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こころの音130

このまえ、ビデオで、
「魔法使いに大切なこと」という、
アニメを見ました。

このアニメでは、
魔法(まほう)という手段が、
一般的に認(みと)められていて、
国として、公的に、
魔法を使う機関(きかん)があって、
魔法使いが、公務員として、
働いているという設定になっています。

区役所みたいな、公的な場所には、
魔法課(まほうか)という課があって、
そこに行って、
魔法を使ってほしい!と頼(たの)み、
正式にお金を払うと、
その人の望みの魔法を、
魔法士が、かけてくれるという、
仕組みになっています。

だから、魔法は、
かってに使ってはいけないことになっていて、
正式に国家の試験を受けて、
魔法士として、認定(にんてい)されないと、
魔法を、使えないという、
仕組(しく)みになっています。

それで、主人公たちは、
魔法士になるために、
正式な魔法士の仕官(しかん)に付いて、
研修(けんしゅう)を受けるという話しです。

その中で、
試験に合格できなくて、
正式な魔法使いになれなかった、
魔法使いが、出てきて、
その落ち込んだ、卑屈(ひくつ)な姿を見ていて、
同じ魔法士の研修を受けている、
主人公の友達が、

「人と、比(くら)べるなんて、最低だ!!」

と、言っていた。

実力がないのが、最低なのではない。
『人と、くらべる』のが、最低だ!
と、言うのだ。
ちょっと、スルドイ!と思った。

自分にベストを、尽(つ)くして、
なんで?卑屈(ひくつ)になる必要が、ある?
なんで、人と比(くら)べてしか、
ものごとを、判断できないのか?

そこに、人間の持つ、
ある種の弱みが、あるような気がした。


釈尊(しゃくそん/釈迦[しゃか]、ブッダ)が、
残した名言がある。

釈尊は、言った。


『私は、人の中に、
 抜(ぬ)きがたき一本の矢(や)が、
 刺(さ)さっているのを、見た!』


 その抜(ぬ)きがたき一本の矢(や)とは、
 『差異(さい)への、こだわり』です。

差異(さい)への、こだわり!
すなわち、人と自分との違(ちが)い。
人と自分を、比(くら)べてしまう。

人と自分とを、比べる、
強烈(きょうれつ)な、差別意識!
ここから、さまざまな争(あらそ)いが、生まれ、
ここから、あらゆる不幸が、生まれる。

人間に競争心は、必要だ。
けれど、『差異(さい)への、こだわり』という、
抜(ぬ)きがたき一本の矢(や)が、
ささっているかぎり、
人間に、安穏(あんのん)と幸せを、
もたらすことは、できない!のも、
事実だと、思う。

このアニメの魔法使いは、
「人と比(くら)べるなんて、最低!」
と、言った。
考えてみたら、
もし、人と比べなかったら、
まったく、卑屈(ひくつ)になる必要は、ないはずだ。

卑屈の原因は、
人と、比べることにある!
これが、『差異への、こだわり!』だと思う。


では、人間に、突(つ)き刺(さ)さった、
「差異(さい)への、こだわり」という、
抜(ぬ)きがたき矢(や)を、抜くためには、
どうしたら、いいのだろうか?

ここに、重要な問題がある!
差異への、こだわりを、
協調(きょうちょう)に変え、
差異への、こだわりを、
個性を、尊敬しあう、
尊重(そんちょう)の心に、変えていく。

口で言うのは、簡単だけれど、
実際にやるのは、難(むずか)しい。
なぜなら、それができていたら、
戦争は、無くなっていたし、
戦争は、起こらないはずだからです。

人間は、いまだ戦争を、続けている。
それは、いまだに、
差異への、ごたわりに、
執着(しゅうちゃく)しているからだと思う。

差異への、こだわりは、
おそらく、人を否定(ひてい)するのみならず、
自分自身も、否定してしまう。
なぜなら、差異に執着するかぎり、
心が、安まることはないし、
そこから生まれるのは、
破壊(はかい)しかないからです。

差異へのこだわりは、
卑下(ひげ)の心を呼び、絶望を生む。
差異へのこだわりは、
嫉妬(しっと)をもたらし、憎しみを呼ぶ。
差異へのこだわりは、
敵対心(てきたいしん)をもたらし、争いを引き起こす。

自分に対しても、人に対しても、
破壊は、永遠に続く・・。


なぜ?そうなってしまうのだろう・・・。


それは、自分が、本来、
『根源的(こんげんてき)に、最高に素晴らしくて、
 最高に偉大(いだい)で、最高に魅力があり、
 欠(か)くことのできない、
 大切な尊(とうと)い存在なんだ!』
ということが、わかっていないからだと思う。

自分の尊厳性(そんげんせい)が、わからないから、
人の尊厳性も、理解することが、できない!
それが、
『差異への、こだわり』だと思う。

この自分の、
あるいは、人間の、
究極(きゅうきょく)の尊厳性を、
本当に理解することを、望むならば、
方法は、一つしか、ない!


それが、
創価学会が実践(じっせん)している、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことです。
これ以外、絶対にない!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

創価学会の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』・・・。

この、『南無妙法蓮華経』は、
すべての人間の中にある、
最高に偉大で、最高に尊(とうと)い生命であり、
また、南無妙法蓮華経は、
人間の最高最大の、尊厳性(そんげんせい)を、
無限に凝縮(ぎょうしゅく)した
エネルギーのようなものだと思う。

人間の中にある、
最も偉大な、生命エネルギー・・!
心と体から湧(わ)き上がる、
無限の勇気と無限の希望、
無限の歓喜(かんき)・・!
無限の知恵と無限の幸福!
どんな困難(こんなん)も
撥(は)ねのけていける輝(かがや)きを
持った生命であり、
心の状態(じょうたい)・・!

それが、『南無妙法蓮華経』だと思うけれど、

その、最高に尊(とうと)い生命である、
『南無妙法蓮華経』は、
すべての人の中にある・・!

だから、自(みずか)ら、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
南無妙法蓮華経が、
人間の尊厳性を、無限に凝縮(ぎょうしゅく)した、
エネルギーであるがゆえに、
自分の中から、
偉大なる生命の尊厳性が、開花し、
また、自分で、
自分の生命の偉大さと、尊厳(そんげん)を、
感じることが、できるようになる。

南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分で、自分の生命の尊厳と偉大さを、
感じることが、できれば、
当然の結果として、
人の中にも、生命の尊厳と偉大さを、
感じることができ、
また、見ることができる!

そうなれば、結果として、
争(あらそ)いは、なくなっていく!

自分も、他の人も、
同じように、尊厳と偉大さ、
あふれる生命だからです!

それが、自分の生命で、
わかるようになるから、
南無妙法蓮華経は、すごい!!
だから、創価学会は、
世界192ヶ国に、ひろがり、
世界中に、平和の和を、広げ、
幸福を、もたらし、
世界中の有識者たちから、
絶大な共感(きょうかん)と期待をもって、
絶賛されている!!

そこには、
「差異への、こだわり」は、無い!
世界を、一つに、つなぐ、
共感と歓喜(かんき)の和が、ひろがるだけだ!


だから「差異への、こだわり」という、
人間に、突き刺(つきさ)さった、
抜(ぬ)きがたき矢(や)を、抜くには、
どうしたら、いいかと言えば、

生命の次元(じげん)から見ても、現実生活から見ても、
結果として、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
以外には、ない!!!と、
明確に、断言(だんげん)することが、できる・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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