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こころの音186

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書(ごしょ)に、
こう、あります。


『一度(ひとたび)、
妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)と
唱(とな)うれば、
一切(いっさい)の仏(ほとけ)・
一切の菩薩(ぼさつ)・
一切の声聞(しょうもん)・
一切の梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・
閻魔(えんま)・法王(ほうおう)・
日月・衆星(しゅうせい)・
天神(てんじん)・地神(ちじん)・
乃至(ないし)地獄(じごく)・
餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・
修羅(しゅら)・人天(にんてん)・
一切衆生(いっさいしゅじょう)の
心中(しんちゅう)の仏性(ぶっしょう)を
唯(ただ)一音(いちおん)に
喚(よ)び顕(あらわ)し
奉(たてまつ)る功徳(くどく)・
無量無辺(むりょうむへん)なり。』


ちなみに、御書(ごしょ)とは、
日蓮大聖人が書かれた論文や手紙を、
すべて集めたものをいいます。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
言っています。

『妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)は、
ありとあらゆる人びとから、
そして、ありとあらゆる環境(かんきょう)から、
仏性(ぶっしょう)を呼び起こし、
一切を蘇生(そせい)せしめていく
音律(おんりつ)である。』


上にあげた日蓮大聖人のご文の中の、
菩薩(ぼさつ)・声聞(しょうもん)・
梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・
閻魔(えんま)・法王(ほうおう)・・・や、
地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・
修羅(しゅら)・人天(にんてん)などは、
生命と宇宙の働(はたら)きと力(ちから)、
さまざまな可能性や影響力(えいきょうりょく)、
また、生命に内在(ないざい)する
特性(とくせい)や性質、
人それぞれの境涯(きょうがい)や心の変化を、
言葉で表現したものですが、
それらを動かし、
無限の幸せをもたらしていける、
『仏性(ぶっしょう)』という
仏(ほとけ)の生命を、
一言(ひとこと)で呼び覚(さ)まし、
動かしていけるのが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
だということです。


仏(ほとけ)の生命を呼び起こす!
といっても、
よくわからないと思いますが、
自分の中にある、
あるいは生命や宇宙の中にある、
幸せをもたらす力(ちから)、
希望の力、
さまざまな悩みを解決し、
夢をかなえていける無限のエネルギーを、
引き出し、
呼び起こしていく!と、
いうことです。

その、あらゆる幸せの力を
呼び覚(さ)ましていける力が、
たった一言の
『南無妙法蓮華経』
にはある!!

ということです。


『仏(ほとけ)の生命』の力とは、
そのように、
無限の幸せと希望をもたらす
生命の力だということです。

その、宇宙や世界、
人間や生命の中から、
無限の幸せと希望をもたらす、
『キーワード』となる音律(おんりつ)が、
『南無妙法蓮華経』だということです。


たとえば、公園に、
山田さんが100人、
いたとします。

そうすると、その公園で、

「山田さーーん!」

と呼ぶと、
100人の山田さんが、

「はーい!」

と答える。

それと同じように、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
南無妙法蓮華経とは、
「仏の生命の名前」「仏性(ぶっしょう)の名前」
なので、
呼ばれて、
全宇宙の仏性(ぶっしょう)が、

「はーい」

と返事をする。

また、自分の中の仏性も、
呼ばれて、返事をする。

あらゆる環境(かんきょう)、
あらゆる世界、
また自分の中にある仏性も、
呼ばれて、

「はーい!」

と返事をして、
引き出されていく。

そうすると、南無妙法蓮華経とは、
仏性(ぶっしょう)とは、
幸せをもたらす無限の力なので、
自分の中から、
幸せになるための力が引き出され、
また、環境や世界からも、
幸せをもたらす力が
引き出されていく。

その結果、
さまざまなことが好転(こうてん)し、
幸せをもたらし、
また、自分自身の中から
引き出された仏性によって、
自分も幸せに変わっていく。


それが、『南無妙法蓮華経』だということです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

だから、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経をとなえる時、
全宇宙の、
あるいは世界や環境から、
幸せをもたらす無限の力である
『仏性(ぶっしょう)』が
呼ばれて、
引き出される。

また、自分で
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
その自分自身の中から、
仏性、すなわち、
幸せをもたらす無限の力が、
呼ばれて引き出されていく。

自分の中からも、
環境や世界からも、
幸せをもたらす無限の力が、
呼ばれて、
引き出されていくわけです。

自分の中から引き出された
幸せの力と、
環境や世界から引き出された
幸せの力が、
かみ合い、重(かさ)なり合い、
かけ算のように、
より一層(いっそう)の
プラスの結果となって、
もたらされる。

その幸せをもたらす、
無限の相乗効果(そうじょうこうか)が、
創価学会の人たちが、
日々、となえるている、
『南無妙法蓮華経』
だということです。


だから、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
幸せにならないはずがないんです・・!!

また、だから、
創価学会は世界192カ国に広がり、
人々を現実に幸せにしている!!

だから、どんな困難(こんなん)があったとしても、
南無妙法蓮華経を
真剣にとなえていくことによって、
困難を乗り越(こ)え、
幸せになっていける。

どんな悩みがあったとしても、
真剣に南無妙法蓮華経をとなえることによって、
自身の生命から幸せの力を引き出し、
変革(へんかく)し、
悩みを解決していける。

また、日々、
南無妙法蓮華経をとなえて、
仏法(ぶっぽう)の実践(じっせん)活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
自身の境涯(きょうがい)を変え、
人間革命していくことができる。

やがてそれは、
夢や希望をかなえ、
幸せと勝利につながっていく!


あらゆるものを動かし、
あらゆるものを変革(へんかく)していく。

あらゆる幸せを引きつけ、
勝利させていく。
また、自分自身が、
本源的(ほんげんてき)に、
幸せに変わっていく!!


それができる、
決定的で、
唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)であり、
力であり、
エネルギーが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音185

創価学会(そうかがっかい)の人たちの、
決定的な強みは、

『祈ることが、できる!』

ということです。

たとえば、
家族にしろ身近な大切な人たちが、
病気や事故にあったとする。

そういう時に、一般的には、
いろいろと手はずをとり、
手を尽(つ)くすことはできるけれども、
その事故や病気にあった人に、
直接的に影響(えいきょう)させることは、
できない。

正直、見守るしかない・・。

容態(ようだい)や回復に
影響させることができず、
見守るしか方法はない・・・。


けれど、
創価学会の人たちは、
違(ちが)う。


現実に病気や事故にあった人の
容態(ようだい)と回復に、
直接的に影響させることができる。


それが、
創価学会の人たちの
祈りなんです・・!


病気や事故にあった人とは、
直接的には関係しないにしても、
その人を知り、回復(かいふく)を願う
創価学会の人たちの祈りによって、
病気や事故の容態をより良く回復させて、
治(なお)っていったことは、
山ほどあると思う。

しかも、それが、
大変な病気や事故だった場合、
なおさら、創価学会の
みんなの祈りが強くなり、
現実に影響力を持ち、
病気や事故にあった人を
回復させていった例は、
それこそ、数えきれないと思う。

もちろん、徹底的な治療(ちりょう)を
ほどこしてもらうのは、
当然(とうぜん)として、
それらの治療などの環境も含(ふく)め、
あらゆるものをより良く
プラスにもっていく力(ちから)が、
創価学会の『祈り』には、
現実にあるんです。


創価学会の人たちの『祈り』が
不可能を可能にした例も、
数えきれないと思う。


それが、本物の祈りなんです。


だからといって、
祈りに効果(こうか)があるのならば、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
神社信仰などで、
真剣に祈ればいいじゃないかと思って、
祈ってみたところで、
祈りに効果がもたらされることは、
ありません。

それらの祈りは、
間違(まちが)った祈りであり、
葬式仏教や観光宗教、
神社信仰自体が、
間違ったデタラメな宗教なので、
どんなに真剣に祈ったとしても、
なんの効果もありません。

たとえ、命がけで祈ったとしても、
なんの効果もなく、
返(かえ)って、間違った宗教なので、
その間違った結果として、
さまざまな形で
不幸が出現してしまいます。

間違ったデタラメの宗教に祈るということは、
間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生を、ささげることになります。

間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生をささげていけば、
当然、自分の生命と人生は、
間違ったデタラメのものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったならば、
その当たり前の結果として、
さまざまな不幸が、
もらたされてしまう!ということです。


それが、世間一般的な祈りです。


だから、そんなものは、やるべきではない・・!



けれど、さきほども言いましたが、
本物の祈りは違う!

創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる祈りは、
現実に、人生に、
世界に、未来に、
決定的な大きな影響力を
与(あた)えていくんです!

現実を動かすことのできる力(ちから)!

・・それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえて祈るという、
『祈り』なんです。

現実に夢や希望をかなえ、
現実に未来を切り開いていく力!

現実に生命を蘇生(そせい)させ、
生命力を湧(わ)き上がらせ、
立ち上がらせていく力!

現実に悩みを打ち破り、
困難(こんなん)を乗り越え、
人生に、幸せという結果を
もたらす力が、
『南無妙法蓮華経』なんです。


これほど、スゴイことはないんです。
こけほどの武器(ぶき)も、なんいんです。


あらゆるものを幸せに変革(へんかく)していける!
あらゆるものを蘇生(そせい)させていける!


その祈りは、
自分を幸せにするのは当然として、
自分が祈る、その相手も、
その人が家族であろうと、他人であろうと、
真剣に、真心こめて祈ることによって、
その相手の生命を、
現実に蘇生させ、
より良く、幸せにしていけるんです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

人生、いろいろありますが、
結論(けつろん)から言うと、
創価学会の人たちの、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
という祈りほど、
スゴイものは、ないんです。

それは、
棚(たな)からぼたもちのようなことではなく、
さままな勇気や知恵、
最高の努力や行動をもたらし、
あらゆるものを幸せへと動かし、
蘇生(そせい)させ、
最高の結果を生むことになります。

だから、結局(けっきょく)、
南無妙法蓮華経を、となえて祈りきった人が、
勝利していける。
幸せになっていける!

それが、どんな状況(じょうきょう)であれ、
どんな環境(かんきょう)であれ、
どんな苦難や悩みであれ、
それがかりに自分でなくても、
影響を及(およ)ぼし、
蘇生(そせい)させ、
幸せにしていける!


それが、人生と未来を
勝ち取っていける、
決定的で、最強の力と言える、
創価学会の人たちの、
『南無妙法蓮華経をとなえる』、
『祈り』なんです・・。



だから、
人生の、
幸福と勝利を考えるとき、
実は・・、
真実(しんじつ)の祈りを持った人ほど、
強い人は、いない・・。

真実の祈りを持った人ほど、
幸せな人も、いない・・。

真実の祈りを持った人ほど、
人生を謳歌(おうか)し、
幸せを味わっていける人もまた、
いない・・。


なぜなら、真実の祈りは、
人生を切り開く、
幸せを勝ち取る、
そして、最高の歓喜(かんき)を味わっていける、
最大にして、
最強の、
『武器』だからです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音184

人気のあるアニメで、
「魔法少女まどか☆マギカ」という
アニメがあります。

この物語は、
魔法(まほう)少女に対するあこがれを、
逆手(さかて)にとったような
ダークな内容ですが、
通称(つうしょう)キュウべえという宇宙生命体が、
少女に、どんな願いでも、
ひとつだけ叶(かな)えてあげるかわりに、
魔法少女となって
魔女と戦ってほしいという、
契約(けいやく)を結(むす)ぶ物語で、
少女たちは、
自分の願いをかなえるために、
魔法少女となって、
魔女たちと戦うことになる。

魔法少女となったものは、
魔女の呪(のろ)いを受けることになり、
ほっておいたら、その魔女の呪いによって、
自分が死んでしまうことになる。

けれど、魔女を倒すと、
ある種の生命を浄化(じょうか)する
アイテムが手に入り、
そのアイテムによって、
自分の生命を浄化して、
生きながらえることができるという話しです。

だから、魔女と戦い、
魔女を倒(たお)すしかない・・。

それでも、このアニメの中で、
魔女は、呪(のろ)いによって
人間の命を奪(うば)う、
悪そのもののような存在なので、
魔法少女たちは、
その悪である魔女を倒して、
人々と、この世界を守るという
正義(せいぎ)と使命感(しめいかん)があり、
それが、彼女たちの
支(ささ)えになっていた。

けれど、魔法少女たちは、
やがて、
その悪そのものである「魔女」が、
実は、魔法少女のなれのはてであることを、
知ってしまう。

魔女とは、実は、
魔法少女の生まれ変わりであり、
魔法少女たちは、
魔女の呪(のろ)いによって、
最終的には、
「魔女」になってしまう。

すなわち、自分たちは、
世界のため、人々のためと思い、
正義と希望をいだいて、
魔女と戦ってきたのに、
結局(けっきょく)、自分たちが、
人間を呪い、殺していく
魔女になることがわかってしまい、
正義と希望が、
完全に打ち破(やぶ)られてしまう。


そして、魔法少女たちは、絶望(ぜつぼう)していく。


そして、最後の最後、
魔法少女になることを拒(こば)んでいた
マドカは、
魔法少女となることを
決断する。


ひとつの願いと、ひきかえに・・・。


その「マドカ」が叶(かな)えてほしい願いとは、

「過去から現在にいたるまで、
魔法少女から魔女が誕生する前に、
すべての魔女を
消滅(しょうめつ)させてほしい!!」

・・ということだった。

そうなれば、魔法少女たちは、
自分が死ぬ時に、
自分が魔女になるという絶望をいだかず、
希望と正義をもって、
安らかに死んでいける・・。


「魔法少女たちの希望と正義を
 奪(うば)わないでほしい・・」


それが、マドカの願いだった・・。


そのマドカの願いは、
かなえられるが、
その願いがあまりにも壮大(そうだい)であるため、
マドカは、人間としての
個体を保(たも)つことができず、
宇宙のある種の法則(ほうそく)、
概念(がいねん)となって、
宇宙の中に溶(と)けこんでいく。


マドカは、いわば、
魔法少女の希望となって、
宇宙に消えていった。


そうして、魔法少女たちは、
絶望をいだくことなく、
死んでいけるようになっていく。


絶望から、希望へ。

マドカの願いは、
この絶望を消し去り、
希望を生み出すことだったのかもしれない。

あらゆる人々の中から、
絶望を消し去り、
希望を生み出す・・・。


わかりやすい譬(たと)えだから
言うのだけれど、
創価学会(そうかがっかい)の人々がとなえている、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』とは、
そういう力(ちから)だと思う。

すべての人の中から、
絶望を消し去り、
希望を生み出してしまう!


それが、『南無妙法蓮華経』の力です。


だから、創価学会の人たちは、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ことによって、
どんな苦難(くなん)も乗り越(こ)えていくことが、
できる。

どんな絶望も打ち破(やぶ)り、
希望を生み出し、
そして人生に勝っていける。

南無妙法蓮華経をとなえることは、
無限の希望をもたらすので、
結果として、それは、
自分のさまざまな夢や希望も、
かなえていけるようになっていく。


南無妙法蓮華経の力は、
計(はか)り知れないので、
それだけではないけれど、
希望を生み出す力、
絶望を打ち破る力が、
南無妙法蓮華経だと言えます。



話しは少し変わりますが、
このアニメのストーリーの中で、
「祈れば祈るほど、呪(のろ)われていく・・」
というような表現がでてくる。

確かに、デタラメな宗教、
間違(まちが)った宗教においては、
そう表現(ひょうげん)しても、
いいかもしれない・・。

間違った宗教、デタラメな宗教に
祈るということは、
その間違った宗教、デタラメな宗教に、
自分の生命と人生を、
ささげていくことになる。

間違った、デタラメの宗教に、
自分の生命と人生をささげていったならば、
当然(とうぜん)の結果として、
自分の生命と人生は、
間違った、デタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメなものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな不幸が、
もたらされてしまう・・!
ということです。

だから、それは、結果として、
「祈れば祈るほど、呪(のろ)われていく」
ということになってしまう。


それが、
間違った宗教、
デタラメな宗教というものです。

そして、その間違った宗教、デタラメな宗教が、
日本にはびこっている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、
観光宗教などです。


それとは逆(ぎゃく)に、
『祈れば祈るほど、幸せになっていく!』
『祈れば祈るほど、希望を生み出していける!』
のが、さっきも言ったように、
創価学会の人たちが実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

南無妙法蓮華経とは、
希望の法則なんです・・!


間違った宗教、デタラメな宗教のように、
祈れば祈るほど、
不幸になっていくようなことは、
あってはならない!

本当に幸せになっていける宗教。
本当に悩みを解決していける宗教。
本当に希望をかなえていける宗教が
求められる。

そして、それが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

このアニメで、マドカは、
魔法少女たちの絶望を消し去り、
希望となった。

それは、アニメの中の話しだけに、
あまりにも壮大(そうだい)で、
宇宙規模(きぼ)の物語だけれども、
それと同じように、
壮大なエネルギーが、
ぼくたち人間の中にもある!!


その壮大な希望のエネルギー・・!

それが、『南無妙法蓮華経』だと言える。


絶望を打ち砕(くだ)き、
希望を生み出す、
壮大(そうだい)な壮大な、
希望のエネルギーが、
『南無妙法蓮華経』だと
表現できます。

だから、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経をとなえる時、
ぼくたちの中から、
その壮大なエネルギーが湧(わ)き上がってくる。

それは、人間が持っている
本源的(ほんげんてき)なエネルギーとも
言えますが、
その人間が本来(ほんらい)持っている
本源的なエネルギーが
湧(わ)き上がってくるから、
悩みを解決していけたり、
困難(こんなん)を打開(だかい)できたり、
夢や希望をかなえていけたりするわけです。

そして、幸せと勝利をつかんでいける・・!!


あえて、譬(たと)えるならば、
アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の中で、
マドカが、 自(みずか)ら、
宇宙の力、宇宙の法則(ほうそく)となって、
宇宙をかけめぐり、
魔法少女たちの絶望を消し去り、
希望を生み出していったように、
ぼくたちが、南無妙法蓮華経をとなえる時、
宇宙の希望のエネルギーが、
ぼくたちの生命の中を、かけめぐる。

そして、絶望を消し去り、
希望を生み出していく。

その本源的で、
宇宙的とも言える、
幸せのエネルギーであり希望のエネルギーが、
『南無妙法蓮華経』であり、
絶望を消し去り、
希望を、どこまでもどこまでも
開花していける方法が、
創価学会の人たちが実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです。


それは、あたかも、
アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の中で、
マドカが、
魔法少女たちの
絶望を消し去り、
希望を、生み出していったように・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音183

中国では、
大変な尊敬(そんけい)を集めている、
大指導者、
周恩来(しゅうおんらい)総理の名前は、
歴史などで、知っている人も
多いと思う。

その周恩来総理は、
1972年、日中国交正常化を
実現させた。

日中国交正常化というと、
日本では、表面上は、
その時の総理だった、
田中角栄氏が実現させたように
言われているけれど、
実情(じつじょう)は違っている。

田中角栄総理は、
お膳立(おぜんだて)が、
すべて整(ととの)えられて、
最後に調印(ちょういん)にサインしたと
いうことだけで、
実際(じっさい)は、
日中国交正常化のために
努力してきた人たちが、別にいる。


その日中国交正常化に尽力(じんりょく)した、
大功労者(だいこうろうしゃ)が、
創価学会インターナショナル会長である、
池田大作先生だと、言える。



当時、中国の周恩来総理は、
民間交流の着実(ちゃくじつ)な
積(つ)み重(かさ)ねの上に、
国家関係の改善(かいぜん)を
図(はか)ろうとしていた。

『民(たみ)を似(もっ)て、
官(かん)を促(うなが)す。』

それが、周恩来総理の
外交哲学(がいこうてつがく)であった。

そして、その哲学は、
対日政策(たいにちせいさく)にも
適用(てきよう)された。

周総理は、
「大衆の中に基盤(きばん)を持つ団体」として、
「創価学会(そうかがっかい)」に
早くから注目していた。

1960年代前半のことである。
それは、池田先生が、
創価学会第3代会長に就任(しゅうにん)し、
日本を左右する社会的勢力(せいりょく)へ、
大発展する時期である。

周総理は、対日政策(せいさく)の関係者に、
創価学会の研究を指示(しじ)した。

また、そのころ、
相次(あいつ)いで訪中(ほうちゅう)した、
中国との友好を志(こころざ)す、
松村謙三氏、高崎達之助氏が、
周総理に、
創価学会を好意的に紹介した。

一方、SGI(創価学会インターナショナル)会長の
池田先生は、1961年、
東京・両国支部の結成大会で、
中国の国連復帰(こくれんふっき)を提唱(ていしょう)。

1964年の11月、
公明党結党にあたっては、
「創立者からの唯一(ゆいいつ)のお願い」として、
日中国交正常化への
努力を促(うなが)した。

1966年5月には、
作家の有吉佐和子氏を介(かい)して、
『中国にご招待(しょうたい)します。』
との周恩来総理の伝言が、
SGI池田会長に伝えられる。


そして、周総理の信頼を
決定づける出来事が起った。


1968年9月8日、
東京・日大講堂で、
池田先生は、
1万数千人の青年を前に、
『日中国交正常化提言』を行った。

当時、反対勢力(はんたいせいりょく)もあり、
日本と中国の関係は、
厳(きび)しいものがあった。

そういう意味で、
国交正常化を提言(ていげん)することは、
自分の身に危険がおよぶ
可能性もあった。

その中での提言である。

日中国交正常化を望む、
友好の先達(せんだつ)である
松村謙三氏は、
『百万力の力を得た!』
と語っています。

そして、1972年、
日中国交正常化は、実現していく。


そして、後に、
1974年、
池田先生と周恩来総理は、
会見する。

その当時、
周恩来総理の病状は、
大変悪化していて、
きびしい状態にあった。

1974年12月5日、
場所は北京(ぺきん)の305病院。
周総理の入院先は
機密事項(きみつじこう)で、
池田SGI会長は後に、
そこが病院だったことを知る。

その日の午前、
池田SGI会長は、
鄧小平(とうしょうへい)副総理に会っている。

中国側が
池田SGI会長を最大に
遇(ぐう)した表(あらわ)れだが、
同時にそれは、
総理自身には会えないことを
意味していた。

しかし、12月5日夜の
答礼宴(とうれいえん)の席上、

中日友好協会の廖承志(りょうしょうし)会長が、
そっと告(つ)げた。

「池田会長、
周恩来総理が、待っておられます。」

それは、周総理自身の
強い意向(いこう)であることは、
明らかであった。

SGI池田会長は、
総理の健康を心配し、
いったんは固辞(こじ)するが、

「それでは2、3分だけ。
ひと目お会いしたら、失礼をさせてください」

と、車上(しゃじょう)の人となった。


実は、その時、
周総理は、
『会見するなら命の保証(ほしょう)はできない!』
と医師団に、
猛(もう)反対されていた。

だか、総理は、
『どんなことがあっても会わねばならない!!』
と譲(ゆず)らない。

「周恩来同志(どうし)がそこまで言うのなら・・!」
という鄧頴超婦人(とうえいちょう/周総理夫人)の
進言(しんげん)によって、
『5分だけ』
との条件付きで、
認められたのである。

会見上には、
池田SGI会長と香峯子婦人(かねこ/池田会長夫人)
だけが入った。

総理を疲(つか)れさせないよう、
SGI会長が、
そう希望したのである。

「池田会長とは、
どうしてもお会いしたいと
思っていました。
お会いできて本当にうれしい。」

「池田会長は、
中日両国人民の友好関係の発展は、
どんなことをしても必要である
ということを、
何度も提唱(ていしょう)されている。

そのことが私にはとてもうれしい。」

池田会長は、答える。

「中日友好が今日まで発展できたのは、
私たち双方(そうほう)の
努力の成果(せいか)であり、
そして、私たちは、
その努力をこれからも
続けて行くことを希望します。」

時に総理76歳、
SGI池田会長46歳。

「あなたが若いからこそ、
大事に付き合いたいのです。」

総理は言った。

語らいは終始、
和(なご)やかに進んだ。

「そろそろお休みください。」

と書かれた医師団からの
メモが総理に渡された。

総理は、メモを制(せい)して
話しを続けた。

「ご出身はどちらですか」

「東京です」
とSGI会長。

香峯子夫人も
「東京です」

SGI会長が
「二人で一人前です」
と付け加えると、
呵々大笑(かかたいしょう)する総理であった。

だか、中日の未来について語る時、
その目は鋭(するど)かった。

「中日平和友好条約の
早期締結(ていけつ)を希望します。」

「20世紀の最後の25年間は、
世界にとって最も大事な時期です。
お互(たが)いに平等な立場で、
助け合い、
努力しましょう。」


池田SGI会長は、それを
総理の『遺言(ゆいごん)』
と受け止めた。


医師団が、5分だけと
条件をつけて認められて会見は、
周総理の意向(いこう)によって、
30分に及(およ)んだ。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

会見の後、池田SGI会長が、
日中のために
最も心血(しんけつ)を注(そそ)いだのは、
青年交流だった。

創価大学に、
国交正常化後初の国費留学生を受け入れ、
その後、
創大に学んだ留学生の中から、
友好を担(にな)う
多くの指導者が育った。

創大と中国の各大学との
教員・留学生の交換(こうかん)、
全青連(中華全国青年連合会)と
創価学会青年部の相互交流(そうごこうりゅう)。


・・・その池田会長が築(きず)いた
『金の橋』を渡(わた)って、
無数の若い友情が生まれた。


思えば周総理も、
日本に遊学(ゆうがく)し、
青雲(せいうん)の志(こころざし)を
燃やした一人である。

「五十数年前、私は、
桜の咲(さ)くころに
日本を発(た)ちました・・・」

会見で総理は、日本留学の日々を、
懐(なつ)かしそうに振(ふ)り返った。

周総理の来日は大正年代。
中国人への強い差別(さべつ)にさらせれ、
抗日(こうにち)運動にも
関(かか)わっている。

だが、その後の総理の
日本へのまなざしには、
鋭(するど)い分析(ぶんせき)の一方で、
温かいものが通(かよ)っている。

その感情の源(みなもと)には、
日本の庶民(しょみん)との
触(ふ)れ合いがあった。

異国(いこく)から来た
貧(まず)しい周青年に、
何かと世話(せわ)を焼いてくれる
下宿(げしゅく)のおばちゃんがいた。

「お腹(はら)がすいてるでしょう?」

と、いつも、
ご飯(はん)をごちそうしてくれた。

「とくに、その中の
豆腐(とうふ)を使った料理が、
じつにおいしかった。」

「下宿に帰って、
そのあばちゃんと話すとホッとした。」

周総理が、日本の友人に
語ったエピソードである。


人間と人間との、
温かな触(ふ)れ合いのひとしずくが集まって、
やがて国と国の
友好の大海へと注(そそ)ぐ。

凪(なぎ)の時も、
嵐(あらし)の時も、
そのひとしずくに思いをはせたい。


大衆の中で、大衆とともに - - -


周総理が残し、
池田SGI会長が受け継(つ)ぎ、
広げてきた、
友好の、
永遠の基盤(きばん)である・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音182

映画『名もなく貧(まず)しく美しく』などの
数々の傑作(けっさく)を残した、
映画監督で作家としても高名(こうめい)な
松山善三氏は、

『なぜ、仏法(ぶっぽう)とは
まったく関係ない、
「アフリカ」という天地で、
創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法が、広がったか?』

という疑問(ぎもん)の
答えを見つけるために、
自(みずか)ら、
アフリカの現地へ足を運び、
民衆の輪(わ)に飛び込んで
取材(しゅざい)を重(かさ)ねたそうです。


1980年代の半(なか)ばのことだそうです。

松山善三氏が、アフリカのガーナで
創価学会のメンバーを取材していると、
そこへ突然、
隣国(りんこく)トーゴから車でやって来たという
三人の若者が現(あらわ)れた。

その一人の女性は、
「西アフリカの名医」として名高い
イダ・アジェビさんで、
79年フランス留学中に、
創価学会(そうかがっかい)に入会。

三年後、母国のトーゴに戻(もど)り、
たった一人で活動を開始。
その後、アメリカから来た
創価学会員の女性と一緒に活動し、
メンバーは、その時、
68人まで広がっていた。

その名簿(めいぼ)を手に、
「創価学会の座談会の開き方や、
仏法のことを教えてもらいたい」と、
国境封鎖(こっきょうふうさ)が解(と)けるのを待って、
ガーナまで尋(たず)ねてきた。

松山善三氏はもちろん、
居合(いあ)わせた創価学会メンバーも
驚嘆(きょうたん)した。

だれも知らないところで、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法の『種(たね)』は、
しっかりと大地に、
根(ね)を張(は)っていたからです。


今やそのトーゴの創価学会も
飛躍的(ひやくてき)に拡大(かくだい)し、
千人規模(きぼ)の大総会も
開催(かいさい)しているそうです。


松山善三氏が、言っています。

『誰が、その地に、
題目(だいもく/南無妙法蓮華経のこと)を、
伝(つた)えたか。

誰がそれだけの信徒(しんと)を集めたか。

寺や僧侶(そうりょ)ではない。

名もなき学会員(創価学会員)の一人ひとりが、
自分の足を運(はこ)んで、
その功徳(くどく)を、わかち合いたい
という願いによってである。』


ちなみに、功徳とは、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰を実践(じっせん)した結果として
あらわれる、
さまざまな幸せの結果です。

たとえば、悩みや問題が解決したり、
病気を克服(こくふく)できたり、
夢や希望を、
かなえることができたりすることが、
功徳(くどく)と言うことが、できます。



だれから言われたのでもない。
自(みずか)らの生命に
わき出てくる歓喜(かんき)を、
一人でも多くの人と、
分(わ)かち合(あ)いたい。

その思いを抱(いだ)いた一人が、
身近な一人と対話を交(か)わし、
また一人、
また一人へと、
広がった・・!


これが、創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法が、
人々を、
本当に幸せにできる、
真実の宗教であることの証明になっています。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

たとえば、
美味しいラーメン屋があれば、
人に話したくなるんです。
それが、かりに世界一おいしいラーメンだったら、
きっと、世界中の人に、話したくなるでしょう。

それと同じように、
創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰が、
世界一、人を幸せにできるとしたら、
世界中の人に、そのことを、伝えたくなるでしょう。


だから、創価学会が広がっているんです。

だから、創価学会は、
世界192カ国にまで広まったんです。

また、これからも、広まっていくでしょう。


それは、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰が、
あらゆる、どんな人の、
悩みや問題でも解決でき、
夢や希望をかなえる大きな力(ちから)となり、
世界中のどんな人でも、
最高の幸せを、つかませてくれることの
証拠(しょうこ)であり、
証明になっています・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音181

ぼくは、創価学会員だから、
普通に、聖教(せいきょう)新聞を
読んでいる。

創価学会員がみんな、
必ず聖教新聞を読んでいるわけでは
ないけれど、
一般的に、真面目に
創価学会(そうかがっかい)の信心を
やっている人は、
聖教新聞を読んでいる。


なぜ、聖教新聞を読むのかと、
自分に問いかけてみると、

それは、自分が、


「幸せを求めている!」


からだと思う。


もし、ぼくが、
幸せを求めていなかったら、
聖教新聞は、読まないでしょう・・・。


そう考えてみると、
聖教新聞は、
「幸せ」にポイントと重点を置いた
新聞であることが、わかる。



普通、新聞というと、
その時々にあった
事件や出来事や話題などが、
のっている。

また、それだけではなく、
その新聞独特(どくとく)の解釈(かいしゃく)というか、
それぞれの新聞に思想性(しそうせい)があり、
傾向性(けいこうせい)がある。

この新聞は
あっちよりの傾向があり、
あの新聞は
そっちよりの傾向があったりする。

よく言うように、
思想的に、
右よりだとか、左よりだとかと
表現することもできる。

こっちの新聞は反対だと言い、
あっちの新聞は賛成だ
という場合もある。

同じ物事にも、
さまざまな考え方があり、
それはそれで当然(とうぜん)だと思う。


細かい部分から言えば、
新聞には
思想の対決のような部分も
あるかもしれない。

一方は反対、
もう一方は賛成。
それは当然、
それが良いと判断(はんだん)して
書いてあるのだけれど、
その賛成と反対の狭間(はざま)で、
時として、
置(お)き去(ざ)りにされてしまうものがある。


それが、「人間の幸せ」だと思う。


特に、庶民(しょみん)の幸せ。
決して、新聞にはのることのないような、
名もない民衆たちの幸せ・・。

この名もない民衆たちの幸せが、
置き去りにされてしまう場合がある。

逆に言えば、
どうしようもないからだと
言うこともできる。

世の中に埋(う)もれているような、
庶民たちを幸せにできる
方法や手段(しゅだん)が
見当(みあ)たらないし、
またそれらの人々の
悩みや苦しみを解決する、
確実で具体的な方法もない。

だから、
それらの名もない民衆たちの幸せが、
新聞にのることは、あまりない・・・。


また、有名人や著名人(ちょめいじん)の死や、
それにかかわる病気について、
新聞にのることはあっても、
その大変な病気や障害(しょうがい)を
乗り越(こ)え、
蘇生(そせい)していった話しも、
あまり新聞にのる事がない。

それは、当然であり、
どんなに有名であろうと、
財力(ざいりょく)があろうと、
困難な病気を乗り越え、
勝利した話しなど、
ほとんど無いからです。


だから、そういう、
蘇生(そせい)のドラマが
新聞にのることも、あまりない。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

ところが、聖教新聞には、
いま、上げたような、
普通、新聞にのることのない、
物語、ストーリー、ドラマが、
ことごとく、のっている。

それは、大変な病気を乗り越え、
勝利していった物語であり、
経済的にも大変な苦境(くきょう)を勝ち越え、
幸せを勝ち取った物語であり、
また障害(しょうがい)を乗り越え、
蘇生(そせい)していった物語でもある。

また、他の新聞では
決して、のることのないような、
名もない庶民たちの
勝利と幸せの凱歌(がいか)が
高らかに歌われているのが、
聖教新聞だと言える。

それは、まぎれなもない
現実の結果であり、
元(もと)を正せば、
歴史の上でも、だれも、
どうしようもなかった、
民衆の幸せ、
名もない庶民を、
現実に幸せにしていける
法則(ほうそく)と哲学(てつがく)が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえる
仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!!
ということです。

ゆえに、
現実の科学的な証拠(しょうこ)として、
数えきれない多くの民衆の幸せを、
新聞にのせることができる。
また、それだけの
希望を生み出す力(ちから)が、
聖教新聞にはある!
ということもできます。


普通だったら、
決して新聞にのるようなことはなかった、
名もない民衆の勝利と幸せ・・!


その民衆の
壮大(そうだい)な叙事詩(じょじし)。

その民衆の勝利の歌が、
聖教新聞なのかもしれない。


だから、聖教新聞は、
『幸せを求める人』が
読む新聞だと思う。

そして、『幸せになる答え』が
必ずある!のが、
聖教新聞だと思う。

また、これほど、
人間に、
ひとりの人間に、
民衆に、
希望を贈(おく)ることのできる
新聞もない!と思う。


だれも、表立(おもてだ)って
言ったりしないかもしれないけれど、
探し求めている『幸せの本質(ほんしつ)』

そして、幸せという現実の結果・・!


その『幸せの本質』と
『幸せという結果』に、
真(しん)に、
具体的に、
現実的に、
直結(ちょっけつ)している新聞が、
聖教新聞だと思う・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音180

先日、
ブログのコメントで、
創価学会の南無妙法蓮華経と、
身延(みのぶ)の日蓮宗や
立正佼成会(りっしょうこうせいかい)の
南無妙法蓮華経との違(ちが)いについて
質問された話しをしましたが、
同じ方から、
創価学会と日蓮正宗との違いについて、
質問されたこともあります。

日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)というのは、
創価学会が昔、守り、
外護(げご)していた宗派で、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
純粋(じゅんすい)に受け継(つ)ぎ広めるために、
創価学会が、
大変に発展させてあげたところですが、
今は、創価学会とは
完全に別(わか)れ、
創価学会では、
日顕宗(にっけんしゅう)と呼んでいます。

はっきり言えば、
創価学会(そうかがっかい)が
日顕宗と呼んでいる日蓮正宗は、
創価学会が呼び名を変えたように、
とても、
日蓮正宗と言えるようなしろものでは、
ありません。

正宗とか言うと聞こえはいいですが、
魔性(ましょう)に食い破(やぶ)られ、
とらわれた、
毒蛇(どくへび)のような存在です。


悪そのものと言ってもいいでしょう。


昔、創価学会が、
どれだけ正宗を守り外護(げご)し、
発展させてあげたか。

その恩(おん)は、
計(はか)り知れないはずですが、
その恩を仇(あだ)で返すような、
畜生(ちくしょう)以下のやからです。


彼らは、創価学会員を、
金になる奴隷(どれい)のようにしか
考えられなかった。

そして、自分たちの
私腹(しふく)が肥(こ)えると、
もういいと、かってに、
創価学会を破門(はもん)してきた。

当時の日蓮正宗のトップだった
日顕(にっけん)という男は、
創価学会のインターナショナル会長である
池田先生への、
人々の尊敬と賞賛が、
憎(にく)くて憎くてしょうがなかった。

そしていつか、
あいつらの首を切ってやろうと
機(き)をうかがい、
池田先生と創価学会を
破門(はもん)してきた。

そうすれば、
創価学会の半分の人は、
日蓮正宗側につき、
それだけの信徒がいれば、
遊蕩三昧(ゆうとうざんまい)、
遊んでくらせると考えたからです。

けれど、
創価学会員は、ばかではないので、
日蓮正宗側につくものは、
ほとんどいなかった。

そして、正宗は、
没落(ぼつらく)の一途(いっと)をたどり、
逆に創価学会は、
毒蛇(どくへび)のような、
梅毒(ばいどく)のような、
正宗との縁(えん)が切れたおかげで、
世界宗教として
自由自在に活動できるようになり、
世界が賞賛(しょうさん)し期待し、
世界192カ国に広がる
創価学会へと飛翔(ひしょう)していった。


なるべくしてなったと言うか、
日蓮正宗と切れて、
本当に良かった。

もし正宗が引っ付いていたら、
創価学会は、これほど発展できなかったでしょう。


だいたいにおいて、
その当時の日蓮正宗のトップ、
日顕という男は、
売春問題で、
最高裁で三度も断罪(だんざい)された男で、
裁判所で日顕の言うことを信じる人は、
ひとりもいません。

ようするに、
裁判所おすみつきの
「大うそつき」です。

正宗は、
そういう男が権力(けんりょく)を
にぎっているようなところですから、
だいたい、
どんなものか、
察(さっ)しがつくと思います。


この日顕という男は、
創価学会を破門(はもん)すると、
創価学会の真心の供養(くよう)で
つくられた正本堂という、
文化遺産(ぶんかいさん)的にも、
建築物としても、
非常に価値(かち)のある、
何百年?以上もつであろう素晴らしい建物を、
わざわざ金をかけて、
いきなりすべて破壊(はかい)し、
取り壊(こわ)し、
そのあと、くだらない、
宗教くさい建物を立てている。

また、正宗の敷地(しきち)にある
美しい桜並木を、
切り倒(たお)してしまっている。


普通の人間のやることではありません。


だから、創価学会では、
日蓮正宗とは呼ばす、
日顕宗と呼んでいますが、
それが日蓮正宗というものです。
いくら口で立派(りっぱ)そうなことを
言っているとしても、
そんなものは、
糞(くそ)にもなりません。


日蓮正宗(日顕宗)というのは、
僧侶が上、
信徒は下、
僧侶の言う事は絶対。
信徒は金を出せ!

それが正宗の本音(ほんね)であり、
彼らの心には、
それ以外のものはありません。


また、その、
日蓮正宗についた人間ほど、
かわいそうな人もいません。

日蓮正宗は、
真実に最も近いところで、
悪逆(あくぎゃく)をしているわけですから、
その罪(つみ)と害毒(がいどく)は、
はかりしれず、
その正宗につくということは、
悪に命をささげるようなものなので、
当然(とうぜん)、
その人は、
底知れぬ不幸に
陥(おちい)っていきます。


宗教というのは、
正邪(せいじゃ)と結果を、
明確にともなうものです。

間違った宗教、
悪(あ)しき宗教につくということは、
その人がかりに、
どんなに善意でやっているにしても、
その対象が悪であり
害(がい)になるものなので、
自分の生命は、
どうしても悪害(あくがい)に染(そ)まり、
その結果、
必ず不幸になっていきます。


だから日蓮正宗につくと、
本当に不幸になります。
口でどんな理屈(りくつ)を言っても、
幸せや功徳(くどく)、
効力(こうりょく)がもたらされることはなく、
さまざまな形で、
あらゆる形で、
不幸がもたらされます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

それとは反対に、
創価学会は、
世界192カ国に広がり、
世界中の人々を幸せにしている。

それは現実に、
ひとりひとりのさまざまな悩みを解決し、
また、夢や希望をかなえる
大きな力となって、
さまざまな形で、
現実に、
幸せの結果を、
もたらしているということです。

結果がでるということは、
それがなによりも、
正しい証拠(しょうこ)となります。

また、創価学会が、
ひとりひとりを蘇生(そせい)させ、
幸せにしていった結果として、
世界にどれだけの平和をもたらしたかは、
計り知れず、
だから世界中の有識者は、
創価学会を絶賛(ぜっさん)し、
賞賛して、
大きな期待と希望をたくしています。


それは、
創価学会と日蓮正宗(日顕宗)との違いを、
歴然(れきぜん)と、
あらわしています。


勝負と結果は、
明確についているとも、
言えます。


だから、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえていれば、
なんでもいいということではなく、
それが悪に向かい、
結果として悪を助けるものならば、
いくら南無妙法蓮華経をとなえても、
不幸になり、
どんなに善意でやっても、
真剣にやればやるほど、
不幸がもたらされます。


それが真実であり、
それゆえに、
決して日蓮正宗(日顕宗)につくべきではなく、
たんなる形式でものごとを考えて、
日蓮正宗で
南無妙法蓮華経をとなえていったならば、
大きなしっぺ返(がえ)しと、
大きな不幸を、
被(こうむ)ることになります・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音179

以前、
ブログのコメントで、
創価学会の南無妙法蓮華経と、
身延(みのぶ)の日蓮宗や
立正佼成会(りっしょうこうせいかい)の
南無妙法蓮華経と、
違(ちが)いがあるのですか?

と質問されたことがあります。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
というのは、どういうものかと言うと、
宇宙の法則(ほうそく)であり
生命の法則です。

だから、正しい対象(たいしょう)に
正しい方向性をもって、
南無妙法蓮華経をとなえていけば、
幸せをもたらしていけます。

それが宇宙の法則に
かなっているからです。

けれど、間違った対象に、
間違った方向性(ほうこうせい)で
祈っていけば、
それは当然、
間違(まちが)った結果、
すなわち不幸をもたらすことになります。

なぜなら、それが道理(どうり)であり、
宇宙の法則だからです。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえれば、
なんでもいいということではありません。


南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を
発見し広めたのは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)ですが、
日蓮大聖人は、
全世界のはるか未来までの
民衆を救(すく)い、
幸せにしていくために、
この南無妙法蓮華経を
世界に伝(つた)えたのですが、
創価学会が出現するまでは、
その生命哲学(てつがく)と思想、
無限の力を、
正しく理解し、把握(はあく)し、
正しく実践(じっせん)することができた団体は、
存在しなかったと言えます。

せいぜい、
「ありがたやーありがたやー」という、
おすかり信仰や、
観光に利用する観光宗教くらいにしか、
考えられなかったんです。

そんな考え方で、
南無妙法蓮華経をとなえたところで、
効力や功徳(くどく)が
あらわれるわけがなく、
かえって、
間違った使い方、
間違った方向性で祈っているので、
逆に害(がい)になり、
間違った結果である
不幸をもたらすことになります。

その部類(ぶるい)にはいるのが、
身延の日蓮宗や立正佼成会です。

日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の
仏法(ぶっぽう)の本当の意味を、
まったく理解できず、
適当(てきとう)に変えて、
観光宗教化、おすかり信仰化して、
南無妙法蓮華経を使っているに過(す)ぎませんから、
なんの効力(こうりょく)もなく、
幸せをもたらすこともありません。

かえって南無妙法蓮華経を使って、
真理(しんり)に近いところで、
間違ったことをしていますから、
その悪害は大きく、
さまざまな不幸をもたらします。

それが道理であり、
また宇宙の法則であるとも言えます。


だから、身延の日蓮宗や立正佼成会で
南無妙法蓮華経をとなえたところで、
効力はなく、
不幸になります。

それが本当のところです。


人は、このことをわかろうとしないのですが、
間違った対象(たいしょう)に、
間違った方向性で祈れば、
いくら南無妙法蓮華経をとなえても、
不幸になります。

それが道理であり真実です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

それに対し、
日蓮大聖人の
南無妙法蓮華経の仏法を、
唯一(ゆいいつ)、
正しく理解し、
実践することができたのが、
創価学会(そうかがっかい)です。

いわば、日蓮大聖人の
南無妙法蓮華経の仏法を、
現代によみがえらせたんです。

だから、創価学会の中で
南無妙法蓮華経をとなえていくと、
どんな悩みも解決していけ、
夢や希望をかなえて、
幸せを勝ち取っていけるんです。

また、だから創価学会は、
世界192ヶ国に広がっている。


・・それは、結果がでるからです。
結果がでるということは、
それが正しい証拠(しょうこ)となります。

いわば、創価学会の中に、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法の生命が、
脈打(みゃくう)っている!
と言えます。

だから、創価学会の中で、
南無妙法蓮華経をとなえていくと、
幸せになるんです。


現実問題として、
身延の日蓮宗や立正佼成会、
その他の団体で、
南無妙法蓮華経をとなえたところで、
幸せにはなりません。

逆(ぎゃく)に間違ったことをしていますから、
当然の結果として、
さまざまな形で、
不幸がもたらされます。


だから、他の宗教や団体と区別するために、
あえて、
『創価学会の南無妙法蓮華経』
と言っているわけです。


そう言わなかったら、
誤解(ごかい)を呼び、
南無妙法蓮華経だったら、
なんでもいいと間違えて、
人を不幸にしてしまう、
恐(おそ)れがあるからです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音178

以前、
聖教(せいきょう)新聞に、
ブラジル文学アカデミーの
『アタイデ総裁(そうさい)』の話しが、
のっていました。

アタイデ総裁といっても、
知らないと思いますが、
アタイデ総裁は、ブラジルで、
1930、40年代、独裁(どくさい)を
真っ向(まっこう)から批判(ひはん)し、
3度の投獄(とうごく)、
3年間の国外追放(ついほう)に
耐(た)えた人物です。

70年間以上、ペンを振(ふ)るい、
発表したコラムは5万本。
テレビに20年、
ラジオには30年にわたって
毎週出演し、
人権擁護(じんけんようご)の
『声の弾丸(だんがん)』を
放(はな)ち続けた人です。


その名前は
『強靭(きょうじん)なリベラリスト(自由主義者)』
として、
ブラジルにおいては
伝統的な響(ひび)きを
持っているそうです。


そのアタイデ総裁が、
1959年から30年以上にわたって
率(ひき)いてきたのが、
南米最高の知性の殿堂(でんどう)、
『ブラジル文学アカデミー』です。

在外会員は、
トルストイ、
エミール・ゾラ、
アンドレ・マルロー
らの名が連(つら)なる。

そして、アタイデ総裁が
34年間で初めて
推薦(すいせん)したのが、
創価学会(そうかがっかい)インタナショナル会長である、
池田大作先生です。


アタイデ総裁は、言っている。


「私には池田会長の偉大(いだい)さがわかる。」

「民衆のために戦い、
苦しみ抜(ぬ)いた者にしか、
彼と、彼を支(ささ)える
香峯子婦人(池田会長婦人)
の心は分からない。」


「迫害(はくがい)を受けた者だけが、
池田会長の価値(かち)を知るのだ。」


さらに、アタイデ総裁は言う。

「一人の指導者が道を開けば、
皆がその後を
従(したが)うものです。」

「未来はひとりでに、
やってくるものではありません。
人間自身が切り開くものです。


その人間の一人が、池田大作氏です。」



そのアタイデ総裁が、
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長と、
会見したのは、
1993年。

アタイデ総裁が94歳の時です。

その時の模様(もよう)が、
聖教新聞には、
記されていました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『言論(げんろん)の獅子(しし)』が、
そこにいた。

顔に刻(きざ)まれた深いしわ。
白く伸びた髪(かみ)。
何より、小さい体から
発散(はっさん)される威厳(いげん)は、
地走る者の王・ライオンを思わせた。

1993年の2月9日。
時間は午後9時。
ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、
貴賓室(きひんしつ)で
2時間も前から待っている。

リオデジャネイロのガレオン国際空港。
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、
27年ぶりに、
このブラジルの古都(こと)に
降(お)り立とうとしていた。

総裁(そうさい)は94歳。
頭脳(ずのう)は明晰(めいせき)だが、
さすがに足腰(あしこし)は、
衰(おとろ)え、
ふだんは歩くのに、
2人に両脇(りょうわき)を
抱(かか)えてもらうことも、
たびたびであった。

ソファに座(すわ)る総裁に、
体調を心配(しんぱい)した
周囲(しゅうい)は、
別室で休んではどうかと勧(すす)めた。

だが、総裁は言った。

「私は、94年間も
池田会長を待っていたのです。
1時間や2時間は何ともありません。」


SGI会長を乗せた
旅客機(りょかっき)が着いた。

総裁はソファから身を起(お)こし、
ドアのほうへ、
一人で足を運(はこ)んだ。

扉(とびら)が開いた。

池田SGI会長が
両手を大きく広げて歩(あゆ)み寄(よ)り、
総裁の両腕(うで)を
下から支(ささ)えた。

「『世界の宝(たから)の人』です。
私が総裁のことを、
世界に、
永遠(えいえん)に残します!」


総裁は応(こた)えた。


「会いたい人にやっと会えました。
池田会長は、
この世紀(せいき)を
決定づけた人です。

戦いましょう。
2人で力を合わせ、
人類の歴史を変えましょう!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ぼくが思うに、
映画やドラマ、
小説の世界ではなく、
現実の生身(なまみ)の人間が、
こういう会話を、
かわしていること自体(じたい)、
スゴイことだ!と
思いました・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

アタイデ総裁と
池田SGI会長の2人は、
対談集の発刊(はっかん)を目指して、
口述筆記(こうじゅつひっき)などを通して、
対話を続けることで
合意(ごうい)した。

だが、
総裁の体調(たいちょう)は
思わしくなかった。

総裁の秘書は、
率直(そっちょく)に

「口述筆記も、
タイプライターで原稿(げんこう)を打つことも
無理(むり)でしょう。

最近は笑(え)みを見せることも
ないのです。」

と話した。


93年6月、SGIのスタッフから、

「回復するまで、
いつまでかかってもお待ちします。」

との池田SGI会長の伝言が、
総裁に伝えられた。

じっと聞いていた総裁が、
ほほ笑(え)んだ。

「ありがとうございます。
私にはもう時間がありません。
すぐに始めましょう。

しゃべって、しゃべって、
しゃべり抜きます。

人類の未来のため、
21世紀のために
語り継(つ)ぎましょう!!」


口述はそれから、
毎週土曜日、
リオの総裁の自宅で行われた。

SGI会長の書簡(しょかん)での質問に、
総裁は毎回2時間、
思索(しさく)を重ねながら、
身じろぎもせず、
語り続けた。

SGI会長からは
毎回、
花束(はなたば)が届けられ、
総裁はいつもそれを、
応接間(おうせつま)の
純銀(じゅんぎん)の花瓶(かびん)に
飾(かざ)って、
眺めるのだった。


最後の「対談」は
8月21日。

テーマは
「人権の闘士・マンデラに学ぶ」
であった。

その6日後に、総裁は入院した。

「私には、
やらなければならない
大事な仕事がある。

早くここを出してください。
私は、池田会長との対談を
続けなければならないのだ。」


医師や看護士に
そう何度も訴(うった)えた。


総裁が逝去(せいきょ)したのは
93年9月13日。

SGI会長は悲報(ひほう)を聞き、
すぐさま弔電(ちょうでん)を送った。

10月には
文学アカデミーの強い要請(ようせい)により、
2人の出会いを描いた
油彩画(ゆさいが)
『アタイデ総裁』が、
同アカデミーに贈られている。

さらに息女(そくじょ)の、
ラウラさんと夫のシィッセロ・サンドローニさん、
子息(しそく)のロベルト・アタイデさんを、
池田SGI会長は翌年8月、
長野研修道場で
歓迎(かんげい)した。


「父が毎日、
使っていたペンです。
父の名前が刻(きざ)まれています。」


席上、ラウルさんから、
総裁の「武器」であった
金色のボールペンが、
池田SGI会長に渡された。

友情は、家族と、
アカデミーの後継者(こうけいしゃ)たちに
受け継(つ)がれたのである。


対談集「21世紀の人権を語る」は
95年に日本語版、
2000年にポルトガル語版が
発刊(はっかん)。

未来を見通(みとお)した総裁の
『遺言(ゆいごん』で、
語らいは結(むす)ばれた。


『池田会長の存在(そんざい)は、
人類の歴史に残り、
その運動は、
時代とともに、
広がりゆくことでしょう。

そして21世紀は、
新たなヒューマニズムが実現された時代として、
人類の歴史に、
深く刻(きざ)まれることになるでしょう。』


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音177

時々、芸能界で、
覚醒剤(かくせいざい)の話題を聞く。

芸能界も、なにかと大変だと
思ってしまう。

悪いとわかっているのに、
何がいいんだろうと思ってしまう。

テンションを上げるためなのか、
生活の中で、
覚醒剤に頼(たよ)らなければならない状態に
なってしまうんだから、
やはり、
覚醒剤は恐(こわ)いと思う。

覚醒剤を使用していけば、
自分の身体(からだ)もボロボロになるし、
不幸になっていくのは、
わかりきったことなのに、
それでもなお、
マイナスの力(ちから)によって、
心のやすらぎや、
よりどころを、
求めようとするのだろうか?

ようするに、
そうしないといられないような
日々のプレッシャーやイライラ、
心の痛みや辛(つら)さがあるのだろうか?

覚醒剤に頼らざるえないほど、
人生に希望と幸せを、
見いだせないのだろうか?


人生からの逃避(とうひ)、
快楽(かいらく)、


やはり、覚醒剤に、
よりどころと、やすらぎを
求めてしまうのだろうか?



今は知らないけれど、
以前は、ジャズの音楽家たちの間でも、
覚醒剤が、多々、
使用されていたようだ。

詳(くわ)しいわけではないけれど、
ジャズという音楽は、
アドリブの部分が多く、
インスピレーションや高揚感(こうようかん)が、
求められるようだ。

そのインスピレーションや高揚感を得るために、
覚醒剤を多用した人も、
多いようだ。


けれど、そのジャスの世界で、
現代では、
『創価学会(そうかがっかい)』に入っている人が、
多い・・!!

それは、創価学会が、
麻薬(まやく)や覚醒剤のようだということでは、
まったく、ない!!

逆(ぎゃく)です。

覚醒剤が、精神におよぼす、
『マイナスの力』だとすると、
その数百倍、数千倍、数万倍の、
『プラスの力』が、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
『歓喜(かんき)の中の大歓喜』
だという。

それは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の生命を歓喜させる!
ということです。

人間が持っている、
本源的(ほんげんてき)な生命の力、
その『プラスの力』を、
無限に呼び覚(さ)まし、
創造力(そうぞうりょく)を湧(わ)き上がらせ、
生命を高揚(こうよう)させていく・・!!

そして、その、
生命のプラスの力は、
自分だけでなく、
まわりの人々、
世界にも、伝わっていく。


それは、多くの音楽家が、
欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがないものであり、
まさに、望んでいるものだと、思います。

南無妙法蓮華経をとなえることによって、
自分の生命を歓喜させ、
無限の創造力を駆(か)り立てていく。
そして、人々を幸せにしていける。

そういう力が湧(わ)き上がってくるのが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ことだとも、言えます。


だから、ジャズの世界でも、
創価学会の人は多い。


世界的に有名なジャズ・ピアニストの
ハービー・ハンコック氏が、
創価学会に入会するきっかけになった話しは、
よく、知られていますので、
紹介したいと思います。

ハービー・ハンコック氏は、語っています。

『私に信心を教え、
SGI(創価学会インターナショナル)に
縁(えん)させてくれていたのは、
私のバンドでベースを弾(ひ)いていた、
バスター・ ウィリアムスさんでした。

ある公演で、
彼は驚(おどろ)くべき
ソロ演奏を披露(ひろう)し、
私たちを高揚(こうよう)させたのです。

演奏が終わると
大勢(おおぜい)の聴衆(ちょうしゅう)が
ステージに走り寄(よ)ってきました。

感動のあまり
泣(な)いている人もいました。

その衝撃(しょうげき)の公演が終わった後、
私は思わず
彼を楽屋(がくや)に連(つ)れていき、
尋(たず)ねたのです。


「君が、何か新しい哲学(てつがく)か
宗教を実践していると聞いている。

もし、それが、
こんな演奏を可能にするのなら、
それが何かを知りたいんだ。」

と。

バスターは、それについて
私に話す機会(きかい)が訪(おとず)れることを
祈っていたと言って、
『南無妙法蓮華経』の題目(だいもく)について
話し始めました。

彼は、それが『法(ほう)』であり、
宇宙の法則(ほうそく)であると
話してくれました。

私は彼の話しに
多くの希望が含(ふく)まれていることに
好感(こうかん)をもちました。

『南無妙法蓮華経』が何かは
分かりませんでしたが、
バスターは、
私が信じようが信じまいが、
南無妙法蓮華経には力(ちから)があり、
効果(こうか)があると
力説しました。

それで私は

「まだ信じてはいないが、
試(ため)すだけなら、
失(うしな)うものは何もない!」

と始めてみたのです。』

・・・
そして、現在にいたり、
何度もグラミー賞を受賞するなど、
大活躍(だいかつやく)しているわけです。


また、
同じく有名なジャズ・奏者である
ウェイン・ショーターさんも、
語っています。

ショーターさんは、
亡(な)き奥様のアナ・マリアさんから
創価学会の信心を教わったそうです。

ショーターさんは、語っています。

『彼女(ショーターの奥さん)は、
ハービー(ハービー・ハンコック)から、
この信心を紹介されました。

私は、彼女がどう行動するのかを
見ていました。

創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる信心を
実践して、しばらくすると、
彼女は別人のように変わりました。

私は非常に驚(おどろ)きました。
その時の気持ちは、
言葉では表(あらわ)せません。

そこで、私にも教えてほしいと
頼(たの)んだのです。』


ひとことで言うと、
これが創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の
『プラスの力』だと思います。

だれもが、口にはしないけれど、
望んでいるもの。
生命の幸せへの変革(へんかく)、
人間性の開花、
幸せへと向かう生命の喜び、
心に感じる高揚感(こうようかん)と感動・・。

それらの
人間が本質的(ほんしつてき)に求めている
幸せへの欲求(よっきゅう)、
幸せでありたいとする人間性の開花が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法には、
ある!ということです。


そして、もうひとつ、
言いたいことは、
この創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰が、
ただ単(たん)に、
生命を歓喜させ、高揚(こうよう)されると
いうことではなくて、
現実の人間を取り巻(ま)く、
さまざまな悩みや問題を解決でき、
人それぞれの夢や希望をかなえていく
大きな力(ちから)となっていく!
ということです。

そして、人生における、
どなん試練(しれん)や困難も
乗り越(こ)えていける、
大きな大きな力であり、
エネルギーでありパワーとなっていくと、
いうことです。

ゆえに、世界192ヶ国の、
創価学会の人たちが、
この南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、
現実に悩みを解決し、
夢や希望をかなえて、
大いなる喜びと感動をもって、
人生に挑戦している。

ウェイン・ショーターさんが、
妻が別人のように変わっていく姿に、
言葉では表せないほど驚いたように、
ハービー・ハンコックが、
強烈(きょうれつ)な衝撃(しょうげき)をおぼえたように、
人々をより良く変革し、
歓喜させ、
幸せにしていく。


それが、
人生も、人間性も、
未来も、生命も、
幸せに変革していける、
創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰だということです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

不幸になるとわかりきっている、
麻薬や覚醒剤・・・。

そんなマイナスの力に頼らなくても、
心を、やすらがせ、
心を高揚(こうよう)させ、
すがすがしく歓喜させ、
世の中のどんな荒波(あらなみ)にも
負けない生命力を、わき上がらせて、
生き生きと生きていく方法がある!

どんな苦難も、悩みも、
障壁(しょうへき)もストレスも、
乗り越え、
勝っていける方法がある!!


それが、南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぷっぽう)の信仰です。


生命を蘇生(そせい)させる力!
生命を歓喜させる力!
傷(きず)ついた精神や生命を復活させる力!
日々の生活を、清々(すがすが)しく、
前向きに挑戦していける力!!

覚醒剤(かくせいざい)が、マイナスの力ならば、
南無妙法蓮華経の仏法は、
究極のプラスの力です。

その無限のプラスの力によって 、
生命を元気にし、
歓喜させ、
幸せになっていくんです!!

当然、それは、違法(いほう)でもなんでもない。
『南無妙法蓮華経を、となえる』という
日々の行動によって、
自分の中から最高の生命力を、わき上がらせ、
生命と心を蘇生(そせい)させ、歓喜させ、
輝(かがや)かせる。


その、
究極の、
無限の、
『プラスの力』が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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