほど、魅力(みりょく)があるのだろうか?


死ということが、
何か、素晴らしい門出(かどで)だとでも、
思っているのだろうか?

永遠の生命観(せいめいかん)から言えば、
確かに、死は、新たな人生への、
出発と考えることも、可能(かのう)です。

しかし、それは、
その人が、人間として、
生きて生きて、生き抜(ぬ)いた後で、
言える話しで、
一個の生命として、
生き抜くことを、拒否(きょひ)した人間の、
言えることではない!


自殺した少女は、言う。


「人生は、生きる価値がない」と。


そうではない。

生きる価値を、見つけることが、
できなかっただけだ。


ここに、大きな問題があると思う。


日本でも、そうだと思うけれど、
高校や大学、
あるいは、一流の会社に入るために、
さまざまな知識(ちしき)は、
教えてくれるけれど、
生きる価値について、
自分の生命が、かけがいのないものである!
ということは、
教えこまれていない・・・。


その人が、その人である!というだけで、
生きている、かけがいのない、
最高最大の価値が、ある!


そのことを、なかなか教えらない・・。


だから、子供たちの自殺が、
増(ふ)え続けるのかもしれない。


もうひとつ、問題がある!


かりに、生きる価値について、
教えたとしても、
それを、現実(げんじつ)に感じることが、
できなかったら、
子供たちは、信(しん)じられず、
自殺するかも、しれない・・・。


ところが、この二つの問題を、
みごとに、解決した、
生命哲学(せいめいてつがく)が、
存在する!

生きる価値を、
自分の生命で、感じることのできる、
自(みずか)らの、心と体で、
爆発(ばくはつ)させていける、
生命哲学が、存在する!!


それが、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・


『南無妙法蓮華経は、歓喜(かんき)の中の大歓喜なり!』

と、言う。

それは、南無妙法蓮華経が、

自分とは、いったい、何なのか?

なぜ、自分は、生まれてきたのか?

その生命の価値を、存在(そんざい)を、
一瞬のうちに、認識し、感じることのできる、
生命の究極(きゅうきょく)の法則(ほうそく)だからです。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
人間の生命の最高最大の価値を、
表現している。

だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
自分の中にある、
生命の最高最大の価値が、
呼び起こされる!

呼び起こされた、自分の生命の中にある、
偉大(いだい)なる価値は、
みずからの生命で、その価値を、感じ、
認識(にんしき)し、
最大の歓喜を、味(あじ)わうことになる!


それが、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
『南無妙法蓮華経』という、
秘法(ひほう)だと思う!!


だから、南無妙法蓮華経を、
となえると、
『歓喜の中の大歓喜!』という、
生きていく最大の価値を、
自らの生命で、
強烈(きょうれつ)に感じることが、できる!



南無妙法蓮華経を、
一ぺん(一回)でも、となえたら、
その人は、救(すく)われるとも、言う。


南無妙法蓮華経は、
それほど、スゴイということです。


だから、
フランスの自殺した少女たちが、
もし、創価学会を、知っていたら・・・

もし、南無妙法蓮華経を、知っていたら・・・

そして、一ぺん(一回)でも、
南無妙法蓮華経を、となえたならば、
99.9%!!
彼女たちは、
自殺を、踏(ふ)みとどまり、
生きる!ことを、選んだに違いない・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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